My car
My car:
瑠奈には走りたい場所があった。
センパイ達がよく話していた峠だ、『初心者若葉マークを付けての運転は、他車に迷惑がかかるから止めろ!』といつか言われたことがあったが、どうしても行きたいのだ。
だからセンパイには内緒で、今週の土曜日に行く計画を立てていた。
2月も中旬になり、その日は朝から春っぽい風が柔らかく髪を通り抜け、夜の寒さも緩くなっていて心地が良かった。
バイトから帰ってすぐ、車のエンジンをかけ調子の良さはわからないけどアクセルを上から踏み込んでブォ~ンと音がし異音が無いことは耳で確認した。
瑠奈の運転姿勢は、教習所で習う『ハンドルは10時10分の位置で握り、アクセルを踏む足とシートとの距離は肘を少し曲げたくらいでハンドルがとどくように』 とかなんとかあった。
けれどそれでは窮屈で運転しにくく、決してベターなスタイルじゃないけどペダルは踵はつけず常に上から踏み込む状態で浮かせ、ハンドルは7時20~25分の位置で握り、シートの背もたれは手がハンドルに届くギリギリ位の位置まで倒すなど、ちょっと独特の姿勢なのだ。
支度が終わった後、初めてのドライブに浮かれながら、いざ街の街道から国道へ出ると何時にもなく渋滞し中々進まないのだ。 時間だけが過ぎていき何だか行くなと言われているような気分にもなり、ちょっと凹んだ瑠奈は諦めてまたの機会にすることにしたのだ。
『で、何しよう・・・何処に行こう・・・海岸線も混んでるよな~・・・
それに当てのないドライブはつまらない・・・
そうだ!この辺りから慧玖瀬さんのお店が近いよな~、寄っても良いって言ってたし』
独り言の連発だ。
お店に到着し事務所内を窺ってみると、ちょうど彼が電話をしている姿を見つけた。
瑠奈はそっと車の影に隠れつつ事務所の横側に近づいて中を覗いた。
『ハッ?ヤバッ・・・眼が合った・・・えっ?なんで?・・・』
自然と心の声が漏れてしまい、彼に手招きをされたので中に入った。
もう一人の店員もいたが、その人は口数が少なく、ちょっとぼさっとしているが実は店長で、彼は『てんてん』と呼ぶ。
「こ、こんばんは~」
「どうしたの?夜に訪ねて来るなんて」
「あぁ~・・・うぅ~んと・・・もうね~ 今日は、峠までドライブしようとせっかく出てきたのに~、国道がすんごい渋滞で車が進まないから、浮かれてた気分も凹んで諦めたんだけど、ほんとは、ほんと~に行きたかったのに~って今度の機会にしたんだ」
「ふぅ~ん。それで?」
「そうそれで、楽しみに出てきたのに家に帰るのも~海岸線まで行くのもな~、かと言って 当てのないドライブする気には全くなれなくてね~・・・ でさぁ・・・そうだ!ちょうど渋滞していた場所から此処が近かったから寄ってもいいかな~って」
瑠奈は首を傾げながら口角はキュッと上げて、眼を大きくして訴えるような表情にしてみせた。
「で?来たの?」
彼は眼を細くしニヤリと笑っている。
「なに?か変?」
「ん~、そんなにたくさんの言い訳を並べて勢いよく喋りだすとさあ、なんだか舌ったらずに聞こえてきてね~」
「・・・」
「フッ・・・それがちょっと可愛いよなって思って・・・」
「へっ?」
急に彼の不意を付かれた言葉に、顔を赤くし途惑って無言になった瑠奈
「コーヒーでも飲む?」
彼は気を利かせたつもりで出してくれた。
「・・・」
砂糖、ミルクは遠慮し、入れないのが大人の飲み方だと瑠奈は思っているので、黙り込んだまま窓の外を向いてブラックのコーヒーを飲み始める。
それは学生の時に仲の良い友達と入った恋に縁のある喫茶店で、恋バナからスマートな大人のイメージはどんなんだろうとか、大人は甘くないってことになってそれならコーヒー、紅茶には砂糖、ミルクは入れないよねって最終的に出た答えがこれになったことを今でも忘れず守っているところだ。
「今日彼氏は一緒じゃないの?」
「・・・」
瑠奈は無言のままの姿勢を崩さない・・・
「プッ・・・あっ、あのさ~、何か言ってくれないかな~」
「徠椙さん?」
「・・・」
「もしも~し。ねぇねぇ・・・何か言ってくれないとさぁ困るし、俺って悪者になるのか?」
「フゥ~ッ・・・」
「ここからお店全体が見渡せるんですね」
「そォ。よく見えるし売った車もほとんど憶えているから来るとわかるよ」
「あっ・・・だから隠れてもお見通しなんだぁ。すごいですね」
「まあねぇ。それよりやっと喋ってくれたか~」
「・・・だってぇ、悪くないけど思ってもいないこと言うから」
「・・・」
「そんなこともないと思うケドね」
「???・・・言ってることがよくわからないんだけど」
「フッ、まあいいや、で、早速マフラーを変えたんだ」
「うんそう。 センパイが『プレゼント』ってくれたんだ~。でね、ハッ・・・」
また余計な言葉を言ったような気がして瑠奈は言葉を止めた。
「な、なに? もらったんだろ、・・・優しいセンパイがいていいね」
「そうかなぁ?タメの男子との付き合いより、周りにいるのはセンパイの方が多いからつい甘えてしまう。それにずっとお兄ちゃんが居たらいいなって思ってたから・・・でもただ憧れているだけかもな~」
「優しさなら俺だって負けないけどね~・・・」
「へっ?・・・そ、それはどうも」
また変な声で返答してしまった瑠奈。
「んで?何しようか」
さっと話題を変えた彼は、車のこと、仕事のこと、たわいないこと等を話し始めた。
彼の話しは、理論的だったり、俺様的見解だったり、理屈だらけだったりと聞いていても退屈しなくて、ますますもっと聞きたくなるような「つかみ」を心得ているようで時間は過ぎていった。
「あ、車が停まったよ。見に来たのかな?」
瑠奈の声で真っ先に店長が反応して外へ出て行き、それについで、
「あっ、じゃあそろそろ帰りま~す。今日は急に来てすみません。コーヒーご馳走様」
そう言って席を立ち帰り仕度を始めると、彼は小さなカードみたいなものに何かを書いた。
「はい、手を出して。今度来るときは電話してからおいで」
彼は瑠奈の手を取りカードを持たせた。
「あっ、はい。・・・これ名刺じゃ・・・」
言いかけたが彼の表情が今までとは違うように見えそのままコートのポケットにしまい込み、サッシの扉を開けて出ると、先ほどの緩んだ暖かさは過ぎた時間と共に寒さに戻っていた。
「やっぱりまだ寒い」
瑠奈は空を見上げたが、展示場のライトが明るすぎて星は見えなかった。
「なに?」
「ううん、なんでもない」
一緒に車まで来るとマフラーを見てすぐに意地の悪い一言。
「走り屋にでもなるのか?」
「バケットシートも付けたし、なんちゃって走り屋かな~?」
瑠奈は肩を窄めてペロッと舌を出して笑った。
「今日はありがとう。じゃあ、おやすみなさい」
「気を付けて」
彼に見送られ車に乗り、車内もエンジンがまだ温まらないけれどその場所から走らせた。
そうしないと帰りたくない感情に心が支配されそうだったからだ。