第127話 水の記憶、光の前で
リリナは身支度を整え、仕上げに従女マルナに髪をといてもらっていた。
鏡越しに目が合うと、マルナはにっこりと微笑む。
「レンセリオン様から直にお誘いされるなんて、光栄なことですね。
第四騎士団を率いていらっしゃるのでしょう?
騎士様でも在られるなんて……本当に素敵です」
リリナは微笑んで頷いた。
けれど胸の奥には、言葉にしづらい揺らぎが残っていた。
湖面にそっと触れたように、ひやりと波紋が広がる。
――あの、静かな水の瞳を思い出してしまうから。
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レンセリオンは、王族専用の馬車でやって来た。
扉が開き、その姿が現れる。
白と金をまとった凛とした出立ち。
多くの女性の心を掴むであろうその姿に、リリナは思わず息を呑んだ。
胸の鼓動が、ひときわ強くなる。
「リリナ姫。
急な申し出に、お時間いただきありがとうございます」
端正な声が耳に届く。
「いえ……そんな。
ルクシオンの塔がどのようなところなのか、とても楽しみです」
差し出された手に導かれ、リリナは馬車へと乗り込んだ。
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向かい合って座るふたり。
視線が合い、照れ笑いがこぼれる。
けれどその柔らかな空気の奥で、リリナの胸にはひそやかに“水の気配”が残っていた。
消えない想いは、静かに流れ続けている。
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ルクシオンの塔に到着する。
これまで遠目でしか見たことのなかった塔の入り口に立ち、
リリナは思わず足を止めた。
天へと伸びる塔を見上げる。
塔の周囲だけ、空気がわずかに違っていた。
音が吸い込まれるように静まり、
足音さえ、どこか遠くで響いているように感じた。
その頂には――聖光竜ルクシオンがいた。
まるで見下ろすように、静かにこちらを見つめている。
こんなにも近くでその姿を目にするのは、騎士団本部の塀の上で遭遇して以来だった。
「ルクシオンが……こちらを見ています」
リリナの呟きに、レンセリオンも同じように空を仰ぐ。
「ええ。
今日は、僕たちを待っているかのように、あの場所から動かないんです」
リリナは彼の横顔を見て、再び空へと視線を戻した。
「待ってるって……分かるんですか?」
「思い過ごしかもしれません。
でも……今日は、いつもと違う気がするんです」
その言葉に、リリナは息を呑んだ。
――私も、セレフィアでは神獣アウルを何度も見てしまう。
その変化に、心が反応してしまう。
だからこそ分かる。
彼の感じている“違い”は、きっと本物だ。
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レンセリオンが扉の前で足を止めた。
「この扉……僕にしか開けられないんです」
「え……?」
驚いて振り向くリリナに、彼は静かに続ける。
「他の者が押しても開きません。
僕が鍵なんです」
一瞬の沈黙。
「……セレフィアにも、そんな場所がありますか?」
視線が重なる。
リリナはゆっくりと首を横に振った。
「思い当たる場所はありません……。
でも……どこかにあるのでしょうか。
私にしか開けない扉が……」
言葉が途切れ、二人の間に静寂が落ちる。
レンセリオンは扉へ向き直り、手を当てた。
次の瞬間――
重い響きを伴い、扉はゆっくりと開いた。




