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コギトの雨  作者: 海老
第一章 マクスウェルの魔物
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八、暗闇の星明り

「その後僕は、コギトのそばへに駆け寄りました。コギトはさびしそうな顔で、自分がこわくなったかと僕にたずねましたので、僕は黙って首を横に振りました。

 そしてコギトはいつものみたいに、僕の頭に手を置いてくれました。

 するとカヤックさんがやって来て、僕達が街を出るための算段さんだんを立ててくれたのです。

 僕の荷物はカヤックさんが取りに戻ってくれて、僕とコギトは街の外にあるカヤックさんの浄水場じょうすいばで待ちました。

 その間コギトはほとんど黙ったままで、僕も何も聞けずにいました。

 その頃にはもう雨も上がり、日も随分ずいぶんれていました。

 僕はカヤックさんを待つ間、窓の外を見ながらコギトの事ばかりをぐるぐると考えていましたが、いくら考えてみても僕にはもう何をどうして良いのかすっかり分からなかったのです。

 ですから、もうぐるぐるとどうしようもないとういところまで考えたすえ、コギトが自分から話をしてくれる時まで、僕はただコギトを信じて待つようにしようと決めました。

 そうするとなんだか少し胸の辺りのもやもやしたものが楽になって来て、自然とカザリゼで出会った色々な人たちの事を考えられるようになりました。

 カザリゼは本当に素敵な街で素敵な人たちばかりでしたので、きちんとお別れの挨拶あいさつを出来なかった事や、カヤックさんの水を使った宿のおじいさんの料理を食べられなかった事などが、今更いまさら本当に残念に思えておりました。

 そしてしばらくしてカヤックさんが、僕の荷物と革袋かわぶくろいっぱいの水と、マリさんのお弁当を持って来てくれました。

 コギトは深々と頭を下げ、お金を渡そうとしましたが、カヤックさんはそれを受け取りませんでした。

 その後カヤックさんとお別れをして、僕達は真っ暗な夜のカザリゼを、アイーダに向かって歩いて出発したのです。

 これがカザリゼであった事の全部です。」

 辺りはすっかり静まりかえり、窓から吹き込んでいた風はいつしか冷たくなっておりました。真っ白いレースのカーテンがそよそよと小さく揺れています。

 黙って話を聞いていたアマンダさんは、ふうとため息をきました。そうして僕を優しく抱きしめて、わたのような声で言いました。

「辛かったでしょう。」

 僕はアマンダさんの優しさが、なんだか急に胸をめ付けるというふうでした。

「ありがとう、スム。ありがとう。」

 アマンダさんは僕の頭を何度も柔らかくでてくれました。

 僕は心の奥の方からなんだか熱いものが込みあげて来て、たまらずに声を出して泣き出してしまいました。

「恐かった。恐かったんです。優しい街の人達に大好きなコギトが魔物と呼ばれて、人が目の前で死んで、それはコギトがした事で、でもコギトはすごくすごく悲しそうで、なんだか世界がもう真っ暗になってしまったみたいで。」

 僕は溢れて来る感情をただそのままに口にしておりました。

「スム、あなたは本当に、本当に立派よ。こんなに小さな身体からだで、コギトを受け止めようと必死になって。おかげでコギトは、本当に救われているわ。でもね、スム。忘れないで。あなたはまだ大人に、私達に甘えていいのよ。」

 そうして僕は、アマンダさんの胸の中で疲れ果てるまで泣きました。アマンダさんは黙ったまま、いつまでも僕の頭をで続けてくれていました。

 ああ、どれくらいの間泣いていたでしょうか。

 泣き疲れた僕はアマンダさんから離れて、すみませんと小さくあやまりました。

「あら、案外あんがい人の話を聞かない子ねえ。甘えていいのだと言ったでしょう。」

 アマンダさんは今度は僕の頭をくしゃくしゃとしました。

 僕がうれしくって笑い出すと、アマンダさんも一緒になって笑ってくれました。

「では食事にしましょう。よくて、好き嫌いなくたくさん食べるのよ。男の子なんだからうんとね。昼間に作りそこねたパイもあるし、鶏肉とりにくもたくさんあるのだから。」

 ドアを開けるとにぎやかないい香りがどっとやって来ます。すると僕のお腹はぐうとこたえました。

「アマンダさん、もしかして昼間は食事の支度をしてくれていたのに、僕が寝てしまったからそのパイが駄目になってしまったのですか。もしもそうなら本当にごめんなさい。」

 僕たちは部屋を出て、お腹をさすって階段を降りました。

「いいえ、コギトがあなたが寝てしまったと言いに来てくれましたから。オーブンに入れる前で本当に良かったわ。私、得意なのよ。それに、コギトが寝かせてあげて欲しいって。」

 階段を下りるとヒゲの男性が立っていて、厨房ちゅうぼうとは反対の奥の部屋に案内されました。

 するとそこにはたいへん大きな机があって、その上には豪華ごうかな料理がたくさん並べられておりました。その真ん中には立派な鶏肉がどんと置かれていて、それはもう堂々としたものなのです。

 僕は一瞬目をまるくしましたが、これはいけないと思い直ぐさま言いました。

「こんな豪華ごうかで立派ですごい食事は申し訳ないです。特にあんな立派はとりは、ものすごく高いのだと、おじいさんから聞いています。」

 アマンダさんは少しびっくりして言いました。

「あらあら、本当にしっかりした子ね。有望ゆうぼうな助手だこと。明日から楽しみだわ。言いたい事はよく分かるけれど、子供があまり遠慮えんりょするものではなくてよ。さすがに毎日これは出せないけれど、今日は私達が出会ったお祝いですからね。それにこのとりはあなたに食べさせてあげて欲しいって、コギトが持って来てくれたのよ。この街ではこんな立派なのは手に入らないから、きっとカザリゼから持って来たのね。」

 ああ、あの時コギトはこれを買いに行っていたのだと、僕はなんとも言えないぼおっと温かい気持ちになりました。

「そうそう、紹介するわ。ここの宿を取り仕切ってくれています、ジャンバニです。おヒゲがチャーミングでしょう。」

 ヒゲの男性が、ずいと前に出ました。

「はじめまして、ジャンバニと申します。先程さきほどすでにスム様の寝顔は拝見はいけんしておりますので、どうか心知こころしれた者として接して下されば光栄こうえいです。日々アマンダ様の奔放ほんぽうさに心身しんしんくだいておりますが、必ず諸々お力添ちからぞいたしますゆえ些細ささいな事でも結構でございます。なんなりとお申し付け下さいませ。」

 ジャンバニさんは深々と頭を下げました。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 お二人の温かさがみるようで、僕はそう言うのが精一杯でした。

「ジャンバニったらせっかくおヒゲをめたのに。いつもああやってつっつくの。さあ、そろそろいただきましょう。私もお腹が空いてしまったわ。ほら、席に着いて。スムが主役なのだから、座っていただけないと私も食べられないのだけど。」

 僕はなんだかまた泣き出しそうでしたが、懸命けんめいこらえながら黙ってペコリと頭を下げ、席に着きました。

「さあ、召し上がれ。」

  アマンダさんはにっこり笑って言いました。

「いただきます。」

 僕はたいへん勢いよく食べました。

 お肉がおいしいです。

 スープがおいしいです。

 サラダがおいしいです。

 パンがおいしいです。

 パイがおいしいです。

 お水がおいしいです。

 僕は本当にいつまでも勢いよく食べました。

 アマンダさんはゆっくり食事を取りながら、それを黙って優しく見ておりました。

 僕はあっという間にお腹がいっぱいになり、もうちっとも動けないというふうでした。

「ふふふ。満足いただけたみたいで何よりだわ。お気付きかしら、ここのお水、カヤックさんの所のお水よ。あんまり美味しいものだから、研究用に取り寄せたものを食事にも使ってしまったの。」

 僕はたいへんびっくりしましたが、どおりでおいしい訳だとなんとも納得したのです。それと同時に、あの宿のおじいさんの料理もきっとこんなにおいしいのだろうと思えて、なんだかたいへん嬉しい気持ちになりました。

「ではお風呂に入って今日はもうおやすみなさい。支度が出来たらジャンバニの所にね。お風呂に案内してくれるわ。」

 僕はごちそうさまを言って部屋へ戻ろうと、階段の手すりに手をかけました。するとアマンダさんは僕の名前を読んで、座ったままゆっくり優しく話し出しました。

「もう何百年も前に、パラケルススという歴史的にも偉大な学者さんがいました。その学者さんは変わり者だったけれど、本当にたくさんの業績を残したわ。私達全ての学びの道を行く者は、みんなこのパラケルススの偉大な業績の上で学んでいます。そのパラケルススがね、終生口にしていたと言われる言葉があるの。"思いは伝わる。山も谷も海も、時間さえ超える。阻めるものは何もない。"現に彼の思想や学問への情熱は、時間を超えて私達に受け継がれているわ。だからあなたのコギトを大切に思う気持ちもきっと伝わるわ。いつか必ず、一緒にあの人のさみしさを忘れさせてあげましょうね。さあ、だから今夜は安心して、ゆっくりとお休みなさい。」

  アマンダさんはそう言うと優しく笑って、ティーカップにゆっくりと紅茶を注ぎました。

  僕はアマンダさんに、ありがとうございますとおやすみなさいを言うと、部屋に戻ってベッドにドッカリと横になりました。

 ひんやりと冷えたシーツと風が、本当に気持ち良いです。

 窓からはただ真っ暗なだけの空に、小さな星がポツリポツリとあちらこちらで光って見えておりました。

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