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コギトの雨  作者: 海老
第二章 地底の都フィロソフィアとシュレーディンガーの猫
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二十、知識の匣

 大きな建物を目指し奥へ奥へと進む道中、僕はアマンダさんに、この不思議な空について尋ねました。

「アマンダさん、あの空はいったいどうなっているのでしょう。ここは確かに地下なのですよね。」

 アマンダさんは天井を見上げます。

「あれはね、どうやら念像というらしいの。催眠のようなものと言うと、そうね、語弊があるかしらね。天井からこちらに空のイメージを飛ばして、私たちはそれを思覚で受信する。するとそこに実際には空がなくても、まるで本当に空の下にいるような錯覚を起こすという仕組みだそうよ。まぁ実際には人工の光で明るいのですけど。」

 僕は催眠や錯覚という言葉に、なんだか少し怖いような気持ちになりました。

 こんなにも本物そっくりの空が錯覚で見せられているのであれば、目に見えるものが何も信じられなくなりそうに思えたのです。

「全く恐ろしいだろう、スムくん。だが問題はね、この念像の天井から建造物修復の機械達まで、この街が未だに正常に機能している事だよ。これ等はまず間違いなくオレイカルコスの力で動いていると見て間違いない。という事はだよ、君。思念エネルギーは何処から調達しているのかね。ここにはもう人はいないのだよ。」

 ズッタルッカさんは眼鏡をカッチャリやって、すぐ横で僕を見下ろしました。

 僕は確かに不可思議なことだと思えましたので、難しい顔でしばしおりましたが、よく分からないというふうに目配せで答えました。

「考えてごらん。この上には何があるかね。完全に真上という訳ではないけれど、アイーダがあるだろう。恐らくこの街は我々アイーダの人々の思念エネルギーで稼動していると、僕はそう考える訳だ。どうだい、如何にも正しいだろう。しかしね、スムくん。則ち、則ちだよ。オレイカルコスという物質は、それ程までに高性能で劣化のない人類史上間違いなく最高のエネルギー媒体だ。そしてケイローンはそれを使いこなす技術を持っていた。この街を見てはっきりと確信したが、恐らく思念エネルギーは一度は全てのエネルギーにとって変わったんだ。けれども、思念戦争の後、オレイカルコスもそれを扱う技術もぱったりと姿を消した。いくら大規模な争いでオレイカルコスを消耗したとしても、オレイカルコスという存在すら現代に伝えられていないというのは、余りに不自然だ。つまり、オレイカルコスと思念エネルギーは、人為的に歴史から消されたとみるべきだろう。ケイローンか、サトゥルヌスか、或いは全く別の何かの手によって、ことごとく隠ぺいされたんだよ。けれども何故、ここはこんなにも完全な状態で遺されたのか。実に興味深いじゃあないか。まあ、何れにしても、この街の中に必ず何かあるはずさ。偶然ここだけ遺ってしまったってことはないだろうからね。」

 ズッタルッカさんは、もうすぐそこに見えている目的地を前に、どうにも興奮を隠し切れないというふうに、力の入った様子で言いました。

 それは如何にも当然で、この建物の大きく厳かな出で立ちを目の当たりにして、何も期待しない研究者などいないのではないかと思うのでした。

 外壁の材質は他の建物と同じような印象でしたが、その大きさは今まで見たどんな建物よりも大きく、正面には入口へ向かうための十数段の短い階段が、調査隊全員が横一列で上れてしまう程の広さで堂々とありました。

 階段の先には四本の太い柱が等間隔で立ち並び、その真ん中には石碑のような物が見えます。そしてその奥が入口のようでした。

 僕達はまずその石碑を調べることにしたのでした。

 石碑には何か大きな文字が掘られており、僕から見ても恐らくこれがこの建物の名前だろうと思えました。

 キムさんや解読斑の方々は、ゴソゴソと資料を取り出しながら石碑を囲み、しばししゃがみ込んで話し合いをしておりました。

「経験、いや、知識か。知識の、ああっと、匣。知識の匣。そうですね、知識の匣、と解釈するのが妥当かと思われます。」

 ロメノフさんの後ろで一緒にしゃがみ込んでいたアマンダさんは、キムさんの見解に眉間を小さくシワにして、ふいっとズッタルッカさんの顔を見ました。

 ズッタルッカさんが分からないというふうに首をかしげて見せると、カダカさんがズッタルッカさんの肩をポンと叩きました。

「入ってみりゃ分かる。ここまで来たんだ。それがどういう意味かなんてもう細かい詮索はまだるっこしいじゃあねえか。まあ、素直にこの匣が開いてくれりゃいいがな。」

 アマンダさんは、ふうっとため息をついてすっくり立ち上がると、行きましょうとハキハキ言いました。

 僕たちは奥へと進み、入口の立派な扉の前へとやって来ました。

「これは木製かしら。まさか、あり得ないわ。何処も腐っていない。」

 アマンダさんは、扉をさするように触り呟きました。

「嬢ちゃん、わしらは今、あの神話の都に来ておる。あり得ないことなぞ、もう何もなかろうに。」

 カダカさんはくっくっくっと喉を鳴らして笑うと、ずいと前へ出て、扉の取手に手をかけました。

「開けるぞ、嬢ちゃん。いいな。」

 アマンダさんは暫くカダカさんの目をじっと見てから小さく頷くと、ゆっくり一歩下がりました。

 カダカさんはそれを確認すると、片方の扉を少しだけ手前にぐっと引きました。

 すると扉は苦もなく滑らかに少し開き、カダカさんはまたアマンダさんは目をやりました。

 アマンダさんは今度は大きく頷き、僕たちは息を呑みました。

 カダカさんはもう一度扉へ向き直り、ゆっくりと開き切りました。

 中は薄暗く、ここからではどうなっているのかは確認出来ません。

「わしが先に行こう。」

 僕たちはカダカさんを先頭に慎重に中へと進みました。

 中へと入ると、目が慣れたのか、或いは少しだけ明るくなったのか、部屋のあちこちにロウソクを灯したような薄明かりと入り口から差し込む外の明かりとで、はっきりと中の様子を見て取れました。

 建物の中は壁によって隔たれておらず、ここから見える限りでは、恐らくは巨大な一部屋であると思えました。

 その端の見えない隅から隅まで、大人の男性の倍以上あろうかという木の棚のような物が、それはもう何処までも等間隔で敷き詰められておりました。

 アマンダさんは一番近くの棚へ近づき、そこに並べられているものを手に取りました。

「本よ。全部、全部本。この辺りの棚は全部。そちらは。皆さん、手分けして。」

 アマンダさんは少し上ずった声で言いました。

 僕達は手分けして近くの棚を見て回りました。やはりどれも本。どの棚も本なのです。

「嬢ちゃん、こっちも全部本だぁ。」

 カダカさんが、叫ぶと散り散りの調査員があちこちでどれも本であると声を上げました。

 そうしてある程度を見回って、どこも本ばかりである事を確認すると、再び全員扉のところへ集まりました。

「知識の匣とは巨大な図書館を意味していたのかしら。」

 アマンダさんは目前に広がる膨大な本棚をまるでうっとり見つめて言いました。

 すると、ズッタルッカさんが近くの棚から本を一冊取り出し、パラパラとめくって答えました。

「恐らくそういう事なんでしょう。けれども分からない。ケイローンは信じられない程高性能な演算装置を有していながら、何故わざわざ情報を紙媒体で保存したのか。街並みにしてもそうだ。ここまでの技術がありながら、何処か質素で有機的というか、温かい印象を受ける。僕ぁてっきりテクノロジー剥き出しの超先鋭的文明だとばかり思っていたのだけれど。」

 確かにズッタルッカさんのおっしゃる通りでした。

 現代の文明においても、やはり技術の進んだ街や経済の豊かな街は、あらゆる工場が立ち並び建物が所狭しとひしめき合っているのですから、ケイローンの時代には更に人工的に住み良い環境が構築されていて然りだと思えました。

 本をパラパラやっているズッタルッカさんの後ろで、ロメノフさんが棚をコツコツ叩きながら言いました。

「何か訳がありそうですね。俺もなんというか、少し期待外れでしたよ。もっとこう、見た事もない機械で溢れかえってるんじゃないかと思ったんですがね。」

 ロメノフさんは今度は足をドスドスとやって言いました。

「それにほら、ここの床にしてもそうですよ。なんだか草みたいなもんが敷き詰められていて。建物の外見には似付かわしくないですよ、やっぱり。」

 そう言われて見れば、床一面には、部屋のずっと向こうの見えない先まで、何だかわしゃわしゃとしたものがどこまでも敷かれておりましたが、本棚の数があんまり多かったので、すっかり気づかずおりました。

 皆も同じと思えて、下を見たりしゃがみ込んだりしております。

「カダカさん、これは。」

 アマンダさんは床の草のようなものを一本つまみ上げて、低い声で言いました。

 すると、カダカさんはアマンダさんの強張った様子に気付き、自身もずっくりしゃがみ込みました。そうして床の草を一掴みすると、何やら良く観察しておりましたが、俄かに慌てた様子で目の前の床の草を払いのけ始めたのです。すると、払いのけられた草の下から、それは美しい落ち着いた色合いの、僅かに光沢する床が顔を出しました。

 それを確認したカダカさんは、片手で自分の髪をワシャリと掴んで、反対の手で草のようなのをパラパラとやりました。

「いったいなんだっていうんです。」

 ロメノフさんが恐る恐る尋ねました。

「こいつは草じゃあない。獣の毛だ。」

 僕はカダカさんの言葉に、自分の血の気がみるみる引いていくのをはっきり感じました。

 全員がしばらく言葉を発せないまま、緊張感だけが響きます。

 すると入口の方から俄かに声がしたのです。

「持っている武器を、全て捨てて下さい。」

 誰もがびくりと反応して、一斉に銃口をそちらに向けました。

 そこには、あのシラードという男性、傍には縛られたソヨが立っておりました。

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