「魔女」の使い
それが起きたのは、私たちの会社まであと数十メートルというところまで来た時だった。
神宮寺さんが運転する軽トラの車体が、それまでとは比べものにならないくらい大きく揺れたのである。
「うわっ⁉︎」
「何?」
一瞬前輪が完全に浮き、そのまま横倒しになって軒を連ねる店先に突っ込むのを、神宮寺さんはステアリングを回して回避した。が、倒れはしなかったものの、軽トラはくるくると二回転半して、道の脇の標識にぶち当たって止まる。
「痛たた……大丈夫かい?」
エアバックが飛び出した車内で、さらに自身の髪型もあってか、かなり窮屈そうな状態の神宮寺さんが尋ねる。どうやら、彼も私も一応怪我はしていないらしい。
「うん、なんとか。それより、これって……?」
シートベルトを外すと、私は少し歪んでいたドアを蹴り開けて、外に出てみた。
すると、そこには──
黒い背広を着た三人の男たちが、荷台の上に立っていたのだった。
しかも、その内の一人の金髪の男は、ぐったりとした様子のゴミを、左腕で抱えている。
そして、私に気がついたらしいその男は、縁の細い眼鏡をかけた顔をこちらに向けて、ニヤリと笑った。
「やあやあ、清掃会社か。奇遇だなぁ」
「……あんたら、『魔女』の」
私は、嫌な笑顔を浮かべる男を睨み返す。
彼らは、この九頭竜町の支配者である、「魔女」と呼ばれるイケすかない女の部下であった。
「くくく、そんなに怖い顔しなくてもいいだろ? せっかくの美人が台無しだよぉ?」
「はあ? そんなことより、私たちの仕事邪魔ないでよ」
「くく、それは悪いことをしたな。──だぁが、生憎お前さん方の仕事はキャンセルだ」
「あ?」
自分でも青筋が立っているのがわかるほど、もう一度強く睨みつける。
すると、パツ金くそ眼鏡は、腕に抱えたゴミを少し揺らして、
「こいつは『奥様』の物なんだよ。つ・う・わ・けで、てめえら! その小娘を抑えとけ!」
そう怒鳴りつけると共に、残りの二人の背広が、荷台から飛び降りてこちらに向かって来た。
(『奥様』のってことは、やっぱりこいつら『魔女』の命令で……。ちっ、面倒なことになった!)
そいつらはどっちも丸いサングラスをしており、髪型も同じスキンヘッドで、まるで双子の様な見た目をしている。
そして、全く同じタイミングで背広の内ポケットに右手を突っ込むと、これまた同時に、十数センチほどの黒い鉄の塊を取り出した。
「うわっ、いきなりチャカ出すって」
要するに、相当ガチな任務らしい。が、こっちだって生活がかかっているので、そうやすやすと飯のタネを渡すわけにはいかなかった。
意を決した私は、地面を蹴って双子のハゲ目がけて走り出す。
「うおらっ!」
そして二つの引き金が引かれる瞬間、全力で真上に飛ぶと、そのまま空中で一回転して、奴らの背後に着地した。
獲物を捉え損ねた銃声がパンパンと鳴り響いた後、双子は振り返ろうとするが、その前にまず左にいた方が吹き飛ばされ、右の方と“ごっつんこ”して、最終的には兄弟仲良く、私たちの軽トラの助手席に突っ込んで行く。
一蹴りで大人の男二人を片付けるとは、我ながら惚れ惚れする威力だ。
「くくく、相変わらず怪力だけは凄まじいなぁ、ポンコツちゃん」
荷台の上から観戦していた金髪が、こちらを見下ろして苦笑いを浮かべる。
「そりゃどうも。あんたもすぐに同じ目を合わせてあげるよ」
今度は私が不敵な笑みを見せた。
と、何故かその男もすぐににやけ出し、嫌な予感がした次の瞬間、
「そいつぁ、楽しみだにぃ」
パツ金腐れ眼鏡が、右腕を空に向けて挙げる。その中指に、赤い宝石を埋め込ん指輪が嵌められていることに、私はすぐに気がついた。
「けどその前に、お前さんは丸焦げだ」
その言葉の直後、男の右手から、バスケットボールくらいの大きさの火の玉が放たれる。
(げっ! 『簡易魔法』⁉︎)
私は横に飛んで避けたが、すぐに追撃の炎は飛んで来た。
「ちょっとあんた、この町を燃やすつもりかよ! ただでさえ木造ばっかなんだから!」
「くく、だぁい丈夫だよ。そうなっても、『奥様』が直してくれるからさ」
相変わらず、にやけ面で火球を撃ち続ける金髪。頭おかしすぎるだろと思いつつ、なんとか攻撃を躱す。
気がつけば往来からは人がいなくなっており、皆近くの店に避難したり、戸を閉めたりしていた。
(これはちょっと厳しいかも……。せめて、一度会社に戻らないと)
ガードレールの上にピタリと着地した私は、目だけを動かして会社のある方を見る。距離にして二、三十メートル。全力で走れば、そこまでダメージを負わずに辿り着けるかもしれない。
そう判断した私はすぐにガードレールから飛び降り、全速力で走り出した。
そして、ちょうどのその時、それまでは正確に私の行く先を狙っていた火球が、あらぬ方向へと撃たれ、どこかの店の看板が焼け落ちる。
不思議に思い、横目で振り返ると、
「なぁにしてくれてんだぁ? お前さん……」
「ぐぬぬっ! 今のうちだ、ホオリちゃん!」
なんと、さっきまで全く戦いに参加していなかった神宮寺さんが、後ろから金髪の男を羽交い絞めにしていたのだった。
「神宮寺さん……」
私はすぐに前に向き直り、アスファルトの上を駆け抜ける。
程なくして、斜めに傾いた我が社の看板へと辿り着いた。
*
思いっきり戸を横に引いて、私は薄暗い社内に入った。
そのまま左手に見える植木鉢へと向かいかけて、すぐに思い留まる。
私は逆側の壁に設置された棚から瓶を一つ選び、その蓋を開けてチョコチップクッキーを一枚取り出した。
そして、今度こそ植木鉢の前に立つ。壺型の鉢の中では、緑色の二枚の葉と、まだ青い果実が生えている。
「……」
私はその葉を両方とも右手で掴むと、一気に引き上げる。植木鉢に詰められていた土が、同時に舞い上がった。
その先にはーー、
「……ふわぁ……あれ?もう朝か?」
後ろの方で二つに結んだ赤い髪と、眠たそうな子供の顔、そして土まみれのワンピースがくっ付いていた。
というか、こっちがこの植物の本体であり、我らが「神宮寺清掃会社」の三人目の社員であった。
「起きろラウネ! あんたにも仕事だよ!」
「ええ? もうちょい寝かせといてや〜」
私の手からぶら下がったまま、ラウネは文句と共に目元を擦る。こいつの喋り方には独特の訛りがあって、今みたいに時間がない時にやられると、少々イラっとした。
なので、私はいつもの様にちょっとだけ意地悪をしてみる。
「ふぅん、まあ寝てもいいんだけど、あんた要らないの? これ」
「ふえ?」
そう言いながら差し出したのは、先ほど神宮寺さんのおやつの中から失敬した、一枚のクッキーであった。
それを見た瞬間、明らかにラウネの目の輝きが変わる。
「そ、そ、それは……」
「チョコチップクッキー。ほしい?」
「え、ええんか? そんな、クッキーなんて食っても、ええんか⁉︎」
たかが一枚のお菓子を見つめて、下品にヨダレを垂らすマンドレイク。相変わらず、なんというか貧乏症だ。
「もちろん、いいよ。ただし、仕事をしてくれたらね」
「す、する! いくらでもするから、クッキー食わせてや!」
「よし。ほら」
私はそこでようやくラウネを床に降ろすと、左手に持っていた物を手渡した。
すると彼女はそれを両手で握って、美味しそうに齧り出す。本当になんの変哲もないただのクッキーなのだが、こいつへの軽い嫌がらせの一環として、超高級な食材として教え込んで来たのだった。
まあ、それですんなり信じたのには驚いたけども。
「それじゃあ行くぞ、ラウネ。“お客さん”がすぐそこまで来てる」
「おうよ! ちゃっちゃとイバくでぇ」
なんとも現金なマンドレイクを引き連れ、私は会社から外の通りへと出た。
*
「ちっ! いいかげん、うっとおーしい!」
「うがっ⁉︎」
金髪の男はやっとの思いで、後ろから組み付いていたアフロヘアーを引き剥がした。突き放された方の男は、そのまま軽トラックの荷台から転がり落ちる。
(……なんだ? これ。急に空から人が襲って来たと思ったら、気絶させられて……。で、気がついたらこんなことに)
空から来た男の腕に抱えられた俺は、取り敢えず気絶したフリを続けながら、どうにかこの状況を把握しようとしていた。──が、無理だ! だってこの人、空飛ぶ箒に乗ってた上に、手から炎出してたんだもの!
(これはアレか? 魔法の世界とか、そういうノリか? ……いやいや、そんなの納得できねえ。というか、したくないって!)
結局把握するどころか余計に混乱した俺は、薄く目を開けた。抱えられたままなので、視界は逆さまだ。
と、その中、小さな建物がひしめき合う様に並ぶ道の先に、俺は先ほど「ゴミの山脈」とやらで出会った女の子を見つけた。そしてその隣には、小学校低学年くらいの歳の娘の姿も。
「おやおや?“おめかし”は済んだのかい?」
金髪の男も気がついたらしく、あちらの方に体を向けて、軽い口調で声をかけた。
「うん、お陰様でバッチリだよ」
「へえ、そいつはよかった。──って、さっきと全然変わってなくねぇ?」
スタッと荷台から飛び降りながら、彼はそう続ける。
すると、パーカーを来た少女は、ニヤリと不敵に笑って、
「そりゃね。だって、変わるのはこれからだから」
そう言うと、隣にいた子供の頭から生えた(冷静になって考えたら、頭に植物が生えてるのもわけがわからん)握り拳くらいの大きさの果実に、手をかけた。
続いてそれを“ヘタ”ごと摘み取ると、何故か口元に運ぶ。
「いくよ、ラウネ」
「ばっちこい!」
そして、彼女は右手に握ったその実を、勢いよく齧ったのだった。プシュッと果汁が弾けたかと思うと、相当酸っぱいのか、少女は少しだけ顔を歪めた。
その直後、白く眩しい光が、赤い髪の子供を包み込む。
(こ、今度はなんだ?)
もうここまで来たら何が起きても驚くまい、という俺の決心は、すぐに粉々に打ち砕かれた。
眩い光が消えた瞬間、そこにはもう子供の姿はない。
その代わり、そこには──、
「ほぉう、これがウワサの……」
という金髪の声が聞こえたが、正直その時の俺の耳には届いていなかった。
さっきまでいたはずの子供の代わりに現れたある物を見た俺は、薄く開けていた目を、思わずこれでもかというほど見開いてしまう。
なんと、パーカーの少女の右手には、一振りの刀が握られていたのだった。
木製の柄と広い銀色の鐔があり、その先にはナイフの様な形をした、三十センチほどの真っ赤な刀身が伸びている。
そして、どこかオモチャっぽい感じがする不思議な刀を握った彼女は、腕を上げてその刃先をこちら、金髪の男に向けた。
「さあ、おめかし完了だよ?(ラウネのだけど)」