串カツ屋の娘
──それから、三日後。
私は九頭竜商店街の一角にある自分の家にいた。
私の家は二階建てで、一階は祖母の経営する串カツ屋となっている。狭い店内にはカウンターに席が六つと、四人掛けのテーブル席が二つあるのみだ。まあ、繁盛することなんてそうそうなく、ほとんど常連客しか来ないので、それだけで十分だろう。
また、開店するのは十七時からなので、今はまだ準備中だった。そして、私は店内で祖母の手伝いをしている。
私はテーブルに四角い容器に入ったソースを置きながら、あの日のことを考えていた。
(……あの日は、散々な目に遭ったなぁ)
本当に、酷い目に遭った。仕事に必要なゴミを『魔女』の手下に奪われたかと思ったら気絶させられて、それで意識を取り戻したら今度はあのゴリマッチョ……。
やりたくもない「アルケミー・アーツ」なんかをやらされて、散々ボコボコにされた挙句また気絶とか、まじでツイてなさすぎる。
ぼんやりとしつつも、別のテーブルにソースの入った容器を並べた。
(それにしても……。あの時神宮寺さんはどこにいたんだ? それに、この町で『魔女』に歯向かった私たちは、なんで無事に返された?)
それはまさに謎だった。何故私はこうして、婆さんの店の準備を手伝えているのか。
そりゃあ勿論「プログレッシブ」にやられた分、全然無傷ではない。それどころか、普通の人間なら死んでいてもおかしくないくらいにはダメージを食らっただろう。
だとしても、やっぱり。
(ぬるいよね。普通あの状況だったら、さっさと処分してるよ。つうか、あそこまで手の込んだことする意味もわからないし)
結局のところ、あの日の「魔女」の思惑はわからないまま、私はだらだらと串カツ屋の準備を続けるのだった。
「おい、ホオリ!」
という嗄れた声に呼ばれ、振り返る。
すると、カウンターの奥へと繋がる暖簾を押し上げて、こちらに顔を出す婆さんの姿があった。
深緑色の地味な和服と、ほぼ直角に曲がった腰。
そしてこの婆さん最大の特徴は、カリフラワーの様にもっこりとした頭──要するに、白髪のアフロヘアーだ。
神宮寺さんといい婆さんといい、私の周りには巨大アフロが二人もいる。
「なに?」
「なにじゃないよ! あんた、そんなにだらだらやってちゃ間に合わないじゃないか」
「ええ? そんなこと言うなら、せめてバイト代出してよ。いつもただ働きじゃん」
「なぁに言ってんだい。今まであんたを育ててやったんだから、少しくらい恩返ししてもバチは当たんないよ」
小言を言いながら、小さな丸い眼鏡をかけ直した。
そう、私はこの婆さんによって育てられて来た。要するに私は元捨て子であり、それを拾った人物がいて、その人がこのカリフラワー婆さんに預けたのだとか。
つまり、祖母とは言え血の繋がりはないのである。
といっても、物心ついた頃にはもう串カツ屋の娘になっていたのだから、最早本物の家族と変わらないのだけど。
「はいはい、恩返しね」
仕方なく、私はまた手を動かす。
「まったく、昔はあんなに可愛かったのに。いつからそんなに、目つきの悪い娘になったのかねぇ」
「さあ? この商店街で育ったお陰じゃない?」
「はぁ、本当に口の悪い子だよ」
などと嫌味の応酬をしていると、ガラガラと音を立てて、入り口の引き戸が横に動いた。
表にはちゃんと「準備中」の札をかけてあるのに、いったい誰だろうと、私たちは戸口に注目する。
「やあ、どうも」
と、軽い挨拶と共に現れたのは、黒いマリモ──もとい、私の上司である神宮寺さんであった。
彼は後ろ手に引き戸を閉めると、店内に入って来る。今日もズボンと揃いの黒いジャケットを、白いシャツの上に羽織っていた。
「なんだい、こんな時間に。表の札が見えなかったかい?」
串カツ屋の店主は、この意外な来客に噛み付く。
「すみません、今日は食事に来たんじゃないんですよ」
「そうかい。なら、帰りな。ここは串カツ屋だよ。串に刺したカツを食わない奴ぁ、お呼びじゃないね」
「いやぁ、また今度食べに来ますから。それより、ホオリちゃんお借りしてもいいですかね?」
そう言って、ちらりと横目で私を見た。いったい何の用だろう。神宮寺さんってことは、おそらく“仕事”に関することだろうが、何故今日に限って直接うちに来たんだ?
そんな疑問を抱きつつ視線を返すと、何故か目を逸らされてしまった。
「……ふんっ、いいだろう。連れてきな」
「え? いいの?」
神宮寺さんよりも先に、私が聞き返す。さっきまでは、さっさと準備をしろとうるさかったのに。
「いいさ。あんたがいない方が、かえってすぐ済むからね」
「はあ? なにその言い方」
私は育ての親に全力でガンを飛ばした。その様子を見た神宮寺さんが、慌てて宥める。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。──ありがとうございます。それでは、お借りしますね。行こうか、ホオリちゃん」
「いいけど、どこに行くの?」
店の手伝いなんかしたくないし、このマリモには聞きたいことがあったので、ちょうどよかった。
とは言え、当然どこに連れて行かれるのかは気になる。
「ああ、『ゴミの山脈』だよ」
「ゴミの山脈」とは、この町の外れにある超不衛生なスポットで、その名のとおり山になるほどゴミが積まれている。そんな普通は誰も行きたがらない様な場所に、私たち「神宮寺清掃会社」はよく出入りしていたのだった。
(ということは、仕事が来たのかな?)
そう予想して、前回の分を取り戻すチャンスかと思ったが、どうやらそうでもないらしかった。
「詳しくは、向こうに着いてから説明するよ」
何故かはぐらかす様にそう言って、私の出発を促す神宮寺さん。どういうわけか急いでいるらしく、その様子を見た私は思う。
この黒アフロ、やっぱり怪しいと。
*
神宮寺さんの運転する軽トラに揺られること十数分、私たちは「ゴミの山脈」に辿り着いた。
三メートルはある巨大なフェンスの向こうでは、山積みにされたありとあらゆるゴミの山と、その上空を飛ぶカラスの群れが見える。
また、強烈な腐臭が風に乗って漂い、通い慣れたはずの私たちと言えど、思わず顔をしかめてしまうほどだ。
まあ、要するにいつもどおりの「ゴミの山脈」なんだけど。
神宮寺さんが先に立ち、フェンスの入り口を押し開けて中に入る。私はそれに続きながら、横目で後ろを見た。
そこには、先ほど私たちが乗って来たオンボロ軽トラックの姿が。
「にしてもよく使えるよね、あれ。しかも、こんなにすぐ直るなんて」
三日前に道路標識に突っ込んだと言うのに、もう動ける様になるとは。どうやら我が社の軽トラは、またも死の淵から生還したらしい。
「知り合いに無理を言って、直してもらったんだよ」
「へえ。それって、いつもお菓子くれる人?」
「う、うん、まあね」
私の上司である神宮寺アキラには、謎のパトロンがいる。その人物について尋ねると決まって誤魔化されるので、私も詳細は知らないが、予想ではおそらく女だ。
そして、この黒マリモはその女のヒモをしているに違いない、というのが私の見立てだった。というか、仕事が滅多に来ない「清掃会社」だけで生計を立てられるはずないし。
(もしかして、そのパトロンがこの間や今日のことに関係してるとか? もしそうだとしたら、この人のパトロンは『魔女』の関係者?)
そんな疑惑を抱きながらゴミの中を進むと、やがて少し開けた場所に出る。
そこには真っ赤な鳥居が建っており、その奥には見慣れた小さな社が。
「って、ここアズサの家じゃん」
「ゴミの山脈」に住む唯一の人間にして私たちに仕事を紹介してくれる巫女服の女、鳳凰堂アズサの家の前に、私連れて来られていたのだった。
「うん。今日の用事は彼女も関わっているからね。さあ、行こう」
質問は言わせないとばかりに、神宮寺さんは歩き出す。やはり、今日は様子が変だ。
ほどなくして、私たちは賽銭箱の前で立ち止まった。
「……ホオリちゃん、お願いします」
「またかよ。なんでいつも小銭持ってないのさ」
文句を言いつつも、仕方なくがま口から五円玉を取り出して、賽銭箱へ投げ入れた。
チャリンという小銭が落ちる音がして、社の扉が両側に開き始める。
いつも思うけど、いったいどういう仕組みなのだろう。というか、これに何の意味があるんだ?
やがて扉は完全に開き、中から巫女服を着た「ゴミの山脈」の住人が現れた。
「やあ、二人ともよく来たな」
アズサは少し意地悪そうなネコ目を、眩しそうに細めて言った。赤みを帯びた黒い髪は背中まで伸ばされていて、先の方で一つに纏めている。
「ふうん。てことは、今日はアズサが私たちを呼び出したってこと?」
「ああ、そのとおりだ。とは言っても、別に私一人がどうのという話ではないがな」
「へえ……」
(そんな言い方するってことは、アズサ以外の何者かも関わってるのか。それも、うちの社長だけじゃなさそう)
「で? 用件は何?」
「うむ。これはまあ、早い話が金儲けの誘いなのだが」
と、少しもったいつける様な前置きをして、
「ホオリ、君に『アルケミー・アーツ』を」
「断る」