第93話 届かない距離
リリナへ挨拶を告げた、その瞬間――
レンセリオンの胸に、昨日の噴水の情景がよみがえった。
(あの柔らかな微笑み……今日も、変わらずそこにある)
差し込む朝光が、リリナの髪にそっと触れる。
淡い光粒が揺れて見えるのは、きっと気のせいではない。
リリナが会釈し、エリオンも静かに礼を添えた。
その仕草はあまりにも自然で――
ふたりの間に流れる、やわらかな空気が見えるようだった。
(……仲が良いのだな)
胸に、小さな音がひとつ落ちる。
知らなかった温度に触れたような感覚。
レンセリオンはわずかに視線を落とす。
リリナの手元、小瓶の淡い光が目に入った。
「観光されたようですね」
リリナが微笑んで答える。
「はい。エリオン様に案内していただきました」
その言葉に宿る信頼と温度。
横でエリオンが穏やかに微笑み返す。
(……良い関係だ。だが――)
胸の奥に、言葉にならない揺らぎが生まれる。
光に触れたときだけ広がる、小さな波のような感覚。
――自分は、その中にいない。
そんな認識が、一瞬だけ胸をかすめた。
レンセリオンは、その感情を押し込めるように息を整え、
誠実に言葉を紡ぐ。
「……なかなか時間が作れず、申し訳ありません。本来なら、僕がご案内すべきだったのですが」
リリナは慌てて手を振る。
「いえいえ、そんな……!」
その仕草があまりにも無防備で、
レンセリオンは自分でも気づかぬほど、ほんのわずかに表情を緩めた。
そして――まっすぐに告げる。
「またの機会に、ぜひ。約束しましょう」
リリナの瞳が、一瞬だけ喜びに揺れた。
その光に触れた瞬間、胸の奥がふっと温かくなる。
(……ああ。やはり、光の姫なのだ)
その横で、静かに様子を見ていたエリオンが口を開いた。
「昼食はご一緒されますか? レンセリオン殿」
一瞬、思考が止まる。
(……誘われるとは思わなかった)
わずかに呼吸を置き、感情を整える。
「……悪い。俺のスケジュールに空白はない」
その言葉は、王子としての声音というより――
どこか“素”に近い響きを帯びていた。
リリナが驚いたように見上げる。
視線が絡む。
レンセリオンは思わず目をそらし、
耳の奥が熱を帯びるのを自覚した。
(……見られたな)
気を取り直し、姿勢を正す。
「では、失礼します」
静かに一礼し、歩き出す。
背中に残るのは、リリナの小さな光と、
胸の奥に芽生えた、まだ名もない感情。
――ふたりの間の温度が、気になって仕方がない。
それを認めるには、まだ早すぎた。




