VSプログレッシブ(1)
変身した魔力強化人間を見て、私は改めて不利な状況にあることを認識した。しかも、あの感じだとただ魔力強化人間というだけではなく、「アルケミー・アーツ」のプレイヤーなのだろう。
そんな奴とリングの上で闘うなんて、無謀にもほどがある。
(けど、そうも言ってられないんだよね)
そう、たとえどんなに勝ち目がないとしても、ここで逃げ出すわけにはいかなかった。
何故なら、あのゴミを取り戻せなければ仕事ができず、一銭も入って来なくなるからだ。
(と、いうわけで)
私は、さっきからずっと足元に居ながら放置状態だった植物幼女に、声をかける。
「だって。どうする? ラウネ」
「……しくしく」
体育座りをして俯いていたラウネは、何故か酷く落ち込んだ様子で、私の言葉に答えない。頭から生えた二枚の葉っぱも、しょんぼりと萎れていた。
と、床に落ちた袋とクッキーが目に入り、なんとなく項垂れている理由に見当がつく。
「あんた、もしかしてまだクッキーのことを……」
「だ、だって、今日はいっぱい食べれると思ったんやもん!」
こちらを向いたラウネは、相当ショックだったのか黄色い瞳に大粒の涙を浮かべている。
(うわぁ、ガチ泣きじゃん)
私はそのクッキーに対する執念に少し引きつつも、すぐに真剣な表情を取り繕って、
「……ラウネ、実はあんたに黙っていたことがある」
「ふぇ?」
「あんたが大好きなクッキーなんだけど、実はあれには致死量があるんだ」
「ええ⁉︎ ほ、ホンマに?」
「ああ、だから今まで少しずつしかあげられなかったんだよ」
我ながらとんでもない出まかせを言った。
だが、予想通りラウネはこれを簡単に信じたらしい。
「そ、そうやったんか。だから、ホオリはいつも一枚ずつしか……ん? ちょっと待てよ」
「ん? 何?」
「そやったら、もしかして私にクッキーをくれたあのマッチョは……」
「ああ、それね。うん、おそらく騙して殺そうとしてたんだろう」
「な、なんやて⁉︎」
心底驚いたかの様に目を丸くした、かと思うと急に立ち上がる。しかも、その顔は怒りで真っ赤になっていた。
「許さへんぞ! 腐れペテンマッチョぉ!」
またも、すんなり信じ切った様子である。
(扱いやすい奴でよかった)
ひとまずラウネを焚きつけることに成功した私は、改めて覆面マッチョに向き直った。奴はこちらを指差したポーズのまま、固まっている。
そして、私はラウネの頭から生えた果実に、右手を伸ばした。
「いくよ、ラウネ!」
「おうよ!」
ヘタごとその実をもぎ取って、勢いよく噛り付いた。プシュッと果汁が弾け、口の中に酸っぱい味が広がる。
するとラウネの体は輝き、植物幼女から一振りの刀へと姿を変えた。
「ほう……面白いことをするんだね」
V字型のツノを生やした覆面が、露わになっている口角を上げる。当然と言えば当然だけど、私たちのしていることはこいつにとって興味深い物らしい。
すっかり刀モードとなったラウネの木製の柄を右手で握り、その刃渡り三十センチの赤い刃を、覆面マッチョに突きつけた。
「お待たせ。それじゃあ、さっそく」
「クッキーの恨み晴らさせてもらうで!」
と言うラウネの逆恨み宣言を聞いた直後、私もその場でシャンプして、ついにリングの上に降り立った。独特のクッション性に、少しだけ違和感を覚える。
「ふふ……ハハハハハ、いいだろう! この『プログレッシブ』こと御手洗マサミチ、全力で相手になるぞ!」
大声でそう叫ぶと、「プロなんとか」こと御手洗なんとかは、赤いマントを翻してこちらに突進して来きた。迫り来る水色と赤の弾丸に、私はラウネを構え直す。
「はっ!」
掛け声と共に、右の拳が繰り出された。私はそれを両手で握ったラウネの刃を返して受け流す。
すると、続け様に左腕を突き出して来たので、今度は後ろに飛び退いて避けた。
「ふふふ、ちゃんと僕の拳が見えている様だね」
「まあね、一応こっちも現役の九頭竜町民だから」
「ふっ、そうか。ならば──」
またも楽しそうに口元を歪めた覆面は、その場で真っ直ぐに正拳突きをする。さっき私が飛び退いたことにより、明らかに間合いではないはずなのに、何故そんなことをしたのか──と言う疑問は、瞬時に解決された。
奴の突き出した腕から、拳の形をした水の塊が放たれたのである。
「げっ! いきなり『人造魔法』⁉︎」
「ま、まずいでホオリ!」
私は咄嗟に横に跳ぶが、次の瞬間なんと水の拳はこちらを追いかける様に急激に曲がったのだった。
「くっ! 切るしかないか」
ラウネを持つ手に力を込めて、向かって来る水流の正拳を横にした赤い刃で迎え撃つ。
「はあぁぁぁぁぁ!」
両脚を慣れないリングの上で踏ん張って、そのまま拳を真っ二つに切り裂こうと試みた。突き刺した赤い刀身は、まるで滝の流れに逆らっているの様にどんどん重たくなって行く。
水がバシャバシャと弾け、体に降りかかるのがとてもうっとおしい。
と、その時、私は背後から殺気を感じ取り、反射的にまた横に飛んで避ける。
そして、ロープ際に着地して元いた場所を見ると、そこには覆面とマントを着けたキモいおっさんの姿が。
「ほう、鋭いね。まるで野生動物の様だ」
「へえ、そりゃどうも。つうか今更だけど、商店街で攻撃して来たのあんただよね?」
「いかにも」
無駄に堂々と胸を張って、この即答ぶり。水色のタイツの胸にある「M」を象ったロゴが、会場のライトをキラリと反射した。
「……あんた、散々不本意とか言ってたけど、絶対そんなこと思ってないでしょ」
「ハハハハハ!」
「あ、アイツ、笑って誤魔化したで……」
ラウネがドン引きするほどとは、御手洗とやらただ者じゃない。
(って、そんなことより。今ので、ますます不利なことがわかっちゃったよね)
私は両手を腰に当て笑い続ける覆面を見やりながら、思考を働かせる。
(奴の魔法は水の魔法で、あのパツ金と同じ様に飛び道具として使って来る。しかも、結構なホーミング性能もついているらしい。
そして、どうにかこうにかあの水の拳を捌けたとしても、それだけに気を取られていたら本体ーーゴリゴリマッチョボディからの攻撃を受ける。事実、さっきだって簡単に背中を取られたんだ。
で、極めつけはこのリング)
私はちらりと視線を後ろにやった。私の背中とリングのロープとの間の距離は、わずか数センチとなっている。
(この狭さ、避けながら戦うには限界がある……)
もう一度顔を前に向けて、相変わらず余裕をかまし続ける御手洗を睨んだ。
「どうしたんだ? 考え事はもういいのかい?」
まるで待っていてやったとでも言いたげな、なんともムカつく言い方である。この状況といいこいつの態度といい、反吐が出そうだ。
「まあ、一応ね。ところで、一つ訊きたいことがあるんだけど」
「む? なんだね? 僕が答えられることなら、なんでも訊いてくれたまえ」
と、無意味に快い返事をくれたので、正直今の戦いには関係ないんだけど、思い切って尋ねてみることにした。
「じゃ、お言葉に甘えて。あんたのその胸のマークってさ、御手洗の『M』なの? それともマサミチの『M』?」
「…………」
すると、予想外にも奴の反応は沈黙である。
「ホオリ、さすがにそれは関係なさすぎるやろ」
「え? だって、ちょっと気になったし……」
呆れた様子のラウネに、私はさらっとそう言う。そんなやり取りをしていると、M手洗Mミチはおもむろに口を開いた。
「……ふふ、知りたいかね?」
「いや、別に。正直どっちでもいい」
「ふふふ、そんなに知りたいかぁ! ならば!」
人の話も聞かずに、何やら勝手にヒートアップし始める。
「この僕をリングに沈めてみたまえ! とぅ!」
覆面マッチョはまたもヒーローを意識した様な変な声を発し、長靴でリングの青いマットを蹴って跳躍した。赤いマントと水色のタイツ姿は、ライトによる逆光の為おかしな形の影となって、私たちに襲い来る。
「いやだから、そこまでして知りたくはないって」
言いながらも、私は次の攻撃に備えてラウネを構え直した。
*
──同時刻、スタジアム内の特別観戦席。通常の客席の上から覆い被さる様に迫り出したこの空間は、目の前がガラス張りとなっていて、外界から遮断されていた。また、位置で言え観客席の中央にあたる。
通常時ここを利用できるのは、観客の中でもごく一部のVIPのみなのだが、現在中にいるのは二人の男だった。
豪勢なシャンデリアの明かりに照らされたその内の一人が、ガラスの向こうで繰り広げられる戦いを見下ろして、呟く。
「……それにしても、『魔女』も酷いことをする」
もじゃもじゃのアフロヘアーに黒いジャケットを着た男──神宮寺アキラは、答えを促す様に部屋の中を振り返った。
彼の視線は高級そうな絨毯を敷き詰めた空間の真ん中、設置された椅子に深々と腰掛けている金髪の男に向けられる。
「くくく、なぁに言ってんだ? お前さんたちだってわかってたじゃねえか。こうなることを、な」
淵の細い眼鏡をかけたその男は、すぐ側に置かれた丸いテーブルの上の物に手を伸ばしながら、神宮寺を見ずに答えた。
その手の行く手には、様々な果物を盛り合わせたバスケットがあり、彼はその中からリンゴを一つ取り出す。
そのまま、右手の中でそれを弄んだ。
「それはそうだが……。それにしたって何もいきなりプロ、それもトッププレイヤーをぶつけなくてもいいだろう」
「くく、確かになぁ。まあ、あの子には可哀想だがよ、スパルタ教育って奴じゃねぇの?」
愉快そうに答えると、金髪は先ほどのリンゴに豪快に齧りつく。シャリシャリと音を立てて、口の中の物を咀嚼した。
そして神宮寺は体を回して、再び眼下のリングへと目を向ける。
そこでは先ほどと同様、覆面をしたマントの男の放つ魔法から、深緑色のパーカーの少女が逃げ回っていた。
(……ホオリちゃん。どうか、無事でいてくれ)
「神宮寺清掃会社」の社長は、部下の無事を祈るのだった。