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コギトの雨  作者: 海老
第二章 地底の都フィロソフィアとシュレーディンガーの猫
18/31

十、神話の都

 ソヨと僕は、二人で駆けて来た道を今度はゆっくりと歩きながら、白い土壁の家々の間を抜けてラボへと向かいました。

「ソヨは何故解読のお仕事を手伝うんだい。」

 僕がじんわりと滲む額の汗を拭いながら尋ねると、ソヨはカンカンと晴れた空を見ながら、ほんのしばらく考えて答えました。

「だってね、言葉って本当に素敵なのよ。言葉はその人のその時の心の形を少しずつ教えてくれるんだって。私がちゃんとそれを、私の中でもう一度組み立てられたなら、その人の心の形がどういうふうに動いて変わるのか分かるって。そうしていつもいられたら、その人の小さな優しさや思いやりにも、ちゃあんと気付けるようになるんだって。私はそうなりたい。お父さんやお母さんのように人の言葉をちゃんと受け止められる人でいたいの。だから色々な言葉を知っていれば、たくさんの人の心の形が知れるんじゃないかなって思って。でもそれは最初。勿論もちろん今もそう思っているけれど、それよりも知る事が楽しくなってしまったの。だって何百年も前の人の心の形が、言葉として残っているだなんて素敵だと思わない。」

 ソヨの目はキラキラと輝き、何処までも希望に満ちたその横顔は、全てを静かに清廉せいれんさで包む穏やかな風のように美しいのでした。

「ソヨはすごいなあ。ソヨの話はどれも素敵だ。ああ、僕にも人の心の形が分かるようになるだろうか。」

 僕はいつしかコギトの事を考えておりました。

「きっとなれるわ。そのためにはまずは色々な事を知らなくっちゃ。だからスムは、あちこち旅が出来てうらやましいわ。」

 ソヨは僕の顔を覗き込んで言いました。

「ありがとう、ソヨ。」

 僕は何故だかソヨの言葉で心がすっきりとしたようになったのでした。

 間もなくラボに着いてドアを開けようと手を伸ばすと、ちょうど向こう側からガッコンと開きました。中からは昨日と同じ発掘用の服を着たアマンダさんが顔を出し、少しびっくりとしたようにキョトンと言いました。

「あらあら、お二人さんおそろいで。もう仲良くなってしまったのね。」

 するとソヨがそうなんですと嬉しそうに答えて、お昼を一緒にとった事をアマンダさんに話しました。僕はそれを横で聞いていて、なんだか嬉しいような照れ臭いような気持ちになってしまいました。

 アマンダさんはどうやらそれを察したらしく、くすくすと笑い出しました。

「どうやら流石さすがのスムもソヨにはかなわないようね。あなた達とっても良いお友達になれそうじゃない。ではお二人共、発掘現場へ参りましょうか。」

 僕とソヨはそのままアマンダさんに連れられて、バギーで発掘現場へと向かいました。

 発掘現場に向かう途中のかわいた景色は、コギトと歩いて来た景色と変わらず、プラトーンの浸蝕しんしょくを改めてずっしり感じさせるものでした。

「アマンダさん、プラトーンがアイーダの街に届くまで後どのくらいの時間があるのですか。」

 僕は後部席から、助手席のアマンダさんに聞きました。

「確証はないけれど、恐らく後三十年程よ。」

 アマンダさんは前を見たまま答えました。するとソヨが続けて言いました。

「お母さんが、あなたの代では引っ越さなければならなくなるかもしれないと言っていました。でもお父さんやラボの人達が、きっとプラトーンを何とかしてくれるって。」

「そうね。必ずなんとかしてみせるわ。そのためにも今日の発掘はとても重要よ。二人ともどうか力を貸してね。」

 僕とソヨはアマンダさんの言葉に、みなぎるやる気でたいへんはきはき返事をしました。

 バギーが発掘現場に到着すると、すでに大掛かりな掘削機くっさくきがガゴガガゴガガと地鳴りのような音を立てて動いておりました。

 その周りでは太陽光パネルと並列して、それはそれは大きな歯車のような物が横たわっておりました。アマンダさんの話では掘削機くっさくきを動かすバッテリーが切れて、更に太陽光発電の電力では足りなくなった時や日のない夜間運用の時に、人力で歯車を回して発電をするための機械らしいのです。

 大きな掘削機くっさくきは全部で四台あり、それ以外にも稼動していない色々な形の機械が、すでに大きく空いている穴の横に並べられていました。

 僕達は穴の横でバギーから降りて中を覗き込みました。穴の周りや中ではたくさんの男衆が土を運び出したり何かを測定したりと大童おおわらわです。

 僕達は穴の上から指示を出しているカダカさんの所へやって来ました。

「どうかしら、カダカさん。随分順調に見えますけれど。」

 カダカさんはニッカリと笑って言いました。

「野郎共相当気合いが入っていやがる。日があるうちが勝負だからな。解読が正確で嬢ちゃんの読みが確かなら、こいつは本当に今日中に掘り当てちまうかもしれんなあ。」

 けれどもアマンダさんは厳しい表情でそれを聞いておりました。

 そして僕はこの時、ずっと聞きそびれていた事をはっと思い出し尋ねました。

「ソヨの解読した地下の文字によれば、この下に正門があるのですね。けれどもアマンダさん。その門はいったい何処に通じているのですか。」

 今思えばアマンダさんの口ぶりはいつも、ここに何が埋まっているのかすでに知っているというふうだったと思えました。

「スムは地底の都の伝説をご存知。」

 アマンダさんは僕に尋ねます。

勿論もちろん知っています。”知識と眠る地底の都”でしたよね。確かそこにはケイローンという全ての人知の持つ人々がいて、究極の知に到達して自らの都を閉ざしたという話だったと思います。でもあれは伝説というか神話ではないのですか。」

 アマンダさんもカダカさんも、少し意外な様子でした。

「あら、随分詳しいのね。そうね、確かにただの神話かもしれないわ。でも私達は、ここにはその都があるのではないかと考えているのよ。」

 それは普通ではにわかに信じられない話でした。僕は耳を疑うという程にたいへん驚きましたが、何故だかその可能性を否定しようとは砂粒程も思いませんでした。

「コギトが私達としばらくの間生活をして、そして去って行ったあの雨の日。コギトは去り際に言ったの。”何も聞かないでくれてありがとう。掘るのならアイーダがいい。プラトーンの浸蝕が届くのも四十年以上先だろう。”何も語ろうとしなかったコギトが、唯一自分から話してくれた事よ。それから私達はアイーダについて調べて回りました。そしてある時、それとは無関係に地底の都について調査していた研究者が、地底の都に関する文献ぶんけんの多くにはアイーダ地方を思わせる記述きじゅつがいくつも見受けられると報告してくれたの。私達は都の存在を予感せざるを得なかった。そうして五年以上掛けて準備をして、アイーダのラボラトリの建築に踏み切ったのよ。」

 僕は今目の前で起きている事が、歴史的にたいへんな意味のある発見に繋がっているかもしれない事に、この時はじめて気付いたのです。どんどんと掘り進められる巨大な穴を見ながら、僕はゴクリとつばを飲み込みました。

 すると黙って聞いていたソヨが口を開きました。

「お父さんもラボの皆も、最初はアマンダさんやベネットさんの言う事に半信半疑だったわ。でもアマンダさん達が来て何年かしてから、今朝の門が見付かったの。そしてそこには完全に解読出来ないまでも、”都市”や”知”という言葉が、繰り返し刻まれていた。ラボの皆は、それを見た時全身に鳥肌が立ったんだって。」

 僕にはラボの皆のその感覚がよく分かりました。震えるような高ぶりが、僕の中からも沸き上がっていたのです。

「嬢ちゃん。どっちにしろまだ時間はかかる。ちび共を連れてあっちのテントで待っといてくれ。なあに、心配するこたあない。正門はあるさ。掘り当ててベネットの野郎の度肝どぎもを根こそぎ引っこ抜いてやろうじゃないか。」

 カダカさんはアマンダさんの肩をぽんと叩き、自分も穴の中へ降りて行きました。

 アマンダさんは深呼吸を一つして、たいへん元気よく言いました。

「よし、では後は職人さん達に任せて、私達はテントでお勉強をしましょう。まずは優秀なるスムくんがどのくらいお出来になるか、拝見はいけんさせていただきましょうね、ソヨさん。」

 ソヨは、はあいと右手を上げて楽しそうにアマンダさんについて行きました。僕は二人の団結感に、なんだかたじたじとしてしまうばかりでした。

 テントの中には会議用の机があり、そこでアマンダさんに勉強を教えて貰う事になりました。そしてアマンダさんは様々な分野の学問から、まるで試験ようにあれこれと僕に出題をしました。

 その問題の数は本当にたくさんで、僕がそれを解き終えるまでに随分と長い長い時間がかかりました。

 そうしてどうにか終えたその結果を見たアマンダさんによれば、僕の学力は、算術や史学、自然科学など、言語学以外はソヨよりも随分と進んでおり、どうやらそれは年齢にそぐわないものらしいのです。

 小さな頃からおじいさんに勉強を教わっていただけだと話すと、アマンダさんはたいへん驚いて、おじいさんの事をあれこれ尋ねました。

「ではおじいさんは何の研究をなさっていたの。」

 僕はおじいさんについていろいろ話ましたが、中でもおじいさんが研究者だった事に殊更ことさら興味を持たれたようでした。

「僕にはよく分からないのだけども、絶対に壊せない壁の研究だと言っていました。」

 アマンダさんは何処か一点を見つめしばらく黙り込んで考えておりました。

「失礼だけどもおじいさんのお名前は。」

 アマンダさんはたいへん慎重しんちょうそうに尋ねましたが、僕はおじいさんの事を聞かれたのがなんだか嬉しく思えておりましたので、はきはき元気に答えました。

「ベークマンと言います。」

 アマンダさんはまたしばらく黙り込んで、今度は申し訳なさそうに謝りました。

「そう。ごめんなさい。私は存じ上げなかったわ。お父様ならご存知かもしれないわね。さあ、ではスム。まずはソヨに合わせて勉強をはじめますよ。」

 そうして僕達は、ソヨの苦手だという算術の勉強からはじめました。

 アマンダさんはソヨが理解出来るまで何度も何度も丁寧に教えておりました。

 僕はその様子を見ておりますと、なんだかおじいさんを思い出し、にわかになつかしくなって今頃はどうしているのだろうとぼんやり考えていたのでした。

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