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コギトの雨  作者: 海老
第二章 地底の都フィロソフィアとシュレーディンガーの猫
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ニ、ラボラトリのキム

 朝食をお腹いっぱいに食べ、僕達は早速ラボラトリへ向かいました。外は照り付ける陽射しで、もう随分と暑くなっておりました。

 厳重なロックを解除してまだ誰もいないラボに入ると、アマンダさんはまず、おろしていた美しい琥珀色の長い髪の毛を後でぐいと一つに束ね、慣れた手つきでまとめ上げました。すると何故だか僕には、先程より表情が何処かきりりとりり々しくなったように見えたのでした。

「さあ、ようこそ私達のラボラトリへ。今日からここが、あなたの学び場よ。」

 アマンダさんはそう言うと入り口の配電盤のレバーをガチャリと上げます。すると屋内に一斉いっせいに明かりが灯り、右手には無数の部屋が奥までズラリと並んでいるのが見えました。左手には掘り起こされた遺跡のものと思える、見たこともない乗り物などがずっと下の方に並べられていて、自分達が建物の2階や3階にいるような錯覚を覚えました。

 僕はにわかに興奮して言いました。

「すごい、すごいやアマンダさん。僕、こんな所で学べるなんて本当に幸福です。」

 アマンダさんは嬉しそうに笑って、奥へ進むよう促しました。僕は見るもの全てが珍しく、あちこち覗き込みながら歩きました。

 するとアマンダさんが、少し静かな声で言いました。

「スム、一つ約束して欲しいことがあるの。ここで見た事の一切は、誰にも話してはいけない。秘密にして欲しいの。それがあなたに出来て、スム。」

 僕はちょっぴり気持ちがきゅっとなり緊張したようになりましたが、アマンダさんの目を見て、しっかりはいと答えました。

「ありがとう。あなたは賢くて真っ直ぐな子だから平気ね。でもどうして人に言ってはダメだと、あなたは考えて。」

 僕は腕をむっすり組んで、ううんとうなりながら考えました。そうしておりますと、ふとカヤックさんが話していたジャンク屋のお兄さんの事が思い出されました。

「ここの技術が悪い奴らに使われると、たいへんな事になるからでしょうか。」

 アマンダさんは微笑みながらうなずきます。

「そうね、半分正解。でももう半分あります。ここの技術は、今の世界水準の技術に比べると進み過ぎているの。だからここの技術がむやみに露出ろしゅつすると色々な混乱を招くわ。随分薄れて来てはいるけれど、世界には見かけよりまだまだ文明排斥思考ぶんめいはいせきしこうが残っているのよ。この街の警備にホバーを導入した時だって、それはもうたいへんでね。旧世界の遺物を使うなどけしからんってこうよ。諸々のおかたい機関から宗教団体まで、みんな口をそろえておんなじ事を言うんだもの。もう嫌になっちゃったわ。でも中には逆にお金儲けに使おうと寄ってくる人達もいたわね。たちが悪いのはこちらの方なの。お金の事以外なんの考えもないものだから、持って来る話持って来る話もう危なっかしくて。全部まとめてお断りしてやったわ。やっぱり女は、ノーと言えなきゃね。」

 アマンダさんは腰に手をあて力強くそういうと、足を止めて金属の手摺てすりに両の手を置き、地下の発掘物を見下ろしながら続けます。

「ここの土地は護られなければいけないの。文明排斥思考ぶんめいはいせきしこうのあるお蔭で、今はまだ各方面に少しのお金を回すだけでバッテリの性能向上に歯止めをかけられているけれど、それも時間の問題ね。どんなに大型バギーの乗り心地を悪く作っても、いずれは改良されてしまう。いつかこのアイーダに全ての人が気軽に来られる時が来るわ。そうなったらここの機密を護るのも難しくなる。」

 アマンダさんは遠い目をしています。

「発掘をやめるというのは駄目なんですか。」

 僕はちょっぴり聞くのが恐かったのですが、頑張って言いました。

「鋭い質問よ、スム。そうね。発掘も研究もやめてしまえばいいと思えるわね。でもこのままでは、世界は全てプラトーンにみ込まれてしまうわ。あれは絶対に止めなければならない。お父様はそのために研究をしているの。それに私達がしなくても、結局誰かがこの遺跡を掘り返すわ。その誰かがこの発掘物達をお金儲けに使わないとは、やっぱり言い切れないでしょう。」

 僕はなるほどなあと随分しっかり納得しました。

「でも何故ここの遺跡なのですか。遺跡なら世界中のあちこちにあるのに。」

 するとアマンダさんは、こちらに向き直って言いました。

「それはこの遺跡が、恐らくは特別だからよ。」

「恐らくは、ですか。」

 僕はなんだかよく分からないというふうに答えました。

「そう、恐らくは。ではこの事についても、コギトのお話と一緒させてもらうわね。」

 そう言ってアマンダさんは、また奥の方へカツカツ歩き出しました。

 すると後の方から、ガッコンギイと何かの重たい戸が開く音がしました。

「ああ、アマンダお嬢さん。おはようございます。」

 振り返ると、たくさんの研究室の一つから細身の中年男性がのっこり出で来ておりました。

「あら、キムさん。またラボに泊まったの。ちゃんとお家で眠るようにお願いしたでしょう。」

 キムさんは頭をボリボリとかいて、申し訳なさそうに笑いました。

「困ったものね。ソヨはちゃんと奥様とお家にいるのでしょうね。」

 アマンダさんは少しあきれて言いました。

「ははは、あの子は夕飯前には帰りました。すみません、もう少しで解読出来そうで。」

 アマンダさんは鼻でふうと小さくため息を吐きました。

「なら良かったわ。ソヨはまだ小さいのだから、家族三人で過ごす時間を大切にしてあげて下さい。キムさんが研究に情熱を注いで下さっている事は、私も父も本当に感謝しています。ですからもう少しだけ、ペースを落として行きましょうね。」

 キムさんは深々と頭を下げます。

「おや、そちらの坊ちゃんは。」

 僕に気付いたキムさんは不思議そうにたずねました。

「この子はスムと言います。今日から私の助手としてここで勉強してもらう事になりました。スム、キムさんよ。文献史学ぶんけんしがくに明るく、旧世界文字の解読を取り仕切ってくれているわ。あなたと同じ歳くらいのソヨという娘さんが、毎日のようにキムさんをお手伝いに来てくれているから、これから仲良くして下さいね。」

 僕はアマンダさんに続いて、改めて言いました。

「スムです。よろしくお願いします。その子は僕と同じ歳なのに、もうお手伝いが出来るのですか。」

 するとキムさんは、ひざかがませて目線の高さを合わせてくれました。

「キムです。よろしく、スムくん。親の私が言うのもなんだが、ソヨはなかなか勘のいい子でね。解読には発想力がいるものだから、力になって貰っているんだよ。」

 僕はそういうものなのかと、すっかり感心してしまいました。

「ああ、そうそう。そういえばお譲さん。ソヨの奴が昨日また扉の前で猫の声を聞いたそうです。娘の空耳と思いますが、一応ご報告までに。」

 アマンダさんは少し困ったような顔で小さく頷くと、分かりましたとしっかり返事をしました。

「ではお嬢さん、後ほどお部屋に伺います。スムくんも後でね。」

 キムさんはすっと身体を起こしそう言うと、また研究室にのっこり戻って行きました。

 僕は初めて会ったラボラトリの人が優しい人だったので、なんだかほっとしたような気持ちになっておりました。

 そうしてアマンダさんと僕は、一番奥にあるアマンダさんの研究室に入って行ったのでした。

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