リングへ
この世界には、大きく分けて三つの魔法が存在している。
①「天然魔法」
その名の通り天然の魔法であり、現在この魔法を使える人物は、私の知る限り五人しかいない(もちろん、九頭竜町の『魔女』もそのうちの一人だ)。
他の二つの魔法と違い、物によっては特殊な呪文や魔法陣を使うこともあるらしい。
②「簡易魔法」
こちらは「天然魔法」とは違い、誰にでも発動させられる。
ただ、それにはパツ金がしていた指輪の様な、魔力の込められたアイテムが不可欠で、それらは主に「天然魔法」を使える(魔力を持つ)人間が生産し、自分の部下などに与えている。
③「人工魔法」
これは、魔力強化人間が使う魔法の呼び名である。彼らの頭の中に埋め込まれた装置が生成する魔力が人工物であることから、こう呼ばれる様になったとか。
「簡易魔法」とは段違いの威力を発揮するが、そもそも魔力強化人間自体の数が少ない為、普通は滅多にお目にかかることはない。
以上の三つが、今現在この世界に存在する魔法であである。
また、これらの魔法は全て“四大元素”という物により構成されている。つまり、どの魔法も、発動させるには魔力と元素が必要なのであった。
「……んんっ」
意識を取り戻した私は、脇腹に痛みを感じながら、ゆっくりと目を開いた。
そしてすぐに、自分がパイプ椅子に座らされていることに気がつく。しかも、左手首に取り付けられた“腕時計の様な赤い機械”以外には、特に体の自由を奪われていない。
「ここ、は……?」
私がいたのは、長方形の小さな部屋の真ん中だった。天井からぶら下がった武骨なライトに照らされた薄汚れた壁には、A3サイズのポスターが数枚貼られている。
お腹をさすって椅子から立ち上がった私は、さらに室内を見回した。
私のつま先が向いている方を前と考えて、右手の奥にはボコボコにヘコんだロッカーが三つ並んでいる。続いて後ろには背もたれのないソファーが置かれていて、所々中のスポンジが飛び出ていた。
そして左に首を捻ると、錆び付いた黒いドアと、天井近くに備え付けられたスピーカーが目に入る。
「……」
ここがどこなのか、私には思い当たる場所があった。正直確証はないものの、先ほど見つけたポスターと左手首に嵌められている機械が、それを物語っている。
ポスターの内容は派手な見出しと、その下でファイティングポーズをとっているヘンテコな格好の男女だった。
また、腕時計の様な赤い機械には、真ん中に半球型の黒い水晶の様な物があつらえてある。
それらはこの町で流行っている、とある娯楽を連想させた。
つまり、おそらくここは控え室か何かなのだ。
──魔法を使用した格闘技、「アルケミー・アーツ」の。
(それはそうと、どうしようかな。取り敢えず、この部屋から出れたとして、その後は……)
ここが「アルケミー・アーツ」の選手控え室だとすると、おそらく「魔女」やその部下がすぐ近くにいるはずで、のこのこ出て行って見つかりでもしたら即アウトだろう。
私は部屋の中を行ったり来たりしながら、考えを巡らせた。
そしてまた、左手に目をくれる。
(にしても、なんでコレが私の手首に付いてるんだ? なんだか、嫌な予感しかしないんだけど……)
と、その時、先ほど見つけたスピーカーが突然声を発したのだった。
『ああ、テステス』
それは、女の声だった。私は反射的にスピーカーの方に顔を向ける。
『聞こえるか? 日高ホオリ』
(この声、ずっと前にどこかで……)
どこで聞いた誰の物なのか思い出せないが、確かに聞き覚えのある声に、私は何故か苛立ちを感じる。
『ククク、ちょうど気がついたところらしいな。ならば──』
偉そうな、嫌な笑いがしたかと思うと、どういうわけか錆び付いた黒いドアが一人でに開いた。
その向こうには、穴の底の様に暗い廊下が見える。
『この先に進むがよい。そして、リングに上がれ』
有無を言わせぬ声が響き、そして私は思い当たる。これは、この声の主は──「魔女」だと。
*
狭い暗い廊下は静まり返っており、かつかつという私の足音だけが響き渡る。床も壁も天井もコンクリート剥き出しの空間で、酷く殺風景だ。
私はその、ただ会場へと向かう為だけにある道を、黙ったまま歩いた。
と、程なくして行き止まりの壁にぶち当たる。正確にはそれは壁ではなく、シャッターの降り切った扉であった。
シャッターにはペンキか何かで、大きく「赤」とだけ書いてある。
(この先に、リングとやらがあるってことか。……けど、やっぱりこれってそう言うことだよね)
私はもう一度左手首に視線を落とした。ものすごく不本意ながら、少しだけ「魔女」の意図が読めてしまう。
そして、さらにこちらの選択肢を潰すかの様に、目の前のシャッターが軋み始めた。
ギシギシと音を立てて少しずつ上がるにつれ、眩しい光が差し込んでくる。
やがて、その四角い口は完全に開いた。
(はあ、行くしかないのか……)
あまり気乗りはしなかったが、このまま立ち止まっていても始まらないので、仕方なくスニーカーを履いた右足を、一歩前に出す。
こうして、私は光の向こうへと踏み出したのだった。
──まず目に入ったのは、すり鉢状の、見たことのないくらいの人間が座れるであろう客席で、今はどれも空席である。
そして、天井から客席に向けて斜めに設置された四枚の巨大なモニターも電源はついておらず、暗く沈黙したままだった。
続いてその中心には、客席から数メートルの間隔を開けて、「魔女」が言っていたリングと、二人の人物が私を待ち受けていた。彼らはそれぞれリングを挟む様にいて、そのうちの一人、見慣れた顔の方が私を見て口を開く。
「ああ⁉︎ ホオリ! お前騙したなぁ!」
という大声を上げて見慣れた顔──ラウネが、赤い髪と緑色の葉っぱを揺らして一目散に駆けて来た。
で、私に飛びかかって来る。その右手に、クッキーの入った袋を持ったまま。
「なぁにが『貴族ですら滅多に食べれない超高級品』やねん! 売ってるやん! コンビニでぇ!」
「痛いって! 離してよ! だいたい、簡単に信じる方が悪いの!」
「何をぉぉ!」
「いたたたっ! 噛むなって!」
私は右腕をぶんぶんと振り回して、噛み付いたラウネを少々乱暴に落とす。
すると、植物幼女は袋の中のクッキーを撒き散らしながら吹き飛んで、リングの黒いロープにぶつかり軽くバウンドした。
「ぐふっ」
で、結局その場に座り込む。私はラウネに近づきつつも、リングの向こうに立つ男に視線を送った。
「それで? うちの子に余計なこと(本当のことだけど)を教えたのは、あんた?」
その問いかけに男は、勿論と答える様ににこりと微笑む。
──短く刈り上げた水色の髪に、同じ色の濃い眉毛(しかも、左側にはラインを入れている)。また、その下の灰色の瞳は、なんだか余裕シャクシャクといった感じでとても気に入らない。
そして、その余裕の裏付けのうちの一つであろう、ノースリーブの黒いシャツに浮かぶ鍛え上げられた肉体は、明らかにプロの格闘家の物であった。
(なんなの? このゴリマッチョ。へらへらしちゃって)
私は威嚇の表情を作り、さらに声をかける。
「にやけてないで答えなよ。それとも、無理矢理にでも答えさせてあげようか?」
すると、男の反応は、
「はぁ……」
あろうことか、ため息であった。しかも、にやけ面のままでた。
「は?」
「いや、なに。大したことではないんだが、実のところ気が進まなくてね」
と、今度は急に自分の心情を語り始める。その素振りはちょっとナルシストっぽくて、正直“生理的に無理”な感じだった。
「本当は僕だって、素人相手にこんなことはしたくなかったんだが……仕方ないんだよ。『魔女』がお望みらしいから」
まるで本当に辛いとでも言う様な、かなり芝居がかった仕草をして、ゴリマッチョは言う。
そして、そんなことを言いつつも、彼は左手首に装着していた青い機械(私が付けられていた物の色違い)に手を伸ばした。
カチッと、ボタンを押す音が響く。
「さあ、君も“ウォッチ”のボタンを押したまえ。ほら、ここにある奴だ」
そう言うと、ムキムキの左腕を裏返して掲げ、ボタンとやらがある場所を示して来た。なるほど、指差す位置を見てみると、確かに私のにも、真ん中の水晶が嵌め込まれた円盤の側面に、灰色のスイッチが付いている。
「やれやれ、今日はやたら変なおっさんに絡まれる」
とはいえ押さないと話が進まなそうだったので、私も人差し指で、ウォッチという名前らしい機械をポチッとやった。
すると、スーパーボールくらいの大きさの水晶が薄っすらと輝き出し、その中心に「500」という数値が表示される。
「そこに表示された数字は、君の体力を表す物だよ。試合中はダメージを受けるごとにその数字が減って行き、0になった時点で負けだから、気をつけておきたまえ」
と、ご丁寧にも解説してくれるゴリマッチョ。
「ふうん、そう。つうか、やっぱりやるってことなの?」
「ああ、僕としても本意ではないのだがね……。『魔女』様の命令とあっては、致し方ない」
憐れみの色を浮かべた瞳でこちらを見据え、またも芝居がかったキモい口調で言った。
しかも、本意ではないとか言ってるくせに、本日二人目の変なおっさんは、すぐさま次の動作へと移る。
「悪く思わないでくれたまえ」
ゴリマッチョは、右手の人差し指と中指を立てて、それを自分の額にあてがった。そして、無駄にバリトンのいい声で、ある言葉を呟く。
「マジカライズ」
その直後、青白い光が筋肉質な体を包み込んだ。
迷彩柄のズボンと黒いノースリーブは、上下一体となった水色のタイツへと変わる。また、赤い長靴を履いた太い脚の先には、ブーメラン型のパンツをしていた。
そして、胸には大きくアルファベットの「M」を象ったロゴがあり、肩からは真っ赤なマントを靡かせている。
極めつけはその頭で、口元が出た青い覆面が装着され、V字のツノと三角形の黄色い目が付いたそれは、まるでレスラーがする物の様であった。
──光が完全に消え去ると、ゴリマッチョは覆面レスラーとスーパーヒーローを足して二で割った様な、世にも珍妙な姿へと、変身していたのだった。
(こいつ、やっぱり魔力強化人間……!)
実際に変身したところを見て少々たじろぐ私を他所に、覆面マッチョはその場で跳ぶと、
「とぅっ!」
というかけ声と共にくるりと一回転して、リングの中に着地した。
そう、私も実際に目にするのはこの日が始めてだったが、魔力強化人間は変身するのである。
詳しいメカニズムは知らないが、なんでも魔力を精製する際に生じたエネルギーを逃がす為に、身に纏った物や体の一部を変化させるのだとか。
「さあ、君もリングへ上がるのだ。苦しむ間も無く終わらせてあげよう!」
長靴と同じ色の手袋をはめた右手の人差し指をピシッと立て、こちらを指して言い放つ。
私は改めて自分の置かれた状況を思い、苦笑いを浮かべた。