「ゴミの山脈」で
「ゴミの山脈」の中に入った私たちは、放たれる腐臭に少し顔をしかめつつ、ある場所を目指して歩いた。
大量の缶やビンや家電や残飯や木材等、ありとあらゆるゴミが転がっていてかなり足場は悪いものの、一応道の様な部分はある。
獣道みたいにしてできたであろうそれをしばらく行くと、少し開けた場所に出て、そこに目的の小屋はあった。
正確にはそれは小さな社であり、その前には一応赤い鳥居も建っている。
この「ゴミの山脈」には残飯目当ての野良犬や烏が棲み着いているが、それだけではなく、一人だけ人間も住んでいた。
そして、私たちはこれからその唯一の「ゴミの山脈」の住民に会いに行くのである。
鳥居を潜り、社の前に設置されている賽銭箱で立ち止まった。
「ホオリちゃん、いくら持ってる?」
「え? 私? ……はあ、仕方ない」
私はパーカーのポケットから小銭入れを取り出して、がま口を開ける。
そして五円玉を選ぶと、それを賽銭箱の中に投げ入れた。
チャリンと小銭が落ちる音がしたかと思うと、今度は機械が動く様な騒音が上がり、やがて目の前の社の戸が両側に開き始める。
「神宮寺さん、五円玉すらないのに今までどうやって生きて来たの?」
「そ、それは、お菓子を……」
「やっぱヒモじゃん」
「くっ! 別に、いいだろそれは!」
などといつものやり取りをしていると、完全に扉の開ききった社の奥から、“彼女”は近づいてきた。
「相変わらず賑やかだな、二人とも」
その声の主は、白と赤を基調とした日輪服──要するに巫女装束に身を包んだ女であった。
少し赤みを帯びた黒い髪を背中まで伸ばし、先の方で一つにまとめている。
眉毛をかかるところで切り揃えた前髪の下からは、少し意地悪そうなネコ目がこちらを見ていた。
彼女こそがこの「ゴミの山脈」に住む唯一の人間であり、この神社の巫女でもある、鳳凰堂アズサだった。
巫女服の女は、面白そうに笑いながら社から出て、私たちに歩み寄って来る。
「そっちも相変わらずそうだね。というか、このお賽銭システムどうにかならないの? いちいち面倒くさいんだけど」
「よいではないか、賽銭くらい。にしてもたたった五円とは。ケチ具合も相変わらずだな」
「お陰様で、全然仕事なかったからね。──で、今回は何が見つかったの?」
貶しあっていても何も始まらないので、今回出たゴミについて話を聞いてみた。
するとアズサは少し困った様な顔になる。
「うーん、それがちょっとばかし得体が知れないのだよ」
「得体が知れない? どういうことだい?」
これは、神宮寺さんの質問だ。にしても、本当にろくな情報は得ていなかったらしい。
「いやなに、どんな見た目をしたゴミなのかはわかるのだが、なんだか不吉な予感がするというだけだよ」
「不吉な予感?」
今度のオウム返しは、私である。
「そう。うまく言えないが……例えるなら“この世界とは全く別の場所からやって来た未知の存在”の様な、そんな感じだろうか」
「……」
(なんだかよくわからないけど、意外と面倒くさくなりそう……)
正直仕事を選んでいられる程余裕はないけど、徐々に気乗りしなくなって来ていた。
「ふうむ、それは確かに不吉だね。それで、そのゴミ、というか人はまだ生きているんだよね?」
「ああ、意識を失っている様だが、命に別状はないらしい」
「そうか、なら“引き取り先”を探すことになるかもな」
顎に右手を当てて考え込むアフロヘアー。そう、彼が今口にした様に、私たちの仕事は対象のゴミが生物か非生物か、そしてそれがまだ使えるか(生きているか)で変わってくるのである。
「まあ、とにかく見に行ってみるか」
考えるのをやめたマリモヘアーの提案に賛成し、私たちは移動することにした。
*
やたらと腐臭が漂う空間で、どうにか持ち直した思考を巡らせて、俺は思い出していた。
ここにやって来るまでのことを。
──その日は、至っていつもどおりだった。
いつもどおり七時に起床して、携帯のアラームを止めてから二度寝したくなる衝動を抑えて、布団を出る。
洗面所で顔を洗い、鏡に映った冴えないそれを一瞥して、少しだけげんなりしたのですぐに部屋に戻った。
寝間着を脱いで制服に着替える。本来うちの高校は学ランだが、今の時期は夏服なので、上は白いワイシャツのままだ。
そして、すっかり染み付いた習慣に従い、一階のリビングへと向かった。すると、そこにあったのもいつもどおりの光景で、対面式のキッチンで朝食を用意する母親と先に椅子に着いて新聞を読む父親、そしてすでにセーラー服に着替えて携帯をいじっている妹がいる。
当然俺も自分の席に腰を下ろし、朝食が出て来るのをぼんやりと待った。
今朝のメニューは覚えていないが、まあ、それも普段とあまり変わらなかったということだろう。
食べ終わるとすぐに、父親から進路についての話を振られたが、俺はいつもの様に適当にはぐらかした。
──こうして普段と同じ朝を済ませ、家を出た。
そこまでは何事もなかったのだが、問題はその後に起きた出来事だ。
家から五分程歩くと、大型の交差点に出る。信号は見計らったかの様に赤に変わり、俺は会社や学校へと向かう人たちの中に紛れて、青になるのを待った。
そろそろ本格的に高校最後の夏が始まろうというのに、まだ進路を決めかねていることへの不安からか、漠然とこのまま学校に行くのをやめてどこか誰も知り合いのいない所に行けたらなぁ、などと考えながら。
すると──、
『へえ、ならば行ってみるかい? 異世界にでも』
突然そんな声が聞こえ、俺は慌てて振り返る。
が、特に誰かが俺に話しかけた様子はなく、むしろ皆こちらには全く関心がないと言わんばかなりに、各々信号が変わるのを待っていた。
(……気のせい、か? ──いやでも、確かに聞こえた様な)
それも、あの声は誰かに言われたと言うよりは、頭の中に直接響いた感じだった。少し、進路のことで悩みすぎていたせいかもなと、自分を納得させてまた前を向いた矢先、
『ふふ、残念ながら君に拒否権はないのだがね』
再び、頭の中に声が響く。
「え? ──って⁉︎」
突然聞こえた声は気のせいなんかではないと気が付いた次の瞬間には、もうすでに俺の体は交差点に投げ出されていた。
(痛っ!)
アスファルトに打ち付けられたことによる痛みを堪え、なんとか立ち上がろうとした俺が見たのは、迫り来るトラックとその運転手の驚愕する表情で──、
それを最後に、俺の意識はブツりと途絶える。
(……そう、だ。あの時声を聞いた俺は、気がついたら交差点に投げ出されていて、それでトラックが来て……ってあれ? それじゃあもしかして、俺死んでる?)
だとしたら、もしかしてここはあの世?にしては、なんか臭すぎる様なと、我ながらよくわからないことに疑問を覚えていると、何か棒の様な物で肩を突つかれる感触がした。
のみならず、少し乱暴な口調で声をかけられる。
「もしもーし、生きてるんでしょ? 起きなよ」
天使か悪魔、ということはないだろうから、一応ここは人間のいるところなのだろうと少し安堵しながらも、恐る恐る瞼を開けた。
そして俺が見た物は、見渡す限りゴミだらけと言うこの世の終わりに様な光景と、その中に佇む男女──深緑色のパーカーを来た少女と、アフロヘアーの男性の姿だった。
(この人たちは、いったい……?)
見たところ二人とも日本人、少なくともアジア人種みたいだし、話している言語も日本語である。つまり、当たり前ではあるが自分は日本にいるのだと思い、俺は取り敢えず安堵した。
で、体に着いた埃や塵を払いながら、立ち上がる。
「よかった、どうやら言葉は通じるみたいだね」
と、今度は黒い服のアフロが言った。
「あ、あの、ここは……?」
俺はやっとの思いで、そう口にする。
その問に答えてくれたのは、先ほどのフードを被った女の子だった。
「ここは、九頭竜町の中で最も不衛生な場所。私たちは『ゴミの山脈』って呼んでる」
「はぁ」
(クズリュウチョウ? 『チョウ』って町だよな? そんな所、近所にあったか? それに、『ゴミの山脈』なんて物も聞いたことないし)
頭の中が謎が謎を呼んでる状態の俺に、さらに少女は衝撃的な発言をする。
「で、どうする?」
「ふぇ?」
「あんたのこれからのことだよ。選択肢は主に二つ。──処分か再利用か、だ」
「え……?」
「処分」か「再利用」。彼女の言ったその言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。
だが、どことなく不吉な予感が纏わり付いていることだけは確かであり、そしてそれはすぐに“予感”ではなく確信へと変わる。
「よくわかってない様な顔してるね」
「あ、はい」
「なら、もっとよく説明してあげるよ。いい? あんたは、ここに在ってはいけない類のゴミなの」
「お、俺が、ゴミ?」
(こ、この娘の言っていることって、まさか⁉︎)
おぼろげながらも、自分が立たされている状況がわかってきた俺は、目の前で喋り続ける病人の様な白い顔を、まじまじと見つめた。
「そう。だから、そんな“九頭竜町に在ってはならないゴミ”を処理するのが、私たちの仕事ってこと。理解できた?」
(……つまり、俺は処分されるかもしれないってことなのか⁉︎)
こうして、俺のいつもどおりの一日は、それこそゴミの様にくしゃくしゃにされて捨てられてしまったのだった。
そして、この二人──後に「清掃会社」だと知る──との出会いは、全ての始まりにすぎなかった。
これから俺、叢雲エイヂが体験する長い長い“魔法の物語”の……。