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暗転した意識が再び回復する……。
再び外に出たようだ。
城の外側……。
城門の前には、巨人が棍棒を片手に立ちはだかっている。
跳ね橋が下ろされた向こう側では、騎士たちが特に何かをするわけでもなく地面に座り込んでいる。
これまでの行動から、どうやら彼らのリーダーらしいランドルフだけが腕組みをしたまま微動だにせず、巨人と対峙している。
目に見えない緊張感が漂う。
やがて、城の中に何かの気配の動きを感じたランドルフがそちらを見た。
他の騎士たちも動きに気づいたのか、ゆっくりと立ち上がる。
扉が開き、人影が見えた。
遠目にも、その輝くゴールデンブロンドの髪が色艶やかだ。
白銀の鎧にマントを羽織った男が現れた。
俺には、それがクリスティアン皇子であることがすぐに分かった。
城門付近で待機する騎士たちは彼の事を知っているのだろうか?
クリスティアン皇子が近づいてくることに気づいた巨人が彼に向かい一礼をする。
「うまくいったんですかいな」
一応は恭しい態度を取る巨人ではあるが、どこかその動きには心が、王族に対する礼がこもっていないように思われる。
ニヤニヤ上目遣いで口元に笑みを浮かべている。
しかし、皇子は巨人に一瞥もくれずに通り過ぎようとする。
「ケッ……」
思わず舌打ちをする巨人の男。
「へへ、皇子、そのお顔ですと失敗でもしたんですかい? それは残念でしたな。ぷっ……予想通りですがね」
と、皇子の背後から、あえて聞こえるように呟く。
その声に立ち止まり、
「結果だけでいうと、問題なしだ」
と振り返って答えた。
「するってと、王女様は生け捕りにできたんですな? ちぇっ、糞、あいつら今頃は……わしも行けばよかったのう。へへへ」
卑猥な顔をし、舌なめずりを見せて皇子を見る。
「残念だけど、お前たちの望むような結末ではなかったけれどね」
皇子は跳ね橋をゆっくりと渡る。
すぐにランドルフは横に避け、片膝をついて頭を深々と下げる。
他の騎士たちの同じように皇子に道を開ける。
「ん? どしたの」
白衣を着たショーだけが何事が起こったか分からないように立ちつくしている。
「ショー、無礼だぞ」
慌てて一番近くにいたエルフのラスムスが彼の腕を引っぱり、無理やりに跪かせた。
「な、なんだよ」
「控えろ。皇子の御前だぞ」
とラスムスが眉をひそめる
「え? 皇子? だから誰なの? 」
と、ショーは、彼の言う言葉が理解できないかのような態度を取る。
意図的に反抗的な態度に出ているのか、それとも天然なのか?
「君とは初めまして、かな。若きマリオンの騎士よ。私はクリスティアン・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン・ゾンダーブルク・エーレ。マリオンの兄であり、王位第二継承権を持つ者だ」
音も無く側までやって来ていた皇子が笑顔でショーを見る。
「はあ、どうもです。俺、四方天 祥っていいます。なんだ、姫様のお兄様でしたか。こりゃ、なんつーか、……失礼しました」
頭を掻きながら謝る。
しかし、その無礼についてはあまり反省しているようには見えない
「おい、何を言ってる。……申し訳ありません。こいつはまだ良く分かってないもので」
エルフがショーを睨み付ける。
「いやいや、いいんだよ」
「ところでクリスティアン様。我が主はどちらに」
跪いたままのランドルフが会話に割って入る。
「うん? ああ、ランドルフか。久しいな。……マリオンは、妹は」
「ヒャッハー! お姫様はもう我々の手に落ち取るんじゃ!! 」
桟橋の向こう側で奇声を上げて巨人が叫ぶ。ゆっさゆっさと体を揺すっている。
「もう、お前らの主様は、終わりなんじゃよ」
「な、どういうことですか! 」
ランドルフが思わず立ち上がる。
他の騎士たちも同様だ。
「犬どもは馬鹿じゃのう。最初から、罠じゃったんじゃよ。愚かもんめ。お姫様はどう考えとったか知らんけど、まんまとわしらの罠に引っかかったんじゃよ」
「静かにしろ」
静かな声で皇子が巨人を制する。
彼のその蒼い瞳が発光したかのように見えた。
右手を伸ばし巨人に向けた瞬間、射抜かれたように巨人が黙り込む。何かに怯えたように頭を抱えてこちらを覗き見する。パクパクと口だけが目まぐるしく動く。
額にどういうわけか大量の汗が噴出している。
「姫様がどうなったというのです! 何があったというのですか! まさか巨人どもに」
取り乱したようにランドルフが皇子に迫る。
「落ち着け、ランドルフ。妹は、マリオンは、……死んだ。いや、私が殺したよ」
静かに宣告する。
「な、……なんと!」
それ以上の言葉が続かない。
他の騎士達も皇子の言葉が理解できていない。
呆然とした様子で立ちつくすだけ。
「投降すれば命は助けると伝えたんだが、予想通り、彼女は応じてくれなかった。彼女は相変わらずの頑固者だからね。……仕方がなかったのだ」
「て、てめえぇっ!! 」
突然、黙って話を聞いていたショーが髪の毛を逆立たせ、飛び上がるように立ち上がる。脇に抱えていたノートパソコンのようなものが地面に落ちる。
「止めろ! 」
ランドルフが、ラスムスが声を上げて止めようとするが間に合わなかった。
ショーは両手を白衣の中に入れたかと思うと、次の瞬間には両手に何かを持っていた。
それは、黒光りするもの。
この世界には異質な物体。
その形状、どう見ても拳銃だった。
角ばったデザイン。そしてマガジンが抜け落ちそうに見えるほど長いロングマガジン。
ステアーM1912に似ている。
彼は両腕を伸ばして前方に突き出す。狙いを定め引き金にかけた指を引こうとする。
しかし、次の刹那———
「ぬ、ぐ、ぐああ」
突然、ショーは悲鳴にも呻き声ともつかない声を上げ、苦しみだした。
「ぬ、なん、な、なんだこれは! 」
苦痛に顔を歪め立っていられずにそのまま地面に両膝を付いてしまう。
必死になって銃口をクリスティンに向けようとするが、手が震え狙いが定まらない。それどころか手にした拳銃がありえない重さにでもなったかのように、両腕を上げることもできなくなる。
万力で全身を締め付けられているように、ほとんど体を動かせないようだ。プルプルと小刻みに体が震える。それでも顔を真っ赤にして振りほどこうともがくが、どうにもならない。
「ショー、武器を離せ。皇子への敵意を解くんだ」
駆け寄ったラスムスが叫ぶ。
「な、なぜ」
「王族と契約した者は、王族へ害悪を向けることはできないんだ。敵意を持った瞬間、体の中に刻み込まれた契約が発効し、今のお前のようになってしまうんだ。早く武器を収めろ! 敵意を捨てるんだ。どうあがいたって、我々は王族の方には逆らえないようになっているんだ。もがくだけ無駄だ。早くしろ! 」
「い、や、だ。嫌だ。姫を、姫をこいつが殺したんだ、ぞ。絶対にこいつを許せない。ぶっ殺す。でないと、俺は……」
抵抗しようとすればするほど、想像を絶する痛みと苦しみが全身を貫くようだ。無様に地面に倒れこみ、苦痛にのたうつ。
ショーは両目が飛び出しそうなくらいに瞳を大きく見開き、苦しみ続ける。口からは泡が、眼からは涙が、鼻からは鼻水が止まらない。
「う、うがが、……ゆるさ、ない」
刹那、さっきまで跪いたままだったクリストハルトが音も無く悶え苦しむショーの前に立った。
そして、おもむろに彼の襟首を掴み上げ、大きく右腕を振りかぶったと思うと力任せにショーの左頬を殴り飛ばした。
もんどりうって転倒するショー。衝撃で両手の銃が地面に転がり落ちる。
彼は地面を数回転がり、大の字になって倒れた。
「いててて、何するんだよ」
そう言って、呻きながら起き上がる。
痛みをこらえているが、先ほどのようには苦しみのたうっていない。
「どうだ、楽になっただろう」
そっけなく言い放つ。
「お前の気持ちは分からないではないが、我らが今なさねばならないことは、皇子と戦うことでは、無い」
「だけど、だけど」
納得いかない表情で騎士を見つめる。
「俺は、俺は……姫様を護るって。どんなことがあっても、俺の命に代えても御守りするって約束したんだぞ。なのになのに、何でなんだよ」
「それは私とて同じだ。みんな同じだ。自分の無力さをこれほど思い知らされたことはない。だが、私たちは行かなくてはならない。姫様の下に。そこにどんな結果が待ち受けていたとしても、私たちは姫様の騎士なのだから、お側にいなければならない」
そういって肩を叩く。
その瞳は潤んではいたが、ショーに対する優しさに満ちていた。
「そうだ、ショー。クリストハルトの言う通りだ。我々が今なさねばならないことは、姫の下へ駆けつけることなのだ」
そう言うと、マントを翻し、皇子に一礼をしてランドルフが城へと向かおうとする。
人狼、そしてエルフも彼に続く。
誰もが皇子に対しては抑えがたい感情を持っているのだろうけど、言葉にも態度にも出すことはなかった。
痛みをこらえ、なんとか立ち上がろうとするショーの横にクリストハルトが近づき、転がったノートパソコンと銃を拾い上げると、彼に肩を貸す。
「残念だけど、もう今から行っても、万に一つもマリオンは助かることはないだろう。行くだけ無駄なことだ。君たちができること、それはせいぜい、彼女の遺体を回収できるだけだろう」
冷たく皇子が言い放つ。
ラインドルフが振り返る。
「いついかなるときも我々は姫様の御傍にいなければなりません。我らは行かなければなりません。それでも、皇子は我らを足止めなさりますか」
ほとんど表情に変化をださずに答える。
もし、皇子が行かさないと結論付ければ、当然戦いとなるだろう。
しかし、王族とその眷属の間には圧倒的に不利な契約内容となっているようで、絶対に王族には歯向かうことはできないようだ。
ならば、結果は単純。王族による、ただの虐殺だ。
よって、その返答によっては、ここは血の海になる。
しばしの間。
緊張が走る。
ランドルフたちは自分たちの意思を皇子に示し、皇子は彼らの覚悟を確認する。
皇子は軽くため息をついて、少し笑ったように見えた。
「そうか、……まあ勝手にするさ」
そう言うと彼は再び歩き始めた。そしてこちらを振り返ることはなかった。
去り行く彼の周りの空間が突然歪み、溶け込んでいくように皇子が消えるのを見届けると、騎士たちは跳ね橋を越え、城の中へと向かう。
ショーも何とか一人で歩けるまで回復しているようだ。よろよろと彼らに続く。