九、言霊士プネーマ
お日様もすっかり高くなり、アイーダの街は昨日僕達が訪れたばかりの頃とほとんど変わらない様子で回っております。
けれども、アマンダさんと出会いコギトの事や色々な話を聞き、宿やラボの人達を知った事で、同じ街並がなんだか違って見えるというくらいに、僕の中で何かが大きく変わっているように感じられました。
この世界には目には見えない、表向きだけでは分からない事が、いったいどのくらい溢れているのだろう。
いったい何を信じて、何を疑えばいいのだろう。僕には本当に分かりません。
アマンダさんと別れて一人になってから、なんだか急にそんなことが頭にどっさりもたげて、もうどうにもならないというふうです。それは何も知らない昨日までの僕が、なんだか恐ろしいと感じるくらいなのでした。
僕は本当にまるで世界中の問題を一人で背負い込んだみたいに、脳みその端から端までこれでもかと働かせておりましたが、こんな時でもしっかりとお腹は空くもので、それがなんだか情けないような、或いは逞しいようなどちらとも付かないおかしな気持ちで、とんぼりとんぼりと宿へ向かって歩いていたのでした。
すると後ろから聞き覚えのあるかわいらしく透明な少女の声が、ずっしりと鉛のような僕の頭に少し慌てた様子で響いて参りました。
「スム。待って、スム。」
ドキリとして振り返ると、ラボの方からあのソヨが僕を呼びながら駆け寄って来ております。
「やあ、ソヨ。そんなに急いでどうしたというの。」
僕は当然ではありますが、緊張したような宙に浮いたようななんともおぼつかない心持ちで返事をしました。
「もうお昼は食べてしまったかしら。もしもまだなら、私の家で一緒に食べない。お母さんにスムの話をしたら、是非そうしなさいって。」
僕は急な事でびっくりとしましたが、友達になれたらどんなにいいかと考えておりましたので、それはもう飛んだような気持ちになりました。
「本当かい。僕、嬉しいや。君に聞いてみたい事がたくさんあるんだ。」
ソヨは何故だか胸を撫で下ろしたというような様子でした。
「良かったあ。断られたらどうしようかと思っていたの。同じ歳の子はこの辺りにはいないからとっても嬉しい。お友達になって下さる。」
ソヨは恐る恐るに聞きました。
「そんな、もう当たり前さ。僕こそ嬉しい。色々話を聞かせておくれよ。」
僕は身振り手振りで本当に嬉しいというように言いました。
するとソヨは良かったと言って笑うと、僕の手を引いてぐいと急かしました。
「こっちよ。早くしないとせっかくのお母さんのご飯が冷めてしまうわ。」
僕達はソヨの家へ走り出しました。僕は先ほどまでのどっかりした重たいものをひょいとどこかへやって、なんだか本当にすっかり楽しい気持ちでおりました。
そうして僕はソヨに手をひかれて砂ぼこりの中を走りながら、声を大きく弾ませて尋ねました。
「ねえ、ソヨ。今朝キムさんとアマンダさんが話しているのを聞いたのだけど、ソヨはあの扉の前で猫の声を聞いたの。」
ソヨも同じに、大きな声で答えます。
「そうなの。もう何度か聞いたわ。いつも扉の中から小さく聞こえるのだけど、誰も信じてくれないの。本当に聞こえたのよ、猫の声。」
僕はどうしてみんな信じてあげないのだろうと思い、そんなようなことをあれこれ言っておりますと、そのうち三つ程角を曲がって小さな白い壁の家に着きました。
「さあ、ここなの。まだ温かいといいのだけど。ただいまあ。お母さん、スムを連れてきました。」
中に入ると、ソヨと同じ黒い髪に黒い目をしたなんとも優しそうなおばさんが、少し甘いような素敵な香りのスープをことこと煮込んでおりました。
「おかえりなさい。あらあら、あなた走って来たの。」
「ええ。お母さんのご飯を温かいうちに食べてもらいたくって。」
ソヨはなんだかはしゃいでおります。
「お客様まで走らせて困った子ね。冷めたらまた温めますよ。いらっしゃい、スムくん。はじめまして。歓迎するわ。ソヨがごめんなさいね。」
僕はとんでもないですと言って、しっかり挨拶をしました。
「私はプネーマよ。ラボでは子供がソヨ一人きりだから、スムくんがいてくれると安心するわ。どうぞよろしくね。さあ、ではいただきましょうか。」
プネーマさんは綺麗に磨かれた石の食卓にお椀を三つ並べて、そこに先ほどのスープを注いで下さいました。スープはとろりとして芋などがごろごろと入っておりとってもおいしそうです。
ソヨが三人分のスプーンを出してきてそれぞれ分けますと、揃っていただきますをしました。
三人で囲む食卓はなんだかたいへん幸せで、ずっとおじいさんと二人暮らしだった僕には、とっても新鮮でどこか気恥ずかしい感覚なのでした。
「スムくん、お口に合うかしら。薄味過ぎたらごめんなさいね。このアイーダではあまり良い食材は手に入らないの。」
僕はとても美味しいですと答えて顔を上げると、プネーマさんの後ろの壁に、盾のような物を背負った不思議な生き物の飾りがある事に気が付きました。
よく見るとその飾りは部屋の四方に飾ってあり、それぞれ違った生き物の形をしておりました。
「プネーマさん。あの飾り物はなんでしょうか。」
プネーマさんは振り返って飾りを見ながら言いました。
「あれは霊亀と言ってね。四霊の一つなの。亀という甲羅を背負った生き物で、旧世界にはたくさんいたのよ。」
僕はあんな生き物が世界中にたくさんいたのだと思うと、なんだか恐いような気味の悪いような気持ちになりました。
「スム、お母さんは言霊士なのよ。」
ソヨが得意そうに言いました。
「言霊というのは大人の人は皆持っていると聞きましたが、いったいそれが何なのか、僕は知らないです。」
僕は興味津々(きょうみしんしん)に聞きました。
するとプネーマさんはこちらに向き直り、穏やかな声で話し出しました。
「古くからのしきたりでね。人は三十歳程度になると、言霊士に言霊を収めるの。言霊というのは、そうね、誓いのようなものね。たいていはお仕事の事ですとか、自分はこの人生でこれを努める、ですとか、或いは絶対にこれはしない、だとか、善く生きるための誓いを他の誰にも教えず言霊士と伴侶にだけ伝えるの。その時伴侶がなくても後に結婚をすればその時に相手に伝えるわ。それ以外の人に教えると、言霊はその力を失うとされています。言霊士はその言霊を誰の目にも触れないよう保管して、その人が亡くなった時お墓に一緒に入れる役目なのよ。壁の飾りは、麒麟、鳳凰、霊亀、応竜の四霊によって四方を護ることで、言霊の力を保つための物だと言われているわ。」
僕とソヨはスープの芋をむしゃむしゃやりながら難しい顔で聞いております。
「ではもし、言霊の誓いを破ったらどうなるのですか。」
プネーマさんは頷きながら答えます。
「そうね。それはどうにもならないのよ。言霊は神や霊や誰かに誓うものではないの。自分自身の命に誓うものなのよ。誓いを破って裏切ってしまうのは自分自身。それを全く気にしないのなら、言霊は何の力も持たないわ。だから言霊士は、言霊を受け取るかどうかを見極める時、その人の言葉の一言一言に、どれだけ命の重みが乗っているかで判断するの。それがなければ収める意味がないのですもの。」
僕はしっかりよくわかったような気もしましたが、もうすっかり合点がいったかといえば、なんだかそうでもないというふうでした。
「先ほどカダカさんが子分の発掘屋さんたちに、必ず言霊を持って来いとおっしゃっていましたが、それはどういう意味なのですか。」
「あら、それじゃあ今日はよっぽどたいへんなお仕事になるということねえ。ソヨ、これはラボの皆さんがあなた達をしっかり信じてくださっているということよ。お父さんと一緒に感謝しましょうね。」
プネーマさんは嬉しそうにソヨにそう言うと、僕を見直して続けました。
「スムくん、発掘屋の人たちはね、そのほとんどの人が古くから発掘屋の間に伝わるある言葉を元に言霊を収めるの。具体的にどんな言葉を収めているのかは言えないけれど、その古くから伝わる言葉はこうよ。”下へ下へ土を堀り進めるな。上へ上へ命を汲み上げろ。”発掘屋の人たちはいつもそんな言葉を胸にしまってお仕事をなさっているのね。発掘屋の人たちにとっては、”掘る”ということは”生きる”ということですから。でもやっぱり人間ですもの。忘れてしまいそうにもなるわ。ですから大仕事の時にはここ一番でがんばり抜けるように、必ず親分さんが改めて言霊を持って来なさいというのね。」
僕は古い古いしきたりの中に、こんなにも大切な意味が込められていた事に、なんだか胸がどきどきとして、顔の辺りがかっかとして来たのでした。
コギトの事、世界の事、しきたりの事。表向きだけでなく、その本当の意味や在り方を知る事が、やはりなんとも大切で、目を背けてはいけない事のように思えてなりませんでした。
しかし或いは、それは理屈を超えてただ純粋に”知りたい”と思うなんの難しさもない感情だったのかもしれません。
どちらせよ僕の中で「知る」という行為が、だんだんにたいへん大きな事柄になって来ていたのでした。
僕達はその後も食事をしながら、ソヨやキムさんやラボの事をたくさん話しました。
アイーダでの生活の事や、アマンダさんの事なども話しました。
そうしてごちそうさまをして、プネーマさんにお礼を言うと、僕はソヨと揃ってラボへ戻ったのでした。




