1 白川旭①
旭は手持無沙汰にシャーペンをいじっていた。
転校初日から如何なものかと思えるが、教科書もノートも無い現状ではどうにも授業に乗り気にならないのも当然と言える。
本日の時間割はホームルーム、始業式、そして授業が二コマの午後前解散の形だ。生徒にとって不満しかない時間割編成である。旭はこの、授業二コマの部分をうっかり失念してしまい、隣の席の子に教科書を見せて貰っている所だ。
「初日からこれってなぁ……」
旭は溜息のように小さく呟いて、周りを見る。まだ見慣れぬクラスメイトの面々も旭と同じく授業に乗り気で無い様であった。旭とは違う心持ではあろうが、何だか妙な親近感を覚えて、今度は笑みを浮かべる。
「何か良い事でもあったのか?」
隣の、教科書を見せてくれている男子がころころ表情の変わる旭を怪訝そうに訊ねる。旭はそれにはにかんで応えるに留めた。親近感から笑っていたなんて恥ずかしくて言えまい。旭は羞恥を隠すように手元に転がっていたシャーペンを分解し始める。
外殻が剥かれ、芯が取り出され、見るも無残な姿に早変わり。部品毎に完全分解である。ただ、この手の遊びは教室でするにはかなり危険を伴う。と言うのも、部品が気付けばどこかに飛んで行き、失くしてしまう事がザラだからだ。
そして当然の如く、教科書を見せてくれていた男子が消しゴムを使おうとした際にそれは起こった。偶然にも旭の肘に触れ、その勢いで旭のシャーペンの部品が床へと飛んで行ってしまったのだ。しかもばねの部分、シャーペンの心臓とも言える重要な部分が、だ。
旭はたまらずばねを追って机の下に潜る。幸いにもばねは遠くに行っていない。旭は安堵してばねを拾い上げ、机の下から顔を出して、席に着こうとした――その時。旭の視界に不可解な物が映った。旭の机、その下部に付けられた教科書やノートを入れる収納スペースである。そこに、一冊のキャンパスノートがあったのだ。家から親に渡された書類以外は殆ど持ってきていない旭である。キャンパスノートの所有者である筈も無い。ならば誰の物なのか。
「……」
旭は訝しげに思いながら、キャンパスノートに視点を向けたままで席に着く。そして、どうにも好奇心が募り、キャンパスノートをちらりと自分にだけ見えるように引き出した。
「交換ノートVol.62」
短く、簡素なタイトルが書かれていた。持ち主の名前などは無い。旭はどれだけ続いてるんだと心の中でツッコミを入れつつ、そのまま中身を見ようとして、いや駄目だと寸前で思い留まった。交換ノートを見られたとなれば、持ち主が憤死する事間違いないからだ。
「とは言え、どうするか」
旭には幾つかの選択肢があった。
例えば落とし物を拾った際の定番中の定番。担任や教師、職員室に届け出ると言う物である。ただそれは、旭がこの場で中身を見る事を避けた理由を完全に否定する事になってしまう。落とし物コーナーに自分の交換ノートがある事を知ってしまった日には、翌日のニュースで最低でも二人以上の自殺者の情報が流れる事になるだろう。
とするなら、同様に教室のどこかに置いておき、持ち主が持ち去るのを待つのも不可能になる訳だ。この教室の机から見つかった以上、十中八九持ち主、少なくとも交換ノートのメンバーの誰かはこの教室に居る事になる。ならば黒板の端やらに置いておくのも方策である事に間違いはないのだ。ただ、前述の理由で旭は却下の判断を下す。
「ん? 待てよ、そもそも本当にこの教室に交換ノートの持ち主の一人が居るのか?」
旭は自分の机を見た。この机は今朝、しどろもどろの挨拶の後に、担任によって指定された席である。つまり、旭の机は元々どこかの教室にあって、今日より前にこの教室に運びこまれたと考える方が自然だろう。要するに、旭の手元にある交換ノートは、この机が元々あった場所、その持ち主に宛てた物と考えるべきなのだ。
そうなると旭に取れる手段は一つしかない。見なかったフリだ。交換ノートを失くしたと知れば、持ち主は半狂乱で思い当たる節を徹底的に捜しに捜す事は想像に難くない。交換ノートやそれに類する代物は、当人以外に見られれば黒歴史確定だからだ。
そして死に物狂いの持ち主たちは、いずれこの机に辿り着くかもしれない。その時にはきっと、中を見たかどうかを旭に聞く筈だ。その際に嘘を吐かないで良いように、旭は中を見るべきで無いのだ。存在自体の知らぬ、存ぜぬは嘘になってしまうが、それは思いやりの嘘だと割り切るべきだ。
そう結論付け、旭はそっと、交換ノートを机の奥に戻した。
「まあ、出来るだけ早く取りに来て欲しいよね」
彼の呟きは授業をサボった事を責め立てる様に耳触りに響く、授業終了のチャイムにかき消された。




