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コギトの雨  作者: 海老
第二章 地底の都フィロソフィアとシュレーディンガーの猫
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十九、第二地底都市フィロソフィア

 正門の中へ入ると、僕達は暫く暗い道をずんずん進みました。

 手持ちの小さな灯りでは全部を照らしおおせませんでしたが、そこにはなんとも広い広い空間があり、あちらこちらにたいへん大きな白い柱のようなものがちらちら見えました。

 それ等は壊れている様子も汚れている様子もなく、静かに、ただあるべき物として堂々とそこにありました。

 僕には不思議と不安や恐れはなく、それどころか、奥へと進むに連れてなぜだかだんだんと穏やかな気持ちにさえなっておりました。

 アマンダさんは時々こちらを見て、僕の様子を気にして下さっておりましたが、やはりアマンダさんも同じ気持ちになっていらしたのか、こちらを覗くその顔はなんだか優しい表情に見えたのでした。

 そうして歩いておりますと、暗闇の少し向こうに、ぼんやりと白い両開きの扉のような物が浮かんで見えて来ました。遠巻きでははっきりとはしませんでしたが、どうやら正門と同じか、それ以上の大きさがあるようでした。

 するとカダカさんが、ぼそりと言います。

「実に妙だな。」

 アマンダさんはすかさずというふうに何がですかと尋ねました。

「いや、足音がな。静か過ぎると思わんか。27人もの人間が、重い荷物をぶら下げてこんな広い空間を歩いてるんだ。もっと響いても良いもんじゃないか。」

 確かにそう言われてみれば、洞窟のように音が響いたりしているというふうではなく、まるで山の中を歩いているみたいです。

 アマンダさんも暫くしかめっ面になってこくこく考えておりましたが、ピシャリと切り替えたようにすっきり言いました。

「考えても仕方ありませんね。まあ、危険に繋がる事でもないでしょう。」

 カダカさんはくっくっくっと喉を鳴らして笑いました。

「そうさな。パダヤの馬鹿の言う通りなら、それでどうということもあるまい。しかしこいつもまた馬鹿でかい扉だな。正門は不思議と女子供でも片手で開けられるほどだったが、こいつはどうかな。パダヤの奴は何と言ってやがった。」

 カダカさんはそう言うと、いつの間にか目の前まで来ていた扉を、ぞろりと立ち止まって見上げました。

「どうやらこの扉もまるで力のいらないふうだったそうです。どういった仕組みかは、おいおい調べて行きましょう。」

 アマンダさんは暫く扉をみつめると、深呼吸をひとつして、こちらに向き直りました。

「さあ、この先は遂にケイローンの都よ。よくて、みなさん。」

 僕たちはなんだか急に血の巡りがどくどくなって、ツバをゴクリとやる音があちこちでしました。

 そうしてアマンダさんがカダカさんに目配せすると、親分は小さく頷いて、それは力いっぱいにためらいなく扉を押し開きました。扉はゴゴゴゴゴッと低い音を立てて、勢いよくいっぱいまで開ききりました。

 すると、まるで地下から晴天の地上に出たように、眩しい光の帯が一斉に僕達へ注ぎ、誰もが目をぐいとしぼめました。

 そうしてゆっくり目を開けると、目の前にはまるで予想もしていない巨大な空間が広がり、僕達の立っている場所よりも更にずっと下には、白く美しい街並みが、忽然と広がっておりました。

 そして頭上には、白い雲がゆったりとたゆたう青い青い空が、四角く切り取られ貼り付けられたようにありました。

「こりゃあ、たまげたな。」

 カダカさんが小さく声を洩らしましたが、後は唸るばかりで誰一人言葉を選べる者はおらず、暫く魅入られるようにじっと石のように動かずそこにおりました。

 建ち並ぶ建物はそれはきっちりと区画を整備され、その建物の白い壁や屋根には時間の経過は見て取れず、まるで今日や昨日作られたようです。

 すると静まり返るその街の何処かで、小さく物音が響きました。

 僕達は我に返るようにびくりとして、視線を音のした方へ一斉にやりました。

「何か動いていますわね。行きましょう。あれが何か確認出来なければ、あの奥の建物へ安心して向かえませんから。」

 アマンダさんはそう言うと目の前の丸い大きな円盤のような足場へ向かい、僕達もそこへ続きました。

「これが昇降機って訳ですか。」

 ロメノフさんが呟くと、キムさんが信じられないなと反応しました。

 アマンダさんが円盤状の足場の端にある石碑のような物に近づきスイッチを押すか何かすると、円盤の隅から僕達を囲うような形で手すりが現れ、すぅっと静かに下へ下へ動き出しました。

「これだけのものを動かして、なんて静かな。」

 キムさんが唸りました。

「キムさん、解読、見事でしたね。」

 アマンダさんがキムさんの方へコトコト歩きながら言います。

「お陰様で。しかし、我々解読斑が知り得たのは、この昇降機で街まで降りられるというところまで。先遣隊が行ったのもここまでです。この先は、本当に何が待っているのか。」

 円盤はいつしか音もなく止まり、僕達は街のある下層へと降り立ちました。

 なだらかに舗装された街道は、精密な石畳ともツヤの無いタイルともつかないなんともやわらかな様子で、間近で見る白い建物は遠くで見るよりも一層美しく、時間が止まっているとさえ感じました。

 僕達は一番近くの建物にぞろぞろ近付き、各々触れてしまわないよう慎重に観察しておりました。

 するとカダカさんが革の手袋をガッサリ外し、躊躇することなく手で直接外壁を触り、コンコンコンと叩き出しました。

「こいつは一体なんだ。土のように温かいが、金属のように硬い。この白さも塗料を塗った感じじゃないな。おい、ズッタ、どうでぇ。」

 解析斑の長であるズッタルッカさんは、困った顔をして答えました。

「カダカさん、また考えもなしにいきなり触ったりして。困りますよ。何かあってからでは遅いのですから。僕ぁ責任取れませんよ。」

 僕は詳しくは知らないのだけれど、ズッタルッカさんはたいへんすごい研究者らしく、ラボ中でただ一人カダカさんのやる事に文句を言う人なのです。カダカさんもそれに対して腹を立てたりはせず、お互い良い関係でいるのは、きっとカダカさんもズッタルッカさんを認めているのだなと思うのです。

「ぬかせ。良いから考えを聞かせな。」

 カダカさんは少し笑って言いました。

「そうですね。さて、さっぱりと分かりません。まあ、帰りにでもサンプルを採って、ラボでじっくり戦いますよ。」

 ズッタルッカさんはなんだかとっても嬉しそうです。

 するとアマンダさんが俄かにパンッと手を叩きました。

「さあ、お楽しみは後ですよ。まずはさっきの物音の方へ急ぎましょう。」

 そうして僕達は、ぞろぞろぞろとアマンダさんに続いて音がした方へと歩き出しました。

 奥へと進むと、どうやらここは居住区らしく、同じ様な大きさの家らしき建物が等間隔で何処までも連なっておりました。

 その中を暫く行くと、奥の方から何やら物音が聞こえました。

 チュイッガ、キッ、ドゥンドゥントトト

 カダカさんは皆を制止して、音がしているであろう建物の角を慎重に覗き込みました。

「大丈夫だ。見てみな。」

 カダカさんに続いて角を曲がると、そこには外壁と同じ様な材質をした、桶をひっくり返したような物が二つありました。

 一つはどういう仕組みか壁に張り付き、ウィーウィーと小さな音を立ててゆっくり移動しております。そして不思議な事に、その白い桶が通った後の壁は、真新しく光沢すら帯びているのです。

 もう一つの桶は外壁の前でピタリと止まり、時々くるりとその場で回ったりしておりましたが、どうやら別段何をするでもないように見えました。

「修復を、しているのかしらね。」

 アマンダさんがぼそりと言うと、ズッタルッカさんが少し寂しそうに答えました。

「おそらくは、そうでしょう。ずっとこうして修復を繰り返して、この街は当時のままに美しさを保って来たのでしょうね。」

 ズッタルッカさんはそういうと、外壁の前でくるりとやっている桶に近づいて、すっくりしゃがみ込みました。

「やあ、君達は掃除係なんだね。いや、大工さんかな。僕ぁ研究者をしているんだ。はじめまして。ところで僕ぁ無意味な事が大嫌いでね。研究者は無為に時間を過ごさないものなんだよ。君達はどのくらいの間そうしているのかね。百年やそこらではないはずだ。全く気の遠くなる話だよ。住人のいない街を半永久的に修復し続けているなんてね。住人がいてこその街だというのに。本当に信じられない。しかし、君達には感謝しなければ。僕達は君達がいたから、この美しい街並みに出会えた。古の人々の記憶の断片を、こうして垣間見る事が出来た。ありがとう。君達のして来た事は、無意味ではなかった。決して無意味ではなかったんだよ。」

 ズッタルッカさんは桶の頭をトントンとすると、ではよろしく頼むねと言って立ち上がりました。

「参りましょう、ズッタルッカさん。音の正体がこの子達なら問題はなさそう。まずは一番奥のあれから調べなくては。」

 アマンダさんが見上げた先には、他とは明らかに違う大きく堂々とした真白の建物が、街全体を見据える様な荘厳な趣きで、どっしりそこにありました。

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