8.宿屋の親子「病気ではないです」
ふ、ぁあぁぁぁ…と大きな欠伸を一つして、目や肩の緊張を解して次に手を伸ばす。
そんな作業的な動きでもって、暗くなってきた部屋で俺は未だに熱心に帳簿を付け続けている。
「言われたと通りに整理してきました。そっちはどうですか?終わりそうですか?」
「ああ、うん」
誰かが表層意識に声をかけている気がしたので、とりあえず返事だけしておく。
「ホ、ホントですか!かなりの量だったと思うのですが」
「ああ、うん」
よし次だ…
そう思ったときには既に次の帳簿が目の前にあり、無心に作業を続ける。
最早精神などどこかへ乖離してしまっていないので、体が条件反射で動いているような状態だ。
「お茶、飲まれますか?」
「ああ、うん」
「あの、聞こえてますか?」
「ああ、うん」
「…殴っていいですか?」
「え、ヤダ」
沈黙の中をカリカリとペンの擦れる音だけが耳に伝わってくる。
「……お茶、入れてきますね」
「ああ、うん」
次に彼女がお茶を入れて戻ってきたときには帳簿を付け終えていた。
「はい、どうぞ」
「おう、ありがとな…」
入れてもらったお茶はちょうどいい温かさで、飲むとホッとした。
帳簿を付けていて思ったが、この宿はそれなりに売れていてもおかしくないはずだ。
内装や立地、過去の帳簿を見ていてもそれなりに高い食材も仕入れているようだった。
やはり両親が病気だからか?とも思ったが、やはりなんと言うか変だ…
10歳になるかならないかのこんな小さい子に店を任せるとも思いづらいし、普通そんな状態なら宿には閉店を意味する看板がかかっているはずだろうに。
ゲームのイベントとかだと、地上げ屋とか商人とかがこの宿のある土地目当てで何か良からぬ事をしてるとかなんだけど…
いくらゲームみたいって言っても本当にゲームなわけじゃないんだよな。
もしそうなら、もっと楽なんだけどなぁ。
とりあえず話だけでも聞いてみよう。
「そういえば自己紹介がまだだったな?俺は作也って言うんだ」
「サクヤさんっていうんですか。私は、クレナといいます。帳簿は苦手なので、溜まってしまったらまたお願いしますね?」
「自分でやるっていう発想は――」
「ないです」
「ああ、そう…」
あまりにもきっぱりと断言されてしまい、今度騙して算数の勉強でもさせようかとちょっと思ってしまった。
思考が横に逸れないうちに本題に移ることにしよう。
「そういえばさ」
「はい、何でしょう?」
「ご両親にちょっと会いたいんだけどいいか?」
「え、えぇっと…」
「いや、無理にとは言わないけど、ちょっと位なら知識もあるから何かきっかけ位掴めるかもしれないと思ってさ」
「…聞いてきてみます」
そう言うとクレナは上の階へと上がっていき、少しして戻ってきた。
「むしろ娘がお世話になった様ですから会いたいって」
「そう、今行く」
クレナについて上の階に上がると、外や下の階とは比べ物にならない程にピカピカに磨かれていた。
普通は外側や玄関口も綺麗にしておくものだと思うのだが…
やはり何かあるんだろうか?
突き当りの部屋でクレナがドアをノックすると中から枯れた声で返事があった。
「さ、入ってください」
「お邪魔します、でいいのか?」
「ああ、君が作也君か。今日はありがとう。お礼がしたいけど、この調子でね…」
部屋の中では、髪が白くなってガリガリにやつれた男女が横になっていた。
病気だとしたらかなり酷い病だろうことを想像させる。
「いえ、ギルドで報酬をいただきますので気にしないでください」
「ははっ…それもそうだね」
笑ってはいるが、かなり辛そうに見える。
事実、相当無理をしているんだろう…
喋っているので精一杯と言った様相だ。
「それじゃ、ちょっと診てみますね?」
「あまり長引くと辛いから、早めに頼むよ…」
弱々しくも、客の前で笑顔で居続けようとするクレナの父親のステータスを表示する。
やはりと言うかステータスの欄には状態異常は表示されず、かなり減ってきているHPが映るだけだった。
だが、今回はちゃんと考えてある。
今までこの表示は、俺の思考に合わせて変化するという謎のシステムを取っていた。
なら、俺が状態異常を知りたいと思えばどうか。
実はこの方法、病院にいた時に試してみたのだが、結果は成功。
――いや、正直それ以上の成果を挙げていた。
アイテムや状態異常は集中して見ると詳細が追加されていく事がわかったのだ。
だからこの診察の結果はこうなった。
◆
Condition
・微毒Lv.5
・瀕死
・出血Lv.3
・激痛Lv.2
◆
これって…マジで毒殺じゃ…
微毒の欄に意識を集中して見れば、微毒の効果は毒だと分からないレベルでダメージを受けるとなっている。
この世界風に訳せば、病気の様な症状から少しずつ体内を毒していく弱い毒だ。
これは俺の予想だが、この毒は出血毒じゃないだろうか。
マムシやハブなどに見られる毒で、内出血を誘発させて激痛を与えるらしい。
「どうかな?医者にも何の病気か分からないらしいんだが…何か分かったことはあるかい?」
医者でもなんでもないちょっとかじっただけだと説明した一冒険者に、医者にも分からなかったことを何か分かったかと真剣に聞いてくる。
まさに藁にも縋る思い、と言うやつなのだろう。
「ええこれは、病気ではないです」
「病気じゃ…ない?何を…」
病気じゃないと言ったとたんに、困惑のと疑惑の入り混じった目を向けられて少しびっくりしたが、よく考えれば当然だろう。
医者に診せても原因不明の病だと言われたものをある日突然来た一介の冒険者、それも子供がちょっと診ただけでこれは毒だと診断するのだ。
もしも俺が彼らの立場なら絶対に何かあると勘ぐる事請け合いである。
「症状と脈拍からおそらく蛇等が持つ出血毒の様な物だと思われます」
とりあえずは尤もらしい事を言って、信用を得なければならない。
これはどんな場合でも必要なことで、詐欺師はもちろん、勇者や英雄も信用がないと成立しないのだ。
信用こそは世の中のどんな物より価値があるというのは、どこかの商人も言っていた気がする。
「例えば血を吐いたり、体中が激痛に苛まれたりしていませんか?」
「…ある。が、これは――」
「病の症状ですか?」
「そうだ」
…これは、まず間違いなくその医者が犯人だろうな。
理由はいろいろ有るけど、毒と病気は間違えないだろうし。
微毒なんてすぐ回復しそうな状態異常をあのレベルまで引き上げるには毎日一回以上は原因になりえる何かが起こらないといけない。
何より――
「時に質問ですが、医者から薬などは貰っていますか?」
「そこの台の上にある」
そう、何より、薬があるのがおかしい。
原因不明ということはつまり、それに処方できる薬があるはずがないということだ。
万能薬なんて物もこの世界ならあるかもしれないが、一介の宿屋が出せる金額ではないだろう。
栄養ドリンクの様な物かもしれないが、万能薬が高いのと同じで結構な値段がしそうだ。
「これか…」
液状の薬を手に取り詳細を表示すると、やっぱりこれが毒の正体だった。
アイテム名は毒蛇の暗殺薬。
もう医者が実行犯なのは間違いないだろう。
「大変言い難いんですが、医者を変えられた方がいいですよ」
「え…」
「この薬が毒の正体です」
「そんな…いや、でも私達が病気になったその日の内に来て対処してくれたんです。それに、病気になったから来てくれたんですよ?それじゃ順番が逆です…ゲホッ、エホッ」
血を吐きながら、それでも話は聞いてくれる。
「その日の内に来てくれた?おかしいと思わなかったんですか?」
「…な、にが?」
「その医者、何でそんなに早く来れたんでしょうね?まるで病気になるのを既に知っていたみたいじゃないですか」
静かになった部屋に、あ…と空気の漏れ出るかのような、か細い声が響いた。
「そんな…じゃあ、本当に…?」
簡単に信じたな。
これでとりあえずの信用は手に入っただろう。
気持ちが揺れている今のうちに本題に――と思ったところで、待ったをかけられた。
「うぅ…っ、すまないが、娘を連れて少し部屋を出てくれないか?妻も私も限界なんだ…」
「いえ、こちらこそ…今日はもう遅いですし、また明日にでも」
「あ、ああ…クレナも、もう寝なさい」
出るときにお辞儀をして、部屋から引き上げる。
部屋からクレナが出てくるのを待って下の階へと降りた。
さて、ここで問題が1つ浮上した。
さっきの部屋で俺が本題にしようとした事だ。
実は、かなり切羽詰った状態になっている。
すぐに手を打たないとかなりまずい事になるだろう案件だ。
本当はクレナの両親に言うつもりだったんだが仕方ない…
「クレナ、実は君にお願いしたいことがあるんだ」
「へ?急にあらたまってどうしたんですか…?」
「大事な話なんだ…」
これをクレナに頼むのは避けたかったんだが、背に腹は変えられない。
「悪いんだけど、今日ここに泊めてくれないか…金が無いんだ…」
正直、自分で自分のことが嫌になった…
◆
高原 作也
人族・18歳・男
≪天秤に触れし者≫≪恐怖を忘れえぬ者≫
≪迷宮初心者≫
職業 学生
Lv.2
HP20/20 MP12/15
Str.7
Vit.5
Int.5
Fai.4
Dex.40
Agi.6
Skill
全ての物の歯車Lv.1(0/10) 槍術Lv.1(0/10)
受け流しLv.1(0/10) 投擲Lv.1(0/10)
魔力制御Lv.1(0/10)
EXP.220
NEXT EXP.300
◆