第121話 聖光蛍の夜
リリナが扉を開けて出てきたあと――
レンセリオンは、彼女が歩調を合わせやすいよう、無意識に歩幅を緩めていた。
普段の“第一王子としての歩み”ではなく、
誰かと横に並ぶための歩き方。
(……俺は、こんなふうに歩くのか)
ふと自分で気づき、胸の奥がひどく落ち着かない。
横目に見えるリリナの横顔。
心臓の位置が、静かに熱を帯びる。
彼女がそっと見上げてくる。
視線が重なる――そのたび胸が跳ねた。
「透き通った夜です」
思わず口を開いた。
本当にそう思ったのだ。
リリナが目を瞬く。
「明日も晴れます」
「分かるのですか?」
「はい。観天望気です」
空を見上げるふりをしたのは、
胸の鼓動を鎮めたかったからだ。
(……どうしてこんなにも、落ち着かない)
任務でも戦場でもない。
恐れでも焦りでもない。
ただ――どうしても守りたくなる光。
そんなものを、今日初めて見た。
リリナがまた視線を向ける。
レンセリオンは一瞬だけ迷い――
だが、逃げなかった。
「今日の講義……本当に心に染みました」
リリナが照れたように笑う。
その笑顔に、胸が温かく満たされる。
彼は呼吸を整え、
言うべき言葉をしぼり出した。
「僕には、迷っていたことがありました」
迷い――
誰にも見せたくなかった弱さ。
だが、彼女には隠す気になれなかった。
「でも、今はひとつ思うのです。
……守りたい、と」
リリナの目が揺れる。
(あなたの光だけは……汚させない)
胸の奥の決意が、静かに固まっていく。
***
森の道を抜けた瞬間、
目の前に広がる光景にリリナが息を呑んだ。
白銀の水面。
月光の帯。
風のように揺れる光。
そして――
足元から一匹の白金の蛍が舞い上がり、
リリナの胸元にそっと光を落とした。
次々と舞い立つ白金の光。
髪に触れ、肩に寄り、
まるで彼女だけを照らすように。
(……やはり)
彼女は、光に選ばれる人だ。
「ルクヴェルにだけ生息する、聖光蛍です」
リリナの息が震える。
「なんて……綺麗……」
彼女の周囲を舞う蛍の光が、
レンセリオンには“祝福”のように見えた。
しばらくその様子に見とれたあと、
彼はそっと言葉を落とす。
「聖光蛍は、人の心の揺らぎを――
その“光”を映すと言われています」
リリナが目を瞬く。
「光……?」
「はい。
迷いを抱けば離れ、
まっすぐな願いを持つ者には寄り添う」
彼女の肩に触れた蛍の光が、静かに脈打つ。
(……あなたは迷っていない)
「……今、あなたに向かっている光は……
“あなたが人を照らしている証”です」
リリナの胸が震えた気配がした。
蛍がはらはらと舞い、
彼女の心と呼応するように光を増していく。
レンセリオンは胸に手を当てた。
本当は――
自分の心も揺れていた。
だが、それを隠さずにいられる相手は、
いま世界に一人だけだ。
「……僕は、今日、
あなたの光に救われました」
リリナが顔を上げる。
その瞳に映る自分が、騎士でも王子でもなく、
ただの“男”に見えた。
(それでいい……)
彼は言った。
「あなたの言葉を聞いて……
守りたいと思ったのです」
蛍の光が、二人の間を漂う。
リリナの心と。
自分の心が。
同じ光に照らされて揺れているのが分かった。
そして――
「リリナ姫。
僕に……光を見せてくれて、ありがとう」
その瞬間、
聖光蛍がふわりと二人の手の間に降りた。
レンセリオンは、リリナが手を伸ばすのを見届ける。
その光が、彼女の掌で静かに脈打つ。
「……きれい」
「あなたの光です」
そう告げたとき、
もう一匹の蛍が彼の肩にそっと止まった。
互いの光を確かめ合うように。
静かで、温かく、
触れたら消えてしまいそうなほど繊細で――
それでも確かに、
二人の心が夜の中で“呼応”した瞬間だった。




