第107話 帳簿の裏
講義が終わり、レンセリオンは真っ直ぐソレイダ国境に近い境界番所へ馬を走らせていた。
積荷は届いただろうか。カーディアスたちは、接触できただろうか。
境界番所の門が見えてきた頃、レンセリオンは手綱を強く握り直した。
番所の広場には、すでにルクヴェル軍の兵士たちが数名。その中で――カーディアスたち第二部隊が、ソレイダから来た馬車を囲んでいた。
(……間に合ったな)
馬を止めると、カーディアスがすぐに駆け寄ってくる。
「殿下、お疲れ様です。ちょうど今、積荷の確認に入ったところです。」
馬車の荷台はすでに半ば開けられ、兵たちが木箱を慎重に降ろしていた。
レンセリオンは無言でうなずくと、馬車へ向かった。
カイルが荷台の脇で手袋をはめながら言う。
「申告品は、香類と雑貨のみのはずです。香類の箱はこちらにまとめてあります。」
木箱の蓋が外される。ふわりと甘い香りが広がった。
中には南国由来の香草と香油瓶が、整然と詰められていた。
数日前、ナイトクロウ商会で嗅いだ香りに似ている。ただ――あちらのものよりも素朴で、一般的な香油の香りだ。
――だが。
(色付きの小瓶は……ひとつもない)
レンセリオンは眉をわずかに寄せた。
――店にも、輸入馬車にも存在しない。
レンセリオンは透明瓶を一本取り上げ、光に透かす。
「……中身の確認も必要だな。」
その一言で、カイルが慌てたように身を乗り出す。
「殿下、中身って……どうやって……?」
レンセリオンは無言で瓶の蓋を外すと、そのままカイルの襟元を軽く指でつまんだ。
「ちょ、ちょっと待っ――」
──シュッ。
細かな霧が、カイルの首もとに散った。
「……香りは?」
「~~~っ、殿下!!」
カイルが情けない声を上げつつも、漂う香りを真剣に嗅ぎ分ける。
「……ただの香油です! 刺激も変な香りもしません!」
レンセリオンはうなずき、次の瓶を手に取った。
(……少なくとも、この積荷の香類は“普通の香油”か)
瓶のサイズと本数は申告内容と一致している。香油は種類ごとに瓶の形が規格化されており、徴税院の記録とも矛盾がない。香りも特段の異常はない。
カイルが香りを必死に確認している横で、ルークがこみ上げるものを押し殺すように口元を引き結んでいた。
(……絶対笑ってるだろ)
レンセリオンが冷たい視線を向けると、ルークは慌てて背筋を伸ばし、真面目な声音を作った。
「……殿下、中をご確認ください。」
だが、声音の端がわずかに震えている。完全には笑いを抑えきれていないのが丸わかりだった。
レンセリオンはわずかに眉をひそめつつも、何も言わず馬車のステップを踏んで荷台に乗り込む。
(……こいつらは本当に緊張感がないのか)
そんな呟きが心の奥に浮かぶが、その反面――この緩さのおかげで張りつめた空気が和らぐのも事実だった。
薄暗い車内。梁の隙間から外光が差し込むが……特に不自然な構造は見えない。
(……特に可笑しい点はない)
「殿下」
カーディアスが書類を差し出す。
「通関の申告内容とも完全に一致しています。徴税院の登録とも相違ありません。」
「……そうか」
レンセリオンは荷台から降り、手にした書類に目を通す。
数量一致。品目一致。取引先も正規。
――つまり、“帳簿上の荷物”は一点の曇りもない。
カイルが悔しげに肩をすくめた。
「殿下……やはり、表向きには何も出ませんでした。」
レンセリオンは書類を閉じ、深く息を吐いた。
(……そう簡単に尻尾を見せるはずがない、か)
“色付き小瓶”がこの馬車にはない以上、
まだどこかに“裏の運び手”が存在する。
(個人で持ち込まれている可能性もある……だが、それだけでは説明がつかない)
そしてそれは――あくまで正規の流通とは別ルート。
「……密輸馬車を追うしかないな」
レンセリオンの低い声に、空気が締まる。
カーディアスが頷いた。
「南区第三倉庫街で活動している密輸馬車の情報なら、騎士団本部にも蓄積があります。今夜、本部の情報班を当たって確認します。」
カイルが拳を握る。
「殿下、必ず突き止めましょう。“色付き小瓶”がどこを通っているか。」
レンセリオンは境界番所の空を見上げた。
赤みを帯びた西日が雲を焦がす。炎の国・ソレイダの風が、遠くから吹き込んでくるようだった。
(……まだ始まりに過ぎない)
静かに、しかし確実に。真相の影は、彼らの動きにつれて揺れ始めていた。




