第36話 夕餉に灯る光と、揺れる影
その日の夕食の席でのことだった。
「我々が講師を務める番が巡ってきましたね。
リリナ姫は、どんな講義にされるか……もうお考えですか?」
穏やかな声で問いかけたのはレヴィアンだった。
リリナはフォークを持つ手を止め、少しだけ申し訳なさそうに微笑む。
「いえ、まだ何も……。
皆さまにセレフィアを知ってもらえる良い機会なので、
しっかり準備はしたいのですが……
手元に何も資料がなくて。
自分の知識だけだと、少し心細いです。」
丸二日の準備期間。
セレフィアへ戻ることもできない。
気弱になったリリナを見て、エリオンが柔らかく微笑んだ。
「リリナ姫様は、もう初日にヒントを得ておられますよ。」
「……ヒント、ですか?」
首をかしげるリリナ。
エリオンは、どこか懐かしむように言葉を続けた。
「“あなたが見てきた自然の在り方は、
ここではとても新鮮に映るだろう”――
シリウス殿がそう仰っていましたね。」
「あ……」
リリナはその言葉を思い出した。
セレフィアの森、光の大樹、黎光の朝。
自然の呼吸そのものが、
自分の中に確かに残っている。
「自然、ですか……?」
「ええ。
難しいことは本を読めば分かります。
でも――」
エリオンは、静かに左胸に手を添えた。
「リリナ姫様が歩んできた道で、
楽しかったこと、綺麗だと思った景色、
心が動いた瞬間……
それは僕たちには分からない。
その“あなたの物語”こそが、セレフィアの文化です。」
リリナは、エリオンをまっすぐ見た。
胸の奥が、ふっと温かくなる。
「……ありがとうございます。」
この人がいると、
前を見て歩ける――
そう、思えた。
雨の季節が訪れても、
心のどこかに晴れ間をくれる。
――エリオンは、そんな存在だ。
食堂の空気がふんわりやわらいだ――その時。
アルメアがスプーンを静かに置き、
誰にも気づかれないように小さく息をのんだ。
その仕草は、胸の奥に沈む“風のざわめき”を隠すようだった。
その一瞬を見た者は、
この場に誰もいなかった。
ただ、彼女の瞳の奥で
“まだ名もない影”が、
静かに揺れていた。




