第130話 揺らぐ正義、刻まれた紋
リリナの重心が、ふっと腕へ預けられた。
その一瞬の重みで、レンセリオンはハッと我に返る。
――今、俺は……何を。
胸の奥で、熱の余韻のような違和感が、まだ脈打っていた。
何か強い意思に引っ張られ、身体を明け渡していた感覚だけが残る。
ぐったりとしたリリナを、咄嗟に抱き留める。
「リ、リリナ姫……!」
焦りの声が漏れたその時――
視界の端に、彼女の左胸が映った。
鎖骨の下に刻まれた印。
「……これは、どういうことだ」
中心にあるのは、リリナ固有の“希望”の印。
その形は変わっていない。
だが、その外側に――
淡い金の線がひとつ、輪郭だけを光らせて広がっていた。
正義の魂に特有の光の紋。
まだ形は曖昧で、ただ中心の印に応じて、かすかに揺れている。
胸がざわついた。
レンセリオンは自分の胸元に手をやり、上衣をずらす。
そこには確かに印があった。
だが――明らかに、変わっていた。
胸から首へ向かって、細い線が一本。
幾何学の刃のように鋭く伸び、
その途中には、極小の三角や円弧が点のように連なっている。
まるで“光そのものを刻み込んだ”かのような紋理。
レンセリオンは、はっと顔を上げると、
パネルの鏡へと身を向けた。
鏡面には――
左胸から首筋へと淡く光を放つ紋が、
脈を打つように揺れて映っている。
「……っ」
息が止まりそうになる。
それは刻まれたばかりの、まだ不安定な光。
触れれば熱を帯びていそうな、“生きている紋”だった。
「……聖光竜ルクシオン」
かすれた声で、胸の奥へ呼びかける。
「俺の中にいるんだろう……?」
だが――
返ってくるのは、ただの静寂だった。
鏡に映る自分の瞳だけが、
わずかに揺れる光を宿している。
――肝心なことは、何も告げてくれないのか。
分かるのは、ただひとつ。
あの瞬間に感じた“気配”と、抗えなかった“衝動”だけ。
これは何を意味するのか。
なぜ、リリナ姫をこんな状態にしてしまったのか。
自分の内で、何が起きたのか。
答えはどこにもない。
ただ――
目の前の少女を守らなければならないという想いだけが、
確かに胸の中心で脈打っていた。
それは矛盾であり――
同時に、揺らぎのない真実でもあった。




