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第34話 別れ

 ショーは、必死の思いで自分の体を引き起こす。


 指先をほんの少し動かすだけでも、彼の全身を激痛が貫いていく。顔を歪め、痛みを必死に堪える。

 全身にこれほどまでの損傷を受けたことは、かつて無かった。否、受けたことはあったかも知れないが、王女の権能により傷は瞬時に回復され、痛みを感じることもほとんど無かった。 こんな時に王女の力の絶大さを知らされる。


 けれど大丈夫。痛みを感じるということは、まだ動けるということだ。……もちろん、残された時間は、僅かであるけれど。


「わかりました。……姫様の仰るとおりにします」

 上手く言葉にできただろうか? 呼吸自体も苦しい状態だ。聞き取れるように発音できているのか。もはや、自分の発する声さえ聞こえなくなっている。視界も相当に狭まってきていて、見える世界の半分以上が灰色に塗りつぶされている。

「さあ、姫様。早く向こう側へ行くのです」


 王女は頷くと何かを話したようだが、まるで聞こえない。それでも、ショーは彼女に微笑みかけると、差し出した王女の手を取る。


「もちろんお前も私と一緒に行くのですよ」

 口の動きから、恐らくそう言っているのだろう。ショーは頷く。


 少しでも気を抜けば意識が遠のきそうになる。少しでも気を抜けば、平衡感覚を失い床に倒れ込んでしまう。そして、一度倒れたらもう起きあがれないだろう。

一瞬たりとも気を抜くことはできない。

 たった数メートルの距離を歩くだけだ。けれどそれが、気が遠くなるほどの距離に感じられた。

 とてつもなく……遠い。


「大丈夫? 」

 隣を歩く王女が、ショーに声をかけてくる。声は聞こえない。唇の動きだけで判別しているのだ。

 王女が彼女の兄に一度殺された際に、彼女とショー達の間に結ばれた契約が解除された。それに伴い、結ばれていた意識上の回線が途切れたのだ。これにより、あの時を境に王女の声はショー達に届かなくなっている。


「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ」

 そう答えるのが精一杯だ。

 王女は、ノロノロと歩くショーの歩調に併せて歩いてくれている。

 時間が無いことは分かっている。今にもランドルフの仲間達が、それどころかサイクラーノシュ達がこの遺跡にやって来るかもしれないのだ。一秒でも早く逃走する必要があるのだ。だから、必死に歩みを急がせているのだけれど、思うように体が動かないのだ。


 それでもなんとか、異世界と現世を仕切る扉の前までたどり着くことができた。相変わらず向こう側は空間が歪み、時間さえもがこちら側とは異なるように思える状況だ。安全なのか危険なのか……そんな判断ができるような次元では無いことだけは理解できる。けれど、これは王族が作ったもの。彼らの力を信じるならば、【危険は無い】ということなのだ。

「姫様、どうぞ」

と、王女をうながす。彼女は頷くと、扉の向こう側へと歩みを進めた。


「さあ、お前も……」

 恐らく、王女はそう言ったのだろう。そして、続けて何かを言おうとしているのは分かった。けれど、それをショーが聞くことは無かった。


 王女が向こう側に行くなり、ショーは最後の力を振り絞って扉を閉じたのだから。向こう側からドアを叩く振動が、扉を押さえたショーの体に伝わってくる。

「ごめんなさい、姫様」

 ショーは一言だけの謝罪を、扉の向こう側の少女にかける。何か声も聞こえているような気がしたが、最早、何も聞こえない。


 急がなければならない。


 ショーは両方の手のひらを扉に密着させる。向こう側から押し返してくる力、何か小さな物がぶつかっている振動を感じるが、無視する。ここで心を乱す訳にはいけないからだ。負傷したことで音が聞こえなくなったことはむしろ僥倖だったな……と思う。もし、未だ聴力が残されていたなら、扉の向こう側から聞こえる王女の声に心をへし折られ、自分の本来の目的を忘れさせられていたはずだからだ。


 扉を物理的に押し開けられないように体を扉に預けながら、術式の展開を開始する。


 全ての生命力を代償に結実させる魔法。たった一つの明確な目的の為のみに発動さすそれは、大部分が失われたショーの生命力であっても絶大。


 ただ一つ、この扉を永久に閉じたままにする祈り、願い。

 王女が無事にこの世界の影響力から逃れ、向こう側の世界で平穏無事に過ごせるように。

この世界の、ありとあらゆる干渉から彼女を護る。


 王女を護る。

 自らの全てを賭して。


 差し出した両手に痛みが走る。


 空気が振動する。


 扉に当てた両手から魔法陣が展開される。更なる激痛がショーを襲い、意識を持って行かれそうになる。それを必死に耐える。

 全身の全てが両手に集まっていくと同時に、ゆっくりと末端から力が失われていく。機能が停止していく感覚。


 両手から扉へと注がれていく魔力は、扉を構成する物質に干渉し、本来の形とは全く異なる存在へと形を変えていく……。


 人や物の出入りするという扉に与えられた目的が、ショーの魔術によってその役割を根源から書き替えられていく。


 出入りさせるモノが、人や物の出入りができないモノへと本質から変貌していくのだ……。


 唐突に異変がショーの直感に訴えかけてくる。

 それが何かはすぐに分かった。

 人型の生命体とは、まったく異なる異質の何かが接近してくる。何度も対峙したことがあるから、今更恐怖することはない。


 これがサイクラーノシュの波動。

 初めて出会ってから忘れたことの無い、強大で凶悪で強烈な力。絶対的な存在である事の証明。


 王女達王族と対極にあるといっていい存在の力。


 予定より早くここまで来そうだな……。

 朦朧とした意識の中でも正確に感じ取る。


 しかし、奴らがどれほどの速度で来ようとも、すべてが確定した。


 術式は完了し、全てが書き替えられたのだ。ショーの全身全霊を込めた最初で最後の封印が、扉に為されたのだから。


「もう大丈夫……」

 全てを出し切ったショーは、体を扉に預け、ずるずると倒れ込んでいく。床に倒れ込んだショーは、ただぼんやりと、自分に訪れるであろう最後を待つだけだった。


 とりあえず、死んでいった仲間達には顔向けできそうだ。次第に意識が薄れていくのを感じている。

 とてつもなく過酷で困難な闘いだった。……けれど、やっと終えることができる。最良の結末では無い。望んだ結末でもない。後悔もいくつもある。けれど、終わりという安堵感があるのは事実だ。


 やがて、うっすらとぼやけた視界に、変化が生じる。

 この封印の間に幾人もの人間らしきものが入ってきたのだ。

 恐らくは、サイクラーノシュだろう。巨人族も引き連れているのかもしれないが、もう判別なんてできない。


 生憎だったな……。お前達の探している人は、もうお前達の手の届かない所にいったよ。ご苦労様。

 思わず笑みがこぼれそうになる。最後の最後で出し抜くことができたのだから、当然だろう。当然の結末を予想していた連中には悪いが、俺たちの勝利だ。


 遠くから少女の声が聞こえる。


 何だ?


 それは明らかに王女の声だった。

 もう耳は聞こえないはずなのに聞こえてくる。王女との精神回路は、既に途絶えて久しいというのに、彼女の声が聞こえてくるのだ。

 幻聴にしてはあまりにリアル過ぎるその声。

 最後の最後で奇跡を与えてくれたのだろうか。


「ショー、扉を開けなさい。今すぐこちらに来なさい。これは命令です。今すぐ答えなさい」

 その声には怯えと焦りに満ちあふれていた。たったひとりで未知の場所に投げ出された孤独感を感じる事ができた。

 今すぐ、側に行き彼女の手助けをしたい。……今更な想いがこみ上げてくる。何故こんな時に、できるはずもない事を求めるのだ。叶わぬ願いを願ったところで、空しいだけだ。


「姫さま……」

 ショーは必死の思いを念じる。


「ショー、ショーなのね。……そっちはどうなっているの。この扉、いくら開こうとしてもビクともしないの。鍵か何かでもかけられたみたいに……。どうなっているの。いえ、そんなことはどうでもいいわ。今すぐ、こちらに来なさい。何か良からぬ気がこちらに向かってきている。時間は無い。私の側に来なさい。あなたの体では、あれから逃れる術は無い。急ぎなさい」

 その切迫した声で、彼女もサイクラーノシュの接近を感じ取っているようだ。ならば、答えは決まっている。


「姫、私はそちらに行くことはできません。残念ながら……いえ、最初からこうなることは決まっていたのです。私はみんなの想いを背負いここまで来ました。そして、仲間達の願いをなんとか叶えることができたようです。……あなたを、この危機的状況から逃がすことを。もはや、これ以上望むことはありません」


「何を言うのですか。お前一人を残して、ここから去るわけにはいきません。せめてお前だけでも生きてほしいのです。私の為にみんな死んでしまうなど……耐えられません。すぐにこちらに来るのです」

 冷静であった、かつての王女からは、想像もできない狼狽ぶりが感じ取れる。心ない者からは、冷血とまで表された彼女の冷徹さは、自分を偽り弱さを隠すための者だったことは仲間なら皆が知っている。上に立つ者として感情を押し殺し、何事があっても動じずにいることで、部下を安心させようとしていたのだ。どんなに悲しいことや苦しいことがあっても一人で胸の内にしまい込み、耐えていたのだ。そんな彼女も、限界にまで追い込まれてしまっているのだろう。何かに縋らずにはいられないのかもしれない。けれど、ここで心折れてしまってはいけないのだ。


「姫様、あなたは生きなければならないのです。あなたを護るために逝った多くの仲間の為にも。私も仲間達の意志を継ぎ、ここで敵の追跡を止める役を、最後の努めとさせていただきます。この命にかけて、姫様をお守りします。ですから、あなたは向こうの世界へと向かい、再起の時を待つのです。あなたの騎士達のためにも」


「しかし……」


「姫様が生きること、それが我ら騎士の望みなのです。ですから、生きて下さい。何があろうとも、絶対に。あなたの命はあなた一人のものではありません。騎士団みんなが守り通したものなのですから」

 言葉を費やさずとも、王女ならすべて理解しているはずだ。あとは、決意するだけなのだ。

「もう時間がありません。姫様もすでに感じ取られているでしょう。敵が来ます。……私が封印となり、ここを守り続けます。ですから、姫様も自らの為すべき事を行うようにしてください。それが、王女であるあなたの努めなのですから」


 しばらくの沈黙が続いた。


 ショーは、何も言わずにずっと待つ。急かすこともなく、焦ることもなく。ただただ、主君たる者が正しい判断を下す事を信じて。


「わかりました……」

 先ほどまでの弱々しい言葉では無く、強い意志が感じ取れる王女の言葉を聞いた。


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