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それはあまりに唐突な出現だった。
まるで床が盛り上がって、人型になったように見えた。
それは人の形をしているが、明らかに人では無かった。
それは見た限りでは、サソリの尾のようなものが生えていることを除けば、外観はほとんど人間のようにしか見えない。
その背丈は、それほど大きくない。人であるショーより少しだけ大きいくらいだ。身体には、それほど筋肉が付いているようには見えない。しかし、その質感、身体から発する気配から外観からは想像できないくらいに鍛え上げられた肉体なのだと想像できる。
一見、ヒョロリとした体型にしか見えないのだけれど。
頭には短めに刈られた髪のようなもの、切れ長の瞳。鼻は小さく、口もそれに合わせるように小さくて唇は薄い。
どちらかというと凹凸の少ない顔をしている。
人との大きな違いはその人型は肌の色が緑色であること。それ以上に違和感を持つのは、その身体が少し動くだけで皮膚の部分にあたる躰の表面が水面のように波打ってその形状を保てない実に頼りない存在のように見えるところだった。
何か固体と液体の中間の物質で構成されているのだろうか?
顔だって遠目には人間の顔、それも人並み以上の顔つきをしているが、近づいてみればそれが作り物のじみていて、そこにあるそれぞれの人間としてのパーツが本当に機能しているものかどうか判別できない事に気付くだろう。
まるで何か異質な物が、精巧に人の形だけを模しているかのようにさえ思えてしまう。
まるで……その姿形は、スライムのような人間?
そう言う表現がぴったりに感じられる存在。
「き、貴様……。まさか、私を見捨ててフィリップに取り憑くつもりなのか? 」
絞り出すような声を出し、ランプレヒトが目の前のスライム人間を睨む。
どうやら、彼らは顔見知りのようだ。
「ふむ……それは正解だ。だって考えてもみなよ。この状況ならそうするしかないだろう? 」
くぐもった、人の声にしては異質な音声が聞こえてきた。声帯を振動させて出せるとは思えない音声でそれは話した。
一応、人が話すように、その小さな口を動かす。唇の奥には歯らしきものも見える。
「だって、お前と心中するわけには、いかないからな」
「裏切るというのか? 約束を反故にするのか、貴様は」
「約束? なあ、それはランプレヒトよ。お前と私の契約のその前提条件は、お前が生き続けることだっただろう? お前はお前の目的の為に私を利用し、私も同様に私の目的を達成するために契約したのだ。しかし、今、お前の命運は尽きようとしている。いや、もはや尽きているという言い方が正解だな。お前は契約条件を満たさなくなったのだ。故に私はこいつの身体に入って新たな宿主を捜さねばならないのだ。器が死ねば私の命だって危ないのだからな。実際、もう長くは保たないようだから、そうのんびりと構えている分けにもいかないんだが……」
「いや、考え直せ。私に力を貸せ。私がフィリップの命を吸い上げれば、私が生き延びられるんだ。その暁には私の目的を達成できるのだぞ。姫を、いや、憎きマリオンを殺すことができるんだ。だから頼む。あと少しでいいから私と共にいてくれ、慈悲を!! 俺の願いを聞き届けてくれ」
スライム男は小笑いし首を横に振った。
「ははん、駄目だね。それは私の目的の障害となるじゃないか? どうやら騎士達は全員寿命が尽きるようだ。そうなるとあとはあの死に損ないのメスガキしかいないんだよな。お前との契約では、お前があのお姫様を殺すことができたなら、お前の身体を差し出すとのことだったな。でもお前が死んでしまうんじゃあ何にもならないだろう? 人狼の身体は戦闘向きだからいろいろと便利で気に入っていたんだが、まったくつまらん契約に縛られているもんだ。……まあ仕方ない。さしあたってはあれを乗っ取って新たな契約者を捜すのが最善の策のようだ。あんな弱体化したメスチビでは直ぐにぶっころされてしまうからな。移動の為にはやむをえまいだろう。けれど、。弱体化したメスガキだからこそ、取り憑けるんだけれどもね。本来の姫様じゃあ、近づくことさえできなかったからな。……あの姫様が前の力を取り戻したならもの凄いんだが、それはどうやらそれは無理みたいだしね。妥協も必要だということだ。よってお前の望みは叶えられないことになる」
そう言うと笑った。見下すように笑った。
「ぐははん、頼む! 頼む!! 我ら人狼族の積年の恨みを果たさずには、私は死んでも死にきれないんだ。頼む後生だ。時間をくれ。願いを聞き届けてくれ!! 」
「おいおい、情けないぞ。誇り高き人狼の騎士よ。なぜ、そこまで必死になる。どんなに懇願しようともお前の望みは叶わぬのは自明の理だろう。考えてもみろ、仮にこの騎士でなくお前が生き残ったとしたら、他の騎士はどう思うんだ? お前の命をこの倒れている騎士に託すことで話がまとまったのだろう? なのにお前が生き残っていたら、それは明らかに異常だ。決定事項に違反するような騎士など聞いたことがない。みんなはきっとお前を疑うだろう。お前達は目的の為なら自らの命など考慮しない誇り高きものなのだからな。死の恐怖がお前を迷わせ狂わせ騎士の誇りを捨て、友の命を奪ったと判断されるだろう? そうなったら、お前は本当に終わりだ」
「二人で話し合った結果、私が残ることになったんだと言えばきっと分かってくれる」
本気でそんなことを考えているのかは分からないけれど、人狼は答える。
「わははは。それは絶対にないだろう。彼らはお前を処断することはしないかもしれないが、きっとお前はここに置いて行かれることになる。長くお前に棲み、お前達騎士達を見ていたから分かる。一度決まった事を覆した者は異端者として捨て置かれる。これまでの功績やお前への友情から命は奪われずとも、騎士として彼らと共に歩くことは許されないだろうな」
冷たく宣告するスライム人間。
「たとえそうなっても構わない。私はいかなる手段を使っても姫を殺さなければならないんだ。姫を殺して街へ逃げる。お前は、そこで新たな宿主を見つければいいだろう? 巨人族でも人間でも、そして王族やサイクラノーシュ、なんでもいるはずなんだから」
「お前の王女への殺意がどれほど根深いものかは、同じ器の中に棲んでいたんだから少しは分かるけどな、……あまりに往生際が悪い。もはやお前の望みは叶わない。諦めて運命を受け入れるがいい」
「断る! 私の一族は姫に、マリオン王女によって皆殺しにされたのだ。ほんの僅か王族への謀反の疑いがあるというだけでだ。何の罪もない多くの仲間が目の前で殺された。父も母も兄もだ。幼かった私は抗うことも逃げることも何もできなかった。そして、混乱の中で瀕死になった私を、戯れであの女は無理矢理契約を結ばせ、私を奴隷として飼うことにしたんだ。そしてこれまで、ずっとずっと屈辱の中で生きていた。生き地獄に等しい日々を私は生きてきたのだ。その屈辱に耐えられたのは、いつかきっと一族の恨みを晴らすこと! それだけを生きる糧としてこれまでやってきたんだ。そして、今、最大のチャンスが目の前に転がってきた。圧倒的力を誇るマリオンが能力のほとんどを今失っている。そして取り巻きの騎士達もほぼ全滅状態。これまでは、あいつの力は取り巻きの騎士の戦闘力を考慮して可能性がゼロに近かったから行動を起こせなかった。しかし、ついに来たのだ。この最大のチャンスを逃がさない手は無い。私の屈辱まみれの人生が今、最大の飛翔のチャンスを迎えているのだ。なのに、このまま死んでいくしかないのか? 殺された仲間の無念を晴らすこともなく、目の前に転がってきた幸運を生かすこともなく、むなしく死なねばならないというのか!! 頼む、後生だから私に一度だけでいい、チャンスをくれ。マリオンを嬲りものにし、ゆっくりと後悔させながら息の根を止めることができれば、あとはどうなっても構わないんだ。少しだけでいい、私に生きる時間を与えてくれ」
目に涙を浮かべて懇願する人狼。
「しかし―――。王女の騎士として契約し、彼女を護って戦ってきた騎士が、主に対してそこまで激しい恨みを抱いて生きていたとはな。そして、その怨念を仲間の騎士にも、さらには主たる王女にも悟られずに生きてきたことには敬意を表さないといけないかもしれないな。……それだけは認められる、かな」
表面上は感心したような表情を見せるスライム状の人型。
「それは私が自分を偽り、自分自身も騙して生きてきたからだ。私の思いを悟られたら生きていられないだろうし、良くても追放されるからな」
「ふははん。それで騙せたとしたら王女も彼女の騎士達もずいぶんと惚けたお気楽連中だな。そんなチョロい連中だからサイクラノーシュや巨人達に出し抜かれ、この惨めな惨状にあるということなんだろうが。……まあいい、そんなおとぼけ連中の中で暮らしていたから、お前までもすっとぼけた事をいうようになったんだからな」
スライムは嗤った。蔑むように哀れむように。
……そして羨むように。
形が一瞬揺らいだと思うと、唐突に地面の中へと吸い込まれていった。
そして次の刹那、倒れていた騎士の身体が身震いをしたかと思うと、唐突に、むっくりと起き上がったのだった。
「ま、まさか」
眼前の光景に、その意味することを知ったのか驚愕し恐怖する人狼。
「そのまさかだよ」
にこりと微笑む騎士フィリップ。
しかし、その笑顔は、先ほどまでの騎士であるフィリップでは決してできないような【笑み】を浮かべていたのだ。
「やれやれ、なんとかこの身体はモノにできたよ。まあ、宿主の意識が完全に眠っている状態だから乗っ取るのは比較的簡単だったがね。これでこのフィリップとかいう騎士の記憶も知識もすべて掌中にあるわけだ。誰も別の何者かが操っているとは思わないだろうねなあ。ま、仮に分かったとしても、こいつの寿命は残り少ない。他の騎士達も同じだ。仲間のちょっとした異変に拘泥などする暇は無いはずだから、なんとかなるだろう。ふふふ、さてと」
そう言うと、恐怖に顔を歪め貼り付けにされたままの人狼を見る。
見よう見まねの動作で、先ほどフィリップが行っていた儀式を再開し始める。
「うがっ、や、やめろやめろ、やめてくれ」
全身を小刻みに振るわせ、唾を飛ばしながらランプレヒトが叫ぶ。
彼の叫びをまるで無視し、何の躊躇もなく儀式を継続する。
人狼の中から再び魂を具現化したらしい発光体がせり出してくる。今度は停止することもなく、ゆっくりと手をかざしたフィリップの方へと動いている。
「やめてくれ。私は死ぬわけには行かない。行かないんだ!! 」
絶叫する人狼。
「終わりだよ」
哀れみを込めた瞳でフィリップが呟く。
そして、かざした手のひらをぐっと握りしめ、自らの側へと引き寄せる。
呼応するようにランプレヒトの体内から現れた光の玉が一気に動き、フィリップの身体の中へと吸い込まれていった。
「う、がっあ」
大きく目を見開き、必死の形相でフィリップを睨む人狼。
拘束された両腕をなんとかして眼前の騎士へと向けようとするがそれは叶わぬ事だった。
「こ、こんなところで、死ぬなんて、みんなに顔向け、できな、い」
その言葉も最後までは聞き取れなかった。
見開いた瞳の光がまるで燃え尽きるろうそくの炎のように一瞬だけ輝きを増したかのように見えたが、直ぐに瞳は光を失い、白濁していった。
フィリップだった男はしばらく人狼の状況を確認し、彼が死んでいることを確かめていた。そして確信をもったのか人狼に歩み寄る。
「予定通りにはうまくいかないもんだな、お互いに。まあ俺はこの先も生き抜くから安心してくれ。タイミングが合えば、お前の望みも叶えられるかもしれないしな」
そう言いながら右手を人狼の見開いた瞳に伸ばし、彼の瞳を閉じてやるのだった。




