第57話 静かな抱擁、ほどけた想い
夕食前。
宿舎の扉をノックする音がして、リリナは光珠キャンディを手に取り、扉を開いた。
「……戻られましたか」
そこに立っていたエリオンは、少し驚いたように目を瞬かせたあと、柔らかく微笑んだ。
(あ……お昼も、迎えに来てくれていたのかもしれない)
「ご、ごめんなさい……。何も伝えずに外出していました……」
慌てて謝ると、エリオンは首を横に振る。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
その穏やかさに、胸がゆるむ。
リリナはキャンディを差し出した。
「お土産です」
受け取ったエリオンは、嬉しそうに目を細める。
「ありがとうございます」
「白桃、葡萄、柑橘、ミルク、バニラ……味がいろいろあって。
さっき白桃を食べたんですけど、噛んだら果汁がとろっと出て……すごく美味しかったんです」
説明するリリナを、エリオンは和らいだ表情で見つめていた。
「……甘い匂いがします」
そう言って、ほんの少しだけ顔を近づける。
囁くように落ちた声は、低くやさしい。
リリナの胸が、高鳴った。
「アルメア様と……ご一緒だったのですか?」
そう尋ねると、エリオンは隠すことなく頷く。
「はい。一緒でした」
「そう……ですか」
自分でも分かるほど沈んだ声になり、慌てて笑ってごまかす。
「行きましょう。皆さんにも光珠キャンディ、用意してあるんです」
視線を合わせるのが、少し怖い。
それでも――エリオンの視線はやさしくて、逃げられない。
歩き出そうとした、その瞬間。
そっと、手を握られた。
「……え……?」
振り返るより早く、ふわりと背後から抱き寄せられる。
背中に回る腕は、思ったよりも強くて――
「エリオン様っ……!」
触れた温もりに、思考がほどけていく。
「……ごめんなさい」
小さく落ちた声は、どこか苦しそうだった。
「ど、どうして謝るのですか……?」
心臓が、痛いほどに脈打つ。
「……アルメア姫が、帰国してしまいます」
リリナは息をのんだ。
「どうして……?」
振り返ると、エリオンの瞳は静かで――
その奥に、かすかな悔しさが滲んでいる。
「説得できませんでした」
責めるようでも、諦めた声でもない。
ただ、まっすぐな報告だった。
リリナは首を横に振る。
「エリオン様は、何も悪くありません。
アルメア様の抱える問題は……手の届かないところまで深く根付いていたのかもしれません」
エリオンはそっと目を伏せ、小さく息をついた。
(本当は、もっと早く気づきたかったのに……
でも、そう思わせたのは私かもしれない)
胸の奥が、少しだけ痛む。
「エリオン様……」
何か言いたいのに、言葉が見つからない。
「私……何も分かっていませんでした……」
俯いたリリナの手を、エリオンがそっと包む。
「……いつかスィルファリオンを訪れることがあれば、
その時に――もう一度、話してみようと思います。アルメア姫と」
リリナは顔を上げ、やさしく頷いた。




