第7話
「一体何が原因なのか、いい加減話せ」
結婚式から一週間。
朝から晩まで師団長室に篭り、陰鬱な空気を醸し出しているのにキレたのか、ダリウスがそう詰め寄ってきた。
「結婚したら、彼女の傍にいるとか言って、屋敷から出てこなくなるんじゃないかと心配してたんだがな。実際にはその逆だ。どうなってんだ」
本当はそうしたかったさ。と、情けなく心の中で呟く。
リュシールと二人で、話をしたり領地を見て回ったり。エリックは、そんな甘い生活を夢見てた。
しかし、実際は顔を合わせないように、活動時間のずれた生活をしていた。
ダリウスの追究を受けたくなくて、聞こえないふりをして書類から顔も上げなかった。一心不乱で仕事に没頭すれば、きっとすぐに時間は過ぎ去るはずだ。
そんな現実逃避をしていると、ダンっと机を叩きつけられた。その余波で書いていた字が歪んでしまい、一枚書類がダメになった。
仕方なく顔を上げて、非難の視線をダリウスに向けた。
しかし、その視線を受けても、反省するどころか据わった目で「早く答えろ」と迫ってくる。
「今、時間を与えてるところだ」
「はぁ?」
「いろいろ急ぎ過ぎたから、時間と距離を置いて―――」
「馬鹿かっ、結婚後にやることじゃないだろ!」
そうだろうか。
時間をおかず、そのままリュシールを奪ってしまえばよかったと?
ベッドの上で固まった表情。そして、『好きなように』と自暴自棄のような言葉を告げたリュシールのことを思い出して、エリックは口を閉じた。
「あと2週間もすれば、お披露目も兼ねた夜会がある。それに、あの件も…。そんなことで大丈夫なのかよ」
ダリウスは、眩暈を堪えるかのように片手で両目を覆った。
言われなくてもエリックも十分わかっていた。2週間後の夜会で、リュシールと仲睦まじい姿をアピールする必要がある。うるさい周囲の貴族たちと、難敵である母へ見せつけるために。
それに加えて、もう一つきな臭いモノへの対処が近々必要になること。
やっと、例の阿呆王子の件が片付きそうだと思ったら、もう他の問題が持ち上がってきている。
この忙しいのに、無駄に権力欲ばかり高い無能な者どもめ。と軽い殺意が沸き上がる。
手元に目を落とせば、字がゆがんでしまった書類。ちょうど、その無能な者からの要望書だった。それを見ているだけで苛立ちが募る。
ぐしゃりと丸めて八つ当たりのようにダリウスに投げつける。
「お前なぁ…。まるで子供みたいだな。冷酷な参謀とまで言われたくせに、今はそのカケラもない。その姿で部下の前に出るなよ」
「うるさい」
「人心を操るような戦術を考えだせるのに、なんでそれが恋愛方面に応用されないのか。―――あぁ、初恋だったな。経験値が足りないってことか」
ぺらぺら余計なことをしゃべる口をふさごうと、エリックは手近にちょうど良い物がないかと手をさまよわせる。
インク壺は、周囲の被害が酷すぎる。
書類は、大したダメージがなかった。
文鎮―――。これでいいか、意識を刈りとれば口も閉じるだろう、と殺気をみなぎらせてそれを握りしめたとき、ダリウスの言った言葉に撃沈した。
「お前、それなりに遊んでたくせに、初夜で彼女に『へたくそ』とでも言われたのか?」
ダリウスにしてみれば、気を落ちつけるための冗談を言ったつもりだったのだろう。しかし、エリックとって『初夜』の単語は、傷口をえぐるようなものだった。
「え、嘘。図星?」
「…てない」
「は?」
「初夜を、迎えていない」
「はぁ??」
何言ってんの?! というダリウスの視線に耐えながら、初夜の顛末を語ることになった。
正直、どうするのが正解だったのかわからない。藁にもすがるような気持ちで話したというのに、ダリウスは崩れ落ちるかのように膝をつくと、「逃げたのかよ」と疲れ切った声で言われた。
逃げた、と思われるのは心外だった。
「逃げてない」
「逃げただろ」
「戦略的撤退だ!」
マーサにも注意されたし、エリック自身「急ぎ過ぎた」と思っていた。だから、リュシールと今後どうして行きたいのか、と問いかけた。
しかし、その答えは『好きなように』なんていう、主体性のない投げやりな言葉。
落胆してその場から立ち去っても―――逃げたことになるのか。
どう言い訳しようと、あれは逃げた以外の何物でもないと改めて思い知らされ、エリックはぐったりと机に倒れこむ。
「何が戦略だ。どうしていいのかわからないくせに」
「―――だから、時間をおいて」
「時間をおけばおくほどこじれる事態だろ、今の話は」
「じゃぁどうすればよかったんだよ。ガチガチな彼女を無理やり押さえつけて、義務感だけの結婚に決定打を叩きこめばよかったのか?! 政略結婚だからって甘い生活夢みちゃ悪いのかよ!」
「『甘い生活』…」
ぶはっとダリウスが吹き出す。
エリックが浮かれているとは知っていたが、まさか『甘い生活』なんて言葉が出てくるほどだとは思っていなかったのだろう。「お前も王族だったんだなー」と妙にしみじみとした言葉を呟いて、何度も頷いていた。
「しかし、憤ってるとこ悪いけどな。それ勘違いじゃないのか?」
「勘違い…?」
妙に真剣なダリウスの目に、ざわざわと胸の中が騒ぐ。
嫌な予感だ。背筋が寒くなるようで、身体中がかゆくなるような、じっとしていられない、そんな感じ。
作戦で、致命的な間違いを発見したときのような―――。
「初夜の、しかもベッドの上で『どうしたい?』なんてよく女性に聞けたな。そこでやることなんて一個しかないのに。どう考えても『どんなプレイしたい?』に聞こえるわ! 失礼すぎんだろ!! 俺は彼女の答え、満点だと思うけど?」
思いもしなかった解釈を聞かされ、エリックは固まったまま、しばらく動くことができなかった。
上げていた顔を、また机に伏せて「す、据え膳…」と悔しみのにじんだ声で呟いたエリックに、ダリウスが冷たく言い切った。
「まぁ、お前は食うに値しないけどな」
「なんだよ、それ」
「だってそうだろう? 気持ちを言葉で表すことも、贈り物なんかをして態度に表わすこともない。まだ何もしていないくせに、彼女の気持ちが欲しいなんて、むしが良すぎるだろ」
「余計な、お世話だ」
威嚇するように低いうなり声と共にそう返事をして、エリックはふいっと窓の外に視線を向ける。外の訓練場には、日々の鍛錬を行う隊員たちがいる。
その姿を眺め、これ以上会話をするつもりがないと言外に示すエリックに、ダリウスは呆れたようため息を一つついた。その後、丸められた書類を拾い上げて、何も言わず部屋の外へと出て行った。
一人残されたエリックは、ダリウスと同じような思いため息を吐きだした。
できるならば、今すぐにでも屋敷に戻りたい。戻って――――なんと言えばいいのだろう。
どうすれば、この気持ちを伝えることができるのか、初恋をこじらせたエリックは途方に暮れるしかなかった。
感想、お気に入り、ありがとうございます。
安定の鈍足更新でお送りしております。
エリックの評価、だいぶ悪いみたいですねぇ。これは頑張らねばっ。