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「違う。……それは、違うよ」
静かに言い放つ。しかし、その声は苦しそうだ。
「私は王族としての誇りも捨てちゃいないし、私を、いや我らを護って死んでいった者たちの事を蔑ろにするつもりなんて無い。私は、私がお前をここに呼んだのは……お前にも降伏を勧めるためなんだ」
「は? ……仰る意味が良く分かりません。突然、兄様は何を仰るというのですか? 私に降伏を勧めるですって? 何故? どうして私が奴らの軍門に降らなければならないのですか。兄様は私にまで裏切り者の汚名を着せようとするのですか。……汚らわしい!! 」
突然の兄の言葉に激昂する。
「私を裏切り者と言うならそれでも構わない。だけど、お前はこのまま戦い続けられるというのか? その戦力はあるのか? その意思は維持できるのか? お前の騎士たちは、ほぼ全滅したんだろう? この先、始まるだろう強大な敵とどうやって戦うというんだい。冷静に考え、判断するんだ。たとえ、我らでも死んでしまったら、それで終わりなんだ。今は恥辱に耐える時なんだ。だから、頼むマリオン、降伏してくれ」
寂しそうな顔で王女を見つめていた彼が答える。そして、王女に手を伸ばそうとする。
「いやっ!! 」
差し出した兄の手を咄嗟に払いのける。
「裏切り者の癖に触らないで!! 兄様だけは、兄様だけは信じていたのに……。私を私たちを裏切るなんて。兄様が王族としての誇りを捨てるなんて。ありえない、そんなことありえないありえない。信じない。……私は兄様のようにはなりたくありません」
「話を聞いてくれ、マリオン。感情的にならないで。……私は、お前を死なせたくないだけなんだよ」
「何を……気安く私の名を呼ばないで、裏切り者め」
敵意を剥き出しにして、兄を睨み付ける王女。その態度は妹の兄に対する態度とは明らかにことなっている。
「どうして、分かってくれない? お前だって現状を冷静に捉えているだろう。このまま戦い続けたとしても、我らは討ち滅ぼされるだけだ。このまま滅亡を待つだけなどありえないだろう? 我々の運命は我々だけのものではない。領民や臣下も我らと運命をともにすることになるんだ。彼らをみすみす死なせるわけにもいかない。分かってくれるだろう? お前の命は、お前だけのものではないのだから」
「……仰ることだけは正しいと思います。……だからこそ、あなたの降伏の勧告については、残念ですが、私には受け入れることはできないのです」
呼び名も「兄様」から「あなた」に変わっている。
「な、なぜだ。これ以上無益な戦いをせずに済むんだぞ」
王女は首を横に振る。
「私にはもう、護るべき領民はいないのです。ゆえに、私には降伏する理由がありません」
「どうしても戦うというのか? それは死という結末しかないシナリオだぞ。大勢は既に決している。我ら王族の敗北は決定的だ。もはや、それを逆転するようなことは奇跡でも起きない限りありえない。いや、奇跡が起ころうとも無理だ。そんなもの存在しない。それが分からないお前でもないだろう? それでも戦うのか? 何のために」
「もはや護るものが何もなくても、あなたとは違い、戦う理由は私にはあります」
「それは何だというんだい? 」
「私を信じて死んでいったものたちの想いです。ここで私が降伏したら、彼らは無駄死にをしたことになってしまいます」
「何を言っているんだ。……それは違うぞ」
「何が違うとおっしゃるのですか? 」
「お前の騎士たちはお前を、お前の命を護るためだけに戦い散っていったのだ。領民たちもそうなんだろう。だから」
「だから何だというのですか」
「彼の想いそれは、ただ一つ。ただただ、お前が生き延びることなんだよ。たとえ虜囚となろうとも、お前が生きていてくれれば彼らの死は無駄にならない。サイクラノーシュと戦い、お前が死ぬことになったなら、それこそ彼らにとっての無駄死にだ」
「死んでいった者達を侮辱するような発言は、たとえあなたであっても許しません」
「分かってくれないというのか、マリオン。この兄の頼みでも聞けぬというのか」
対峙する二人の兄妹。
そして、兄は気づかざるをえない。妹の、第三王位継承者の固い決意を。
「愚かな。しかし、お前らしいな。そこがお前のいいところなんだけれど」
聞こえるか聞こえないかの声で呟く。その言葉に他意はなさそうだ。
「頼む、マリオン。今はその想い、誇り、全てを封印して私の言葉に従ってくれ。頼むから。私にとって……王族の未来や誇り、領民も部下もそんなものさえ本当はどうでもいいんだ。私は、私はお前さえ生きていてくれたらいいんだ。だから……」
———しかし、唐突に。
二人のやり取りを遮る様に、ただ1面だけ無機質な金属板で作られていた壁が唐突に中央から擦れるような音を立てながら開き始めた。
「待て、まだ早すぎる。約束が違う。もう少し説得をさせてくれ」
取り乱しながらクリスティアン皇子が開き行く壁にの向こう側に叫ぶ。
しかし、彼の言葉など関係なく、壁は開ききった。
今、開いた金属の壁の向こうは、ほぼ同じ広さの装飾された部屋となっていた。
もともとは大きな部屋を仕切るための扉だったようだ。
「な、何」
王女が呻く。
開かれた部屋の奥には、複数の巨人の姿があった。
その姿は、城の外にいた巨人と同じで3メートル近い巨体に腰に布切れを巻いた程度のほぼ裸だ。右手に背丈ぐらいの棍棒を持っている。あまりの巨体が大勢並んでいるため、かなり窮屈そうにしている。
見上げるような巨体が、押し合い圧し合いしながら蠢いている。
「早くしろ! 」
「こっち寄るな狭い」
「こっち来んな、ぼけ」
「前に行け前に」
騒然。あちこちから怒声が響く。
背後から押されるように、よろけながら前へと移動してくる巨人たち。その数は30人近い。圧倒的な巨人たちの巨体が押し寄せてくる。それは、まるで壁が迫ってくるような圧迫感。
「我慢できん」
「王女を渡せ」
「こちらに遣せ」
「王女を食わせろ食わせろ」
「やらせろやらせろ」
巨人たちが口々に叫び収集が付かない。
下卑た言葉、卑猥な視線が容赦なく王女に浴びせられる。
唐突に現れた彼らを見て、不快そうに眉をひそめる王女。
「貴様ら、どうしてもう少し待てないのだ? 私に説得の時間を与えるといったではないか。まだ時間はあるはずだ」
苦々しげに呻く皇子。
一人だけ兜をつけていることからおそらくリーダーらしい男が彼に応じる。
「あい、クリスティアン皇子。もう、わし等は待てんのですよ。さっきから聞いてましたが、どうやら、交渉は決裂ですじゃろ? だったら、恐れ多いですんが、皇子様はもう御役ごめんってこってす。そんときの始末はわし等が好きにしてよいとの主のお言葉です。もう皇子は十分に誠意を尽くされたでしょ。答えは出てますわ。わし等とは同じ道を進まないってこってしょ」
恭しく話すが、その言葉には心がこもっていない。
「いや、まだだ。きっと分かってくれるから、もう少し待ってくれ」
その声は懇願に近いものがあった。
王族の王位継承者と巨人。本来ならどれほどの身分差があるんだろうか? 身なりからして相当な差があるように感じるが、その二人の会話からはまるで立場が逆転しているようにさえ見える。
「あきませんですわ。皇子の言いたいことも分かりますが、もう、こいつ等を止めることは、わしにもできませんぜ。姫様はわし等巨人族にとっては憎んでも憎み足りない存在じゃけん。あきません」
そう言って、背後の巨人たちを見る。
「服をひん剥け」
「内臓をくりぬけ」
「死ぬまでやったれ」
「ふぉふぉふぉお」
獰猛なオーラを放ち、淫猥な目強欲な顔を隠そうともせず、巨人たちは身体を左右に揺さぶっている。
狂気に満ちた憎悪と獣欲丸出しの下種な視線を浴びせ続ける。
「そ、そんな」
明らかな動揺を浮かべる皇子。
「もう仕方ないですわ。頑固な妹には苦労しますな。お気の毒。残念でしたな。……おい、了解が出たぞ」
巨人のリーダーが言うと、巨人たちが一斉に吼える。棍棒で床を叩く。足を踏み鳴らす。
その咆哮と振動で室内は騒然となる。
「あなたは、こんな奴等と手を組んだのですか。そして、あろうことか、かつては妹だった私を、こんな下種に売るというのですか? 」
その声はあまりに静かだった。湧き出す感情を必死に抑えているように見える。
「違う。お前を助けたいんだ。信じてくれ」
「あなただけは違うと信じていたのに……」
瞳が潤んでいる。
「王女を捕まえろ」
「誰が抑える役だ? 」
「お前、右足担当」
「服を剥ぎ取れ」
「エヘラエヘラ、ヒヒヒヒヒ」
口々に叫びながら巨人たちが近づいてくる。
「無礼者!! 」
王女の一喝が部屋に響く。
雷撃が貫いたかのように、勢いづいて迫っていた巨人たちの動きが止まる。
「無知蒙昧なる下賎の者どもが、私の体に触れようとするなど、考えることさえ……許さなない」
彼女の両瞳が蒼白く発光しはじめる。彼女の周囲も燃え上がる炎のように光出す。
「身の程をわきまえぬ愚者たちよ、今、その罪を死を持って償うがいい。冥界にて業火に焼かれながら、その罪の大きさを永遠に嘆き続けるがいい……出でよ、百狐」
手を前に差し出すと、彼女の前方の空間にぽっかりと真っ黒な穴が開く。その暗闇の向こう側からゆっくりと黒い柄のようなものせり出してくる。
黒い細い紐が巻かれている。その形状からすると日本刀の柄のようだ。
時折、亜空間とも思えるぽっかりと明いた穴からは光が閃く。
地の底から溢れ出てくるような猛烈な圧迫感。辺りに張り詰める、緊張感。
何か、得体の知れないありえないほど禍々しいモノが……来る!!