第124話 水の王子との朝
ルクヴェル城・応接間。
朝食を終え、廊下を歩いていたレンセリオンの前に、セリナが静かに現れた。
「王子様、お客様がお見えになっています」
「客? こんな朝早くにか」
「応接間でお待ちです。……エリオン様でございます」
レンセリオンは、一瞬だけ呼吸を止めた。
(昨夜……
カイルが小石を投げて……
よりによってエリオンの部屋だった……)
胸の奥が、ひりつくように熱くなる。
深く息を吸い、扉を押した。
◇
エリオンは優雅に紅茶を口にしていた。
朝の光に、淡銀の髪がやわらかくきらめく。
レンセリオンを見ると、静かに微笑んだ。
「おはようございます、レンセリオン」
「……ああ。おはよう」
自分でも分かるほど、気まずい声だった。
向かいに座ると、視線がふわりと交わる。
微笑んでいるのはエリオンだけ。
レンセリオンは、無表情のまま視線を落とした。
「話は何だ」
「話がないと、来てはいけませんか?」
まっすぐな眼差し。
レンセリオンは一瞬だけ詰まり、視線をそらす。
「……別に、そういうわけではない」
その返答に、エリオンは少しだけ嬉しそうに笑った。
「……随分早いな。まだ朝だぞ」
「あなたを捕まえるには、この時間しかなくて。
僕から行かないと、ろくに話せませんから」
胸が、わずかに痛む。
レンセリオンは小さく頷いた。
「……悪かった」
「いえ。あなたらしいです」
穏やかな声が、胸のざわめきを静かにほどいていく。
◇
エリオンはカップに指を添えたまま、ふと口を開いた。
「昨夜……」
その一言で、レンセリオンの肩がぴくりと揺れる。
「昨夜がどうした」
「あなたを見た気がして」
――固まる。
ほんの一瞬の沈黙。
次の瞬間、エリオンは堪えきれずに小さく笑った。
「だから来ました。
……何か、僕に話したいことがあるのでは?」
探るでもなく、ただ寄り添うような瞳。
逃げ場が、なくなる。
レンセリオンは無意識に唾を飲み込み、わずかに顔を背けた。
「……ある」
「聞きたいです」
エリオンは静かに微笑む。
その表情には、長い年月で積み重ねられた信頼が滲んでいた。
レンセリオンは咳払いし、言葉を絞り出す。
「……俺が、この先どんな決断をしたとしても……
俺は、昔のままだ」
エリオンの瞳が、わずかに揺れた。
「昔のまま……」
そして、柔らかく頬を緩める。
「ええ。あなたほど純粋な人、いませんよ。
……かっこいいですよ、レンセリオン」
その一言で、レンセリオンの耳がほんのり赤く染まる。
「もういい。話が終わったなら、俺は行く」
立ち上がろうとした、その時――
「久しぶりにチェス、しませんか?」
エリオンが穏やかに誘った。
「僕、強くなったんです」
レンセリオンは呆れたように目を細める。
「お前は昔から俺より強いだろう」
「二手でいけます」
鼻で笑う。
「なめるなよ、水の王子」
二人は同時に笑い、
自然とチェス盤の前に並んだ。
その姿は――
騎士でも王子でもなく、
ただの“幼馴染に戻った二人”だった。




