-1- プロローグ(眠り)
———。
ここは、闇につつまれすぐ先も見えない世界。
そして、物音一つしない完全なる無音の世界。
微かに俺の呼吸音だけが聞こえてくる。
今、俺は眠っているんだと気付く。
眠っているんだから、そろそろ起きなくちゃいけないんだろうな。……だけど、起きたくなんてなかった。
できることなら、このままずっと眠り続けていたかった。
どうして、そんなことを考えてしまう?
思い返されるのは、ほんの数週間の間に起こった出来事。
当たり前だったこれまでの日常をすべて根底から覆してしまうような事象の連鎖。
それは、あまりにも非日常的すぎて、言葉にするのさえ嘘くさくて、未だに信じられないこと。
いや、……信じたくない事。
親友の恋人、日向寧々と俺がキスをしたこと。
突然、俺たちの前に現れた転校生が、何の脈絡も無く、B級ホラーのように唐突に化け物へと変化して俺たちを襲ってきたこと。
日向寧々を目の前で殺されてしまったこと!
俺は彼女を護ることさえできなかった。
そして、彼女を護れなかった俺も殺されかけた。
その後、化物の登場と同じように、やはり唐突に王女が現れ、俺は彼女と下僕となる契約を結ぶことで生き返ることになった。
契約によって与えられた能力。
それは、人の能力を遥かに超えたものだった。
俺は彼女と協力し、寧々を殺した奴……寄生根と戦った。
それでも、あまりに多くの人が寄生根の為に殺されたり、死ななくてはならなかった。
その中には、俺の親友、漆多伊吹もいた。
彼は寄生根に取り込まれ、人狼となってしまったんだ。
俺は寄生根との戦いに勝利したけど、結果的に親友を殺してしまったんだ。
思い出すだけで憂鬱になってしまう。
もう少し、もう少しなんとか出来たんじゃないか、……と後悔ばかりしてしまう。
だけど、それはすでに手遅れなんだ。
過ぎ去った時間は戻すことができない。
そんなの当たり前のこと。
分かっている。理解している。
だけど、それをどうしても認めたくない自分がいる。
そして、どうして今、眠っているのか記憶にない。
漆多と戦い、彼を斃したことまでは記憶しているけど、その後どうなったのか、まるで記憶が無いんだ。完全にそこで記憶が途切れてしまている。
言えることは、ただ、……ただ疲れたという感覚だけしか残っていないんだ。
体も気持ちも重い。
やはり、無音。
やはり、暗闇。
その中で自問自答する自分。
もしかして、ここはやはり死後の世界なのかとさえ思ってしまう。
「人間、死んだらおしまいさ。その先には天国も、地獄さえない。あるのは、ただ永遠の暗闇だけ」
そんなことを言ってた人もいた。
それが、今の俺がいる世界なんだろうか?
……むしろ、それでいいのかもしれない。
誰もいないこの暗闇の世界で、一人陰鬱にこれまでの自分の行いを後悔し続けるのが俺にとっての罰なんだと思えば、少しはこの心の中でくすぶり続ける罪の意識も少しは軽くなるんだろうか?
どんどんとマイナス思考。考えれば考えるほど浮上できない想い。
ふと、思い出してしまう。
確か、何年か前にも、たしか中学生の頃だろうか? こんな気持ちになったことがあったように思う。どうしてそんなことを考えてしまったのか。具体的なことについては何一つ思い出せないけれど、本気で本当に苦しい状況にいたと思うんだ。
あの時、俺は世界から逃避したかった。本気で死と向き合っていた。
今もそんな気持ちなっているんだ。いや、状況が分かっているだけ今の方が本気だ。
何もかも放り出して、逃げ出したい。もう誰とも関わらず、誰にも傷つけられることも無く、誰も傷つける必要も無い、そして誰かが傷つくところを見なくてすむ、平穏な世界。
俺はそこで一生、一人で過ごすんだ。
そうだ、そうしたい。
現実逃避? 大いに結構じゃないか。そうまで開き直ってしまう。
しかし、突然、フラッシュバックのようにある光景が展開される。
「わたしと契約をすれば命は助かる。けれどそれは期限の無い契約。お前はわたしの下僕になり、わたしを護りわたしと共に生きなければならない。お前の命はわたしの手の中にあり、わたしが死ねばお前も共に死ぬ宿命を背負うことになる。……それはこのまま死んで行く方が遙かに楽かもしれないわ。さあどうするの? おまえには選ぶ権利があるわ……」
そう言って俺を見みつめる金髪の少女。その透き通るような白い肌。俺を見つめる意思の強そうな瞳の色は碧。まるで俺の心の奥底を見透かされているような気分になる。
血まみれで瀕死の俺はただ彼女を見上げるしかなかった。
あの時、俺は彼女の瞳の奥底に何を見たか?
そう、まだ幼い少女の背負ってきた絶望・悲しみ・怒り・諦め・恐怖・不安・孤独・逃れられぬ運命を見たんじゃなかったか? そんな世界をこの少女は生き、そしてこれからも生きていかなければならない少女の運命を知った時、俺は自分の命よりも先に彼女を護りたい、護らなきゃって思ったんじゃないのか?。
そうだ。そして俺は彼女に答えたんだ。
「死なずにすむんなら俺は君と契約する。この先にどんな事があったとしてもこのまま死んでいくよりはましな気がするし……」
と。
もっと言うべきことがあったんだろうけど、それ以上は照れくさくて言えなかった言葉。
【お前のことは俺が護ってやるよ。約束する。だから、もう辛そうな顔をすんなよって】
———そうだよ。
俺はまだ、こんなところで一人で閉じこもってなんていられないんだ。
いられないんだよ。
契約を、いや、約束をしたんだ。
王女《マリオン》を護ってあげるって。
俺がこのまま引き篭もっていたりしたら、彼女は一体どうなるんだ?
王女は、俺たちの世界とは違う世界から来たんだ。
当たり前だけど、彼女には誰も知り合いがいない。頼るものも何もない世界に、一人ぽっちにさせるわけにはいかないだろう?
俺と彼女との約束は、まだまだ果たされてはいない。ご主人様を不安にさせるようなことがあってはいけない。
俺は彼女の下僕、いや騎士なんだから。
眠るわけには、いかない。
「そうなんだ! 」
俺は声を上げた。
その瞬間、光を感じた。
そして、ふいに目が覚めたんだ。