第6話
晩餐後、これでもかというくらい磨かれ、肌触りのいい寝衣に着替えさせられた。
何がまっているかわからない不安もあったが、ミリアから授けられた微量の知識と魔法の言葉で、たぶん乗り切れるはず、と覚悟も決めた。
そうして腹をくくって寝室へとつながる扉を開けたのが、30分ほど前。
…旦那様が来ないんですが。
寝室には、ベッドとサイドチェストくらいしか物がなかった。まさに、寝るためだけの部屋。それ以外は関わり合いになりたくない、ということかしら、とリュシールは邪推してしまいたくなる。
部屋に入ったときに高まっていた緊張も、すでに緩んでいた。
居場所がない、とウロウロしていたのは少しの間で、今はベッドの端に腰かけることができるくらい、くつろぐことができた。
「花婿が来ない場合って、どのくらい待ってるべきなの? もう寝てもいいかしら…」
ぐるりと何もない部屋の中を、答えを求めるかのように見まわした。もちろん、そんなものはない。
どうするべきか、もう寝ちゃおうかなぁ、とばたりとベッドの上に身体を投げ出して寝転がったとき、もう今夜は開かないだろうと予想していた扉が開いてしまった。
「……」
「……」
ベッドに寝転がるリュシールと、気難しげな顔をしたまま立ち尽くすエリック。
先に我に返ったのは、エリックの方だった。
「また寝転んでいるのか」
呆れたような口調。けれど、どこか懐かしそうに口元をほころばせるエリックに、リュシールは既視感を覚えた。
どこかで、同じようなこと言われた?
その疑問は、初めてエリックと出会ったときのことを思い出して、すぐ答えを見つけた。
『本当にどこでも寝転ぶんだな』
初めて会ったときの第一声がそれだった。
やはり、どこかで会ったことがある? と、リュシールがそう考え込んでいるうちに、部屋の中の状況が一変していた。
「待たせてしまったな」
「え?」
考え込んでいたリュシールの耳に、予想外に近くからそんな声が聞こえた。
ハッと身を起こすと、エリックが同じようにベッドに上ってきたところだった。
近い。
すぐそばにある、エリックの体温を感じた。ドレスよりも装飾の少なく薄い寝衣になっている分、それを余計に感じて、そのことに気恥ずかしくなった。
なんでこんなに近づく必要が―――、ありますね。そうでした、初夜ですもんね。
どこかへ消えていた緊張が、またリュシールを襲う。ガチガチに固まったまま、エリックを見つめることしかできない。
「リュシール。あなたはどうしたい?」
エリックの指が、リュシールの金色の髪をひと房掴む。堅い髪質でゆるいクセのついた髪は、リュシールの密かなコンプレックスでもあった。
時間と手間をかけて手入れしなければ、きちんとまとまらず、好き勝手な方向へ跳ねてしまう。
子供の頃は、『まるでリュシール様の気質を表しているようですね』と言われたものだ。
現実逃避を兼ねてそんなことを考えていたリュシールは、髪に触れていたエリックの手が直接頬を撫でるのを感じて、意識を戻した。
硬く女性とは違う指。
自覚した途端、頬から火が出るかと思うほど、熱くなった。
「どう、したい―――と言われても」
「希望があれば言ってくれ」
「いえ、あの…」
どうしたいって、どうしたいって……。
初夜のアレコレなんて、全く知らないんですがっ。
こんなことなら、事前に勉強すべきだった。
正に、出たとこ勝負からの後から悔むのいつものパターン。
ガチガチに固まった身体で、その視線だけがせわしなくあちこちを見回していた。
そうして、ようやくミリアの言葉を思い出した。
『いいですか、リュシール様。何も不安がることはありません。こういうことは、すべて相手に任せてしまえばいいんです、きっと。何かを聞かれて困ったときは、こう言えばいいんです―――たぶん』
所々に入る『きっと』とか『たぶん』という言葉に不安を覚えないわけでもないが、リュシールよりも知識があるであろうミリアの言葉を信じ、魔法の言葉を口にした。
「エリック様の―――好きなようにしてください」
これだ!と羞恥心に死にそうになりながら、リュシールはなんとかそれだけ言うことができた。
しかし、その返答はエリックの気に入らなかったようだ。ピクリとリュシールに触れていた指が止まる。甘やかな雰囲気が止まった。
「あなたには、主体性というものがないのか」
「え?」
「私は人形を娶ったつもりはない」
すべて任せればいいんじゃなかったの?!
急激なエリックの機嫌の変化の理由も、展開の早さにもリュシールはついていけなかった。呆然としたまま、部屋を出て行くエリックを見送るしかなかった。
エリックの株がさらに暴落する予感がします。
うーん、どうすれば…。