四、コギトの秘密
「では仮定と推測をなるべく省いて、分かっている事実だけを話すわね。」
暫く黙っていたアマンダさんは、低い優しい声で言いました。
僕は緊張するような怖いような気持ちが膨れ上がって、胸の辺りをぎゅうとして、呼吸をすることもたいへんに苦しくなりました。心臓が時計の秒針を追い越して、ドクリドクリと速く鳴ります。
「それはというのも、実は私達もコギトの全部のことを把握している訳ではないの。スムがそうしたみたいに、私達もコギトにあれこれ質問したりはほとんどしていないのよ。」
僕はしっかり覚悟を決めて唾をこくりとやりました。
アマンダさんは椅子の背もたれからギイッと体を起こし、両の肘を膝について、前のめりになるような格好でまるで物語を話して聞かせるみたいに、ゆったりとはじめました。
「まずは、そうね、コギトのことを話すのには、オレイカルコスという物質について話さなければいけないわ。きっとすぐには信じられないことでしょうけれど、全て本当のことですから、そのつもりでお聞きになって。ああ、そのオレイカルコスという物質。あれは旧世界の遺物で、今の私たちには精製することはおろか、ほとんど使用することも出来ない物なの。色形は基本的には石か金属のようで、鉱物に属すると考えられているわ。けれど、物によって銀や瑠璃に光っていたり、炭よりも暗い色だったり、大きさもまちまちで見た目だけではそれと識別するのは難しい。おそらくは加工の段階或いは精製の段階で用途に応じて人為的に変化させたのじゃないかと思うのだけど、確かなことは分からないわ。けれど、全てのオレイカルコスには共通した性質があるの。それは思念に反応して作用する性質。その作用は様々だけれど、今は思念エネルギーを物理エネルギーに変換する力があるとだけ理解していて。つまり人の想いを熱などの力に変える物質ということね。スムはカザリゼで実際にオレイカルコスの力を見ていますね。シオドスという男の持っていた思念壁発生機がそう。デイダラの弓がどんな銃弾も当たらない盗賊と呼ばれたのは、その装置の力ね。それは体内に埋め込まれたオレイカルコスと、装置に組み込まれたオレイカルコスを反応させて見えない壁を創り出す力。スムも見た通り、オレイカルコスのもたらす力は絶大だわ。あれはそういうたいへん危険な物質なのよ。なんとなく、分かっていただけたかしら。」
アマンダさんは首を傾げて僕の顔を見ました。僕は普通でしたらまるで頓狂に聞こえてしまいそうな話に、なんだか目眩のようにくらくらとなってしまいそうでしたが、こくりこくりと黙って小さく数回うなずいて答えました。
「よろしい。ではそれを踏まえて、今度はコギトついての話ね。」
アマンダさんは一呼吸おいてから、遠い遠い遙か向こうの何処か一点を見詰めながら話し出しました。
「父がコギトと初めて出会ったのは、父がまだ十代の、そうね、今のスムより少し大きいくらいの頃だったそうよ。つまりは約四十年も前のこと。父が当時住んでいた街に、異様な雰囲気を纏って何処からかふらりと現れたそうよ。その時既にコギトは、今とほとんど変わらない容姿をしていたらしいわ。それにスムも知っている通り、稀に水を飲むだけで食事もとらず、眠る事もなく、汗をかかず涙も流さない。けれど父が言うには、当時のコギトは今より酷く顔色が悪く、人と接触する事を極端に嫌っていたそうよ。
父は幼い頃から学びの道を歩いていて、神童と呼ばれる程の才の持ち主でしたから、コギトがマクスウェルの魔物と呼ばれる存在である事は、街中でただ一人すぐに気が付いたわ。
当時マクスウェルの魔物と言えば既に随分な噂になっていたそうだけれど、それよりも更に昔、父がまだほんの幼少の頃は、ただのお伽話の中の存在だったらしいの。だけど何処からか現れたコギトとそのお伽話の魔物は、あらゆる特徴が余りに一致していた。だから当時の人々がそのお伽話を元にコギトを魔物と呼ぶようになったのか、或いはそのお伽話の元となった存在さえコギト自身なのか、それは今も分かってはいないの。
とにかくその最初の出会いの時に、父はコギトにたいへん興味を持ったそうよ。父は本当に決めたら止まらない人だから、コギトに家に泊まれだとか夕飯に付き合えだとか強引に迫っては、ことごとく断られていたんですって。
けれども当時コギトに話しかける人なんてほとんどいませんでしたから、二人はいつしかなんだか不思議な関係になっていたそうよ。そうしてこの時は、コギトは父に別れも告げずに街から消えてしまった。
それから十年以上の時が経ち、私が生まれて間もなく、研究者になっていた父は遺跡で大きな発見をしたの。それがオレイカルコス。実は遺跡から発掘される多くの機械にはオレイカルコスが内蔵されているの。そうした機械はシステムや機構に問題がなくても、私達が扱う事は決して出来ない。それは分かるわね。
そしてある日、突然父の前に再びコギトが現れた。父は随分再会を喜んだらしいのだけど、まずは十年前に黙って自分の元を去った事を怒鳴りつけたんですって。コギトの姿が十年以上経っても変わっていない事に気付いたのは、さんざん怒鳴り散らした後だったそうよ。そういう人なの、父は。でもその時、今までどうやっても反応しなかったたくさんの発掘物の中の一つが、僅かに反応して見せたらしいの。父はそれを見逃しませんでした。そしてそのことで、コギトの身体の不思議にはオレイカルコスが関係していると考えたわ。けれども、父がオレイカルコスと精神の相互関係を研究するためにコギトの協力を得ようとしたところ、コギトは協力どころか何故かそれらの発掘物を見る事も嫌がって、また何処かへ消えてしまったわ。思うように進まない研究に苦心していた父にとって、コギトの協力を得られなかった事はたいへん残念だったけれど、それでも父は研究への情熱を捨てなかった。
それからの父はいよいよオレイカルコスの研究に没頭して行きました。コギトの事もありましたし、プラトーンと何か関係があるとも考えていたけれど、本当は母を病を治そうとしていたのじゃないかと、今は思うわ。結局、父も私も母を助けられなかったけれど。
そうして、ある程度の成果をあげた頃、私達の前に三度コギトが現れました。私が十七歳の時の事よ。
私とコギトはこの時初めて話をしました。父に聞いていたよりも随分柔らかい印象で、私の話を何時間でも黙って聞いてくれた。私は彼の不思議な雰囲気に惹かれて、毎日のように彼の所に押しかけたわ。やはり親子だねって言われたのをよく覚えているわ。
そうしてある日父は、今度はコギトに何を求めるでもなく、ただその時点で解っていたオレイカルコスについての研究の全てを話しました。コギトもただ黙ってそれを聞いていた。
すると、今度はコギトから質問をして来たの。話したなら、力になってくれるかいって。父は当たり前だと即答したわ。コギトはいつしか父を信頼していたし、唯一心を開いていた。きっとだから話してくれたのね。
自分の中にはオレイカルコスが埋め込まれている事。そしてマクスウェルの魔物と呼ばれる存在の能力の全ては、オレイカルコスから引き起こされる事。
そしてコギトは、自分に埋め込まれているオレイカルコスの効力を弱まらせられないかと、私達に提案して来たわ。父は随分と悩みました。理論的には可能だったけれど、コギトの話によれば、コギトの生命力そのものに関わるかもしれないから。
私は反対したわ。若かった私はそれはもう二人に泣いて訴えた。
けれど父は、コギトの思いに応える事にしました。私は散々泣いたけれど、医者として術後の経過を診る責任があると言って、暫く私達の所に留まる事を条件に了承した。
そして手術はなんとか無事成功したわ。コギトの生命力の衰えも見て取れなかった。その手術でコギトの物質を燃やす能力は随分と抑えられた。けれども私たちは、コギトが物を燃やす範囲を意識的に限定する力まで弱まらせてしまったの。その盗賊のシオドスという男性が装置を使おうとした時、その装置だけを燃やせなかったのは、きっとそのせい。」
アマンダさんはふうと一息をつくと、呼吸を整えるように深く息を吸いました。
「手術は確かにある一定の成果を得られました。けれど問題は、その手術で分かったある事実なの。私達は手術をするにあたってコギトの身体をあれこれ詳しく調べました。もちろん研究対象としてではなくクランケとしてね。けれど調べれば調べる程に、私達は困惑したわ。
スムも知っている通り、コギトは汗もかかないし、涙も流さないでしょう。他にも並外れた身体能力をもっていたり、食事も取らない。
それはというのはね、コギトは体の構造そのものが、人のそれとは異なっていたからなの。つまりコギトは、生物学的に言って人ではないのよ。
体構造が人と異なり、オレイカルコスを埋め込まれているとは言え、食事を取らないで生きていける理由も歳をとらない理由も、今の私達ではとても解明出来ないから、これ以上の事は何とも言えない。ごめんなさい。
けれどスム、間違えないで。それはあくまで生物学的な話に過ぎないわ。私達はコギトを素直に人間だと思っています。だからそれが分かったからと言って何かが変わる訳ではなかったわ。」
静まり返った研究室に、街の人々の生活音だけが小さく届きます。
僕はただ、ただただ呆然としておりました。受け止めるのに精一杯で、心がギシギシといいます。コギトの気持ちを推し量ることなど、僕には到底出来ない事のように思えました。いったい僕は、今までコギトの何を知ったつもりでいたのでしょうか。
「雨。あの雨は、コギトが降らせたのでしょうか。」
僕は詰まりそうな声で言いました。
アマンダさんはギシリと椅子を鳴らして身を起こし、少し考えて慎重に答えました。
「ごめんなさい、それは分からないのよ。でも以前に同じような事があったと、父から聞いた事があります。それに術後、暫く私達と暮らしたコギトが去って行く日も、しとしとと雨が降っていたの。」
「じゃあ、ではやっぱりあの雨は、コギトの涙だったんだ。」
僕は窓の外を見ながら、小さな小さな声でつぶやきました。
「ああ、そうなのかもしれないわ。コギトが送って来た人生は想像も出来ないけれど、きっと目からこぼれる涙では、彼の抱える悲しみは流し切れないのかも分かりません。」
また静まる研究室で僕とアマンダさんは二人、しばしの間口を休めてコギトの事を揃ってゆっくり考えていたのでした。




