第144話 王子のノックと、ふたりの朝
翌昼。
半日以上眠ったはずなのに、
目覚めたのはさらに昼を過ぎていた。
見慣れない天井。
ほのかな香り。満ちた静寂。
――昨日の出来事が夢ではなかったことを、
リリナはゆっくりと思い出していく。
起床を知らせると、
すぐにセリナが朝食を運んできた。
テーブルに並べられたのは、
スープ、焼きたてのパン、サラダ、卵料理にハム。
さらに彩り豊かなフルーツまで添えられている。
「こ、こんなにたくさん……。」
思わずこぼれた声に、セリナは穏やかに微笑んだ。
カップに手を伸ばす。
温かなホットミルク。
ひと口含むと、やさしい甘さが胸の奥まで染み渡った。
昨日からまともに食事をしていなかったこともあり、
自然と食欲が湧いてくる。
「ありがとうございます。いただきます。」
パンに手を伸ばしながら、
ふと――セリナが横に控えていることに気づいた。
「あ……えっと……。」
(こういう時、どうすればいいのかしら……?)
少し迷いながら、気になっていたことを口にする。
「レ、レンセリオン様は……お目覚めですか?」
セリナはやわらかな笑みを浮かべたまま答えた。
「ええ、少し前に起きられて、騎士団本部へ向かわれました。」
「そうですか……。」
改めて思う。
レンセリオンは、多忙な人だ。
昨日のように、一日中共に過ごせる時間は、
きっと特別なものだったのだろう。
そのわずかな陰りを、セリナは見逃さなかった。
「すぐ、お戻りになりますよ。」
「え……?」
心を読まれたようで、頬が熱くなる。
「あ、あの……学院時代がありましたので……
レンセリオン様が忙しい方なのは、分かっているつもりです!」
慌てて手を振るリリナ。
その様子に、セリナはくすりと微笑んだ。
「ですが、王子様の行動は、以前と少し変わられております。
きっと……リリナ姫様に寂しい思いをさせたくないのでしょう。」
胸の奥に、ぽっと灯りがともる。
「それに――」
セリナが意味深に笑みを深めた、その瞬間。
――コホン。
控えめな咳払いが、部屋の入り口から聞こえた。
振り返るふたり。
扉に寄りかかるように立つ、レンセリオンの姿。
ほんのわずかに、頬が赤い。
どこまで聞いていたのだろうか。
「レンセリオン様!」「王子様!」
ふたりが同時に名を呼ぶ。
セリナが慌てて姿勢を正した。
「王子様。レディーのお部屋に入られる際は、ノックをお願いいたします。」
レンセリオンは、セリナをじろりと見た。
「した。」
短く言い切る。
――が、扉から動こうとしない。
「……中に入られないのですか?」
セリナが不思議そうに首を傾げる。
レンセリオンはぷいっと顔をそむけた。
「……女性の部屋には、入れない。」
きっぱり。
その言葉に、セリナが吹き出す。
リリナも、思わず笑ってしまった。
レンセリオンはばつが悪そうに眉を寄せる。
「医務官の診察が済んだら……部屋に来てほしい。」
セリナが自分を指差した。
「そなたではない!」
声がわずかに上ずる。
「リリナ姫。……話しておきたいことがあります。」
リリナは、静かに頷いた。
レンセリオンはほっと息をつき、扉を閉めようとする。
その直前――
セリナに向かって、“余計なことを言うな”と口の動きだけで伝える。
扉が閉まり、静寂が戻った。
リリナとセリナは顔を見合わせる。
そして――
どちらからともなく、笑い声がこぼれた。
「レンセリオン様って……少しギャップがありますよね?」
「少しどころか、大いにあると思います。」
その言葉に、リリナは嬉しそうに笑った。




