ゆめうつつ
「あれ?」
わたしは、どうしてここにいるんだろう。いや、ここはどこだろう。
「気がついた?」
わたしの目の前には小学校高学年と思しき少年が立っていた。気が付かなかった。
「わたし、あの、ていうかきみは?ここは・・・」
「あはは、混乱してる。大丈夫だよ。ここは安全な場所だから。」
立てる?と聞きながら彼の手を借りて立ち上がる。
「せっかくだから、少し案内してあげるよ。」
「案内?」
「うん。何も知らないって怖くない?」
確かに、わたしはそのまま彼の手に引かれてゆっくりと歩き始めた。彼はどうやら見た目以上に中身は大人びているようだ。
「おねーさん、ここが僕の家だよ。」
家?彼の指さす先には、何もない。
「からかってるの?」
「そんなことないよ。ほら、目を閉じて。」
言われるがまま、目を閉じる。
「開けて。」
目を開けるとそこには、一面の野原と丸太でできたログハウスが建っていた。周りには小鳥やリスやかわいい小動物たちもいる。
「すごい・・・。魔法でも使ったの?だってさっきまであんなに、」
「魔法だなんて使えるワケないじゃん。おねーさん面白いなあ。」
彼は本当におかしそうに笑った。ケラケラとその笑いは収まりそうにもない。少し恥ずかしくなったわたしは、近くにある木々の葉っぱを触って見た。やっぱり、ちゃんと葉っぱだ。青々とした葉は、わたしの失態を優しくうなづくようにサワサワと揺れた。
「静かだね。」
「そうだね、ぼくとおねーさんしかいないし。」
そうじゃないんだけどな、と苦笑しつつもわたしはゆっくりと空気を吸い込んでみた。木々や野原の葉っぱが波打つ音。そのなかでアクセントになる小動物たちの声や足音。この野原は呼吸してるみたいだな、と思った。こうやって自然を感じるのは何年ぶりだろう。思い出せないけれど、きっとずっと昔だ。だってなんだか懐かしいって思うから。
「おねーさん?どうしたの?」
「え?あ、なんでもないよ!」
「そう?じゃあさ、早くおうちに入ろうよ。おもてなししてあげるよ。」
そう言うと彼は目の前のログハウスに入っていった。わたしも、早く入ろう。
そう思ったときだった。足元の草が引っかかって、わたしは転げ落ちるように転んだ。
「待って・・・!」
そう、彼の背中に叫んだが、その声が届くことはなかった。
次に目が覚めたのは、浜辺だった。
「もー、おねーさんどこ行っちゃったかと思った!」
「ごめんね、まさかわたしも転ぶとは思ってなくて。」
あははとごまかすように笑うわたしには、怪訝そうにつぶやく彼の言葉は届いていなかった。
「・・・。まあいいや。ところでおねーさんはどこから来たの?」
「どこからって・・・」
どこだろう。さっきは野原だったけど、そのまえ、彼に会うまえは・・・
「わからないんだ、まああまり考え込まなくていいよ。ぼくはね、田舎にずーっと住んでたの。それこそ電波も届かないような。」
ザザー・・・と光を受ける海面が揺らめく。
「ずっとずっと、都会に憧れてた。そこでは田舎みたいに噂で縛られることもないし、他人にあまり興味を持たないんでしょ?それってとってもしあわせなことじゃない?」
「どうして、しあわせだとおもうの?」
さっきまで深い青だった海はだんだんと燃えるような赤に染まる。
「だってさ、それって自分の好きな人とだけ繋がっていられるってことでしょ?しあわせだよ。嫌いな人と無理して付き合うことないんだから。」
ザザーーーーン・・・・
「おねーさんが一番よく分かってるんじゃない?」
「え?」
ドパーンと大きな波がうねり、砂浜へとなだれ落ちていく。
「・・・って、おねーさんは覚えてないのか。じゃあしょーがないなあ。」
「ちょっと待って、きみはわたしのこと知ってるの?」
辺りはすでに赤から黒へと装いを変え、静寂がわたしたちを包む。
「・・・知ってたよ。だって、ずっと見ていたから。」
「え?見ていた?わたしを?」
少年はただ優しく微笑むだけだった。その微笑みは海のようにゆらゆらと揺らめき、
「待って!!!!」
わたしは、また暗闇へと落ちていった。
次に目が覚めたのは、見覚えのあるオフィスビルの前だった。なんで見覚えがあるんだろう。分からないけれど、なんだか嫌な感じがした。
「なにか、感じるの?」
「また、あなたなのね。」
目の前にはまたあの少年の姿があった。
「あはは。ごめんね、またぼくで。そろそろ会いたい人とか、いるんじゃない?」
「会いたい人なんて・・」
ここにはいない。目の前のビルを見て、そう思った。なんでそう思ったんだろう。何にも思い出せないはずなのに。
「ねえ、おねーさん。そろそろ時間もないからさ、本当のこと言ってよ。」
「本当のこと?」
「うん。おねーさん、ずっとこのままがいいって思ってるでしょ。」
「え?」
そんなこと・・・そういえば彼と会う前の世界はどんなだっただろう。ビルを見上げながら、ここに元の世界を知る手ががりがありそうだと思った。
「ねえ、」
「ん?どうしたの?」
「このビルのなか、ちょっと入ってみてもいいかな?きみに会う前のことが分かりそうなんだ。」
「別にぼくは止めないけど・・・どうなっても知らないよ?」
「別に、大丈夫だよ。」
わたしがそう言うと、彼の顔は途端にゆがんだ。
「その言葉・・・いや、なんでもない。いっておいで。」
彼の反応を不思議に思いながらも、わたしはビルの中に歩みを進めた。
「ずっと、見ていたって言ったのにな・・・」
彼がさみしそうに吐き出した言の葉は、誰の耳も揺らすことなく、ただ、空気に溶けていった。
「さようなら、またね、・・・しおりさん。」
やっぱり、わたしはこの場所を知っている。誰もいないけれど、確かにそう感じる。でもやっぱりいい気分はしなかった。本当になんでだろう。ここでわたしは何かやらかしたんだろうか。
そのとき、突き当たりの部屋から大きな怒鳴り声が聞こえた。
「何回言ったら分かるんだ!」
その声を聞いたとき、わたしは心臓を素手で掴まれるような衝撃を受けた。この声、この場面、わたしはしっている。震える脚をやっとのことで動かして、わたしは声のする部屋のドアを開けた。
「もうこれで何度目なんだ!本当に使えないやつだな!」
部長の怒鳴り声。
「××さん、この仕事向いてないんじゃないのお?」
ひそひそと囁く女性社員たち。
「・・・。」
そして、見て見ぬふりをするわたしの友人、だったひとたち。
ああ、もうぜんぶおもいだした。おもいだしてしまった。
ここに居てはいけない。そう思った刹那、わたしはまたあの感覚を味わった。
「まって・・・・まってよ!!!!!!」
暗闇へと、わたしは包まれるまま、落ちていった。
次に目が覚めて目に映ったのは、見慣れた白い、天井だった。
ああ、また戻ってきてしまった。
わたしの頬を一筋の雨がつたった。