九頭竜町の暮らし
かつて、世界を救ったのは一人の少女だったと言う。
彼女は黒く染まり使い物にならなくなった“元素”を浄化し、二度と人類が同じ過ちを繰り返さぬよう、“魔力”を封印したのだとか。
これにより、魔法は一部の人間にしか扱えぬ物となってしまった。
それが、この世界の歴史とされる物である。
──だが、しかし。
その真偽のほどを知る者は、ごく一部の
人間だけであった……。
──そして、現在。
この世界にある、小さな国の小さな町のゴミ溜めから、物語は始まろうとしていた。
*
小さな国である日輪国の西に位置する、大神府。
そのさらに、下町と呼ばれる類の一つに、私の住む九頭竜町はあった。
九頭竜町は古くからこの土地にあるらしいけれど、それにしても建ち並ぶ店や家は、すべて百年は変わらぬ姿なのではないかと思うほど時代の流れに逆らった景観をしている。
中でもここ九頭竜商店街は、有象無象の小さな店々がひしめき合い、しかもそれらはどれもこれも真っ当な代物ではないのだった。
大半が木とトタンと錆びた鉄筋で出来た店では、ポルノショップや風俗や闇(藪)医者や法に触れちゃう薬屋さんや何の肉なのかわからない物を出す串物屋さん等、とにかくありとあらゆるいかがわしい商売が行われていた。
そんな最低のスポットにいる人間は、もちろん最低な奴ばかりである。商店街の住民も余所から来る客も、道を行き交う人は全て、漏れなく真っ当な生き方ができない様な人種だった。
また、道を狭める様に迫り出した無数の看板や赤提灯はどれも年季が入っており、中には誰かの八つ当たりにでもあったのか破壊されている物まである。
さして良くも悪くもない天気の午後、私はそれらの四角い看板たちを避けながら、寂れた商店街を歩いていた。
途中でふと立ち止まり、先週家主が夜逃げしたことにより空き家となった古本屋に、目を向けてみる。
正確には、その閉ざされたドアに嵌め込まれた窓ガラスに映った自分の姿に、だけど。
──くたびれた深緑色のパーカーを黒いTシャツの上に羽織り、下はチェック柄のスカート、その裾から病人の様に白脚が伸びていて、泥の付いたスニーカーに吸い込まれている。
そして深く被った大き目のフードの中には、可愛げなど皆無な表情をした私の顔と、肩に着く長さの黒い髪が覗いていた。
目付きの悪いことに定評のある双眼で、ガラスに映る私をまじまじと見つめる。
自分で言うのもアレだけれど、やっぱり可愛くない。さほど不細工ではないにしろ、むすっとした表情とじと目が全てを台無しにしていた。
「……」
そう思ったらさすがに辛くなってきたので、元古本屋の前を離れ、再び商店街を歩き出す。
(さっさと会社に行こっと)
そんなわけで、私は今日も職場を目指し、日輪国でも最底辺の町を進むのだった。
*
私の職場である「神宮寺清掃会社」は、九頭竜商店街の奥にあった。
例に漏れず木製の古びた一軒屋で、戸口の前から見ると、三十センチほど右に傾いている。
居酒屋の様に入り口に掲げた紺色の暖簾には、ふざけているのか逆にまじめなのか、「お掃除屋」と書かれていた。
錆だらけのトタン屋根から吊るされた赤提灯と、地面に置かれた四角い看板が、いかにもこの商店街の建物らしい。
私は引き戸に右手をかけると、それを横にスライドさせて中に入った。
社内に入るとまず、来客(あんまり来ないけど)の対応に使われる一対の長ソファとテーブルが置かれている。
そして入り口から見て右側には年季の入った棚が置かれていて、その中にはやたら甘党の社長のおやつ──大小さまざまな瓶に入れられたキャンディやチョコレートやクッキー等──が並んでいた。
対して左側には、壺型の大きな植木鉢があり、大きな緑色の葉が二枚と、拳大のまだ青い苺の様な果実が生っている。
そんな統一感のない空間を奥には、この会社の社長の机が見えていた。木製のそれの上にはいつも書類の山が築かれているが、それらが機能しているところを、私はまだ見た事がない。
──と、そこでようやく机に着いている男は、私に声をかけて来た。
「やあ、ホオリちゃん。ちょうどいいところに来たね」
「どうも」
私は実に簡素な返事をしたが、別に機嫌が悪いわけではなく、普段からそんな感じだからだ。
(ちょうどいいところにってことは、もしかして……)
「聞いてくれよ、我々に久々の仕事が入ったんだ」
心底嬉しそうな顔でそう言うと、彼は椅子を軋ませて立ち上がった。
彼の名は神宮寺アキラ。この「神宮寺清掃会社」の社長であり、私の唯一の上司である。
今日も黒いジャケットと細身のズボンを履いており、この町の人間らしいラフさを醸し出していた。
また、最も特徴的なのはその髪型で、驚くことなかれ、アフロヘアーである。まるで巨大な黒いマリモの様であり、それはもう見た目のインパクト抜群だ。
三十一歳にもなってそんな髪型をしているのだから、きっと何かポリシーの様な物でもあるんどろうけど、その辺りの話は聞いたことはなかった。正直そんな興味ないし。
とにかく、彼こそがこの会社の主であり、私はその下でアルバイトをして生計を立てているのだった。
「やっと? 依頼が来るのなんて、何週間ぶりだっけ?」
「かれこれ二ヶ月ぶり、かな……」
「……」
「そ、そんな目で見ないでくれよぅ。僕だって金がなくて困ったんだから」
「の割りには減らないんだね、お菓子」
私は、例の棚をチラリと見て言う。
「だからそれは、友人がくれるんだよ」
「……ヒモが」
「くっ! ──て、そんなことより、仕事だ仕事!」
痛いところを突かれたのか、強引に誤魔化すと、神宮寺さんはそのまま私の後ろにある出入り口を指差した。
「それでは、さっそく出かけるとしよう。説明は車の中でするから」
というわけで、私たち「神宮寺清掃会社」の久々のお仕事が始まったのだった。
*
私たちを乗せた軽トラックは、商店街の細い道を進んでいた。
廃車寸前、いや同然のそれは有害そうな色のガスを出して、時折がたりと揺れながらもどうにか走る。
「で、今回はどんな“ゴミ”が見つかったの?」
助手席の座り心地の悪いシートに持たれた私は、ハンドルを握る社長に尋ねた。
「それがね、なんでも人の形をしているらしいんだよ」
「えっと、マネキンか何か?」
そう問いつつも、いい返事など最初から期待していなかった。
「だといいけど、この町のことだからなぁ」
「……はぁ、いつものパターンか」
なにせ九頭竜町で出たゴミだ、大概ロクなものじゃない。しかも「人の形をしている」ってことは、大方死体、よくて意識不明の余所者ってところだろう。
まあ、そんなだから私たちが存在するんだけど。
「一応訊くけど、他に何か情報は?」
「うーん、どうやら話によると、今回のゴミ自体に魔力はないらしい」
「ふうん、じゃあそれほど危険ってことはないのね。──それだけ?」
「だけ」
「……なるほど、情報がほぼ皆無なのも、いつもどおりと」
と、結局情報共有とはほど遠いやり取りをしている間に、私たちを乗せた軽トラは目的地の入り口に到達していた。
ここは、九頭竜商店街から車で十数分行ったところに位置する、おそらくこの町ので最も汚い場所である。
「なんだか、ここに来るのも随分久しぶりな気がするなぁ」
「うん」
神宮寺さんの言葉につられて、私もその見渡す限りの“ゴミの山”に、視線を投じた。
トラックは速度を緩め、やがて入り口の前で完全に停車する。
そこは元々九頭竜町の隣町だったそうだけれど、今は見る影もない。
三メートルはあろう巨大なフェンスで囲まれたその中には、文字通り山を成すほどに積み上げられた、多種多様なゴミの姿が。
そう、ここは通称「ゴミの山脈」。九頭竜町のありとあらゆる場所から排出されたゴミが集められる、町内随一の不衛生スポットでなのであった。
そして、この町のあらゆるゴミが集つまるこの場所には、どういうわけか時々在ってはならないモノが不法投棄されていることがある。
そんな特殊なゴミを処理することが、私たち「神宮寺清掃会社」の仕事なのであった。
*
(──ここは、どこだ? ……お、俺は、いったい……………………)
強烈な悪臭により目を覚ました俺が初めに考えたのは、そのようなことだった。
意識を取り戻したばかりだったからか、思考は随分と頼りなく、靄で覆われているような不快感を覚える。
ただ、漠然とした感覚ながらも、自分が今横たわっていることと、この場所は単なる地面ではなくとても寝心地が悪いことだけはわかった。
(……で、結局どこだよここ。というか、なんで俺は気を失ってたんだ?)
徐々に復旧して行く思考回路に発破をかけ、俺はこの状況に至るまでのことを思い出そうとする。
(……そ、そうだ、確かあの時──)
記憶が蘇った俺は、思い返した。俺が“ここ”に来るまでの経緯を。
そしてこの時、俺は全く気付いていなかったのだった。
これから出会うこととなる二人の人物が、近づいて来ていることに。