第103話 開講の朝
レンセリオンは、宿舎の前に静かに立っていた。
本日、セレリオス王国より王子が到着する予定である。
王立学院の開講式を前にした、重要な一日だった。
(……開講式まで、半日か)
空を仰ぎ、ゆっくりと息を吐く。
薄雲の向こうに、淡い光が滲んでいた。
――まずいな。
胸中で、率直な言葉が浮かぶ。
影の調査に時間を割かれ、開講式で述べるべき挨拶の準備が、ほとんどできていない。
(騎士団長としても、学院代表としても……これは非常に、まずい)
周囲に人影はない。
レンセリオンは小さく肩を回し、姿勢を正した。
そして、低く声を出す。
「秩序は……」
一瞬、言葉が詰まる。
「秩序は、人を縛るためではなく……」
眉を寄せ、言い直す。
「……秩序は、人を縛るためではなく、迷わぬように……」
小さく息を吐き、背筋を伸ばした。
「秩序は人を縛るためではなく、迷わぬよう、互いの道を照らすためにある」
最後まで言い切ると、レンセリオンはわずかに口元を緩めた。
(……よし)
だが、その直後。
石畳を叩く馬車の音が近づいてくる。
彼は即座に咳払いをひとつし、先ほどの表情を完全に消した。
次の瞬間には――そこに立っていたのは、いつも通りの凛とした第一王子の姿だった。
馬車の音は規則正しく、無駄がない。
護衛の足音も整っている。
(……来たな)
宿舎前の通りに、黒銀の紋を刻んだ馬車が姿を現す。
月と雷を象った意匠――セレリオス王家の紋章。
馬車が静かに止まり、御者が扉へ回るよりも先に、中から声がした。
「――ご無沙汰しております、レンセリオン殿」
落ち着いた、よく通る声。
扉が開き、姿を現したのは白銀に近い淡金の髪を持つ青年だった。
整った顔立ち。
柔らかな微笑みを浮かべながらも、その瞳は周囲を静かに観察している。
セレリオス王国第一王子、ユリウス・ノア・セレリオス。
式典には必ず姿を見せる、顔馴染みの存在。
年はレンセリオンより二つ若いが、その立ち居振る舞いには軽さがない。
レンセリオンは一歩前に出て、正式な礼を取った。
「遠路ご苦労でした、ユリウス王子。ルクヴェル王国を代表し、歓迎いたします」
形式通りの言葉。
だが、ユリウスは一瞬だけ微笑みを深めた。
「変わりませんね。その在り方が、ルクヴェルの“秩序”なのでしょう」
冗談めいた響きはない。
だが、距離を縮める言葉だった。
レンセリオンも、わずかに口元を緩める。
「ご理解いただけるなら、何よりです」
二人は並んで歩き出す。
朝の光が、その背に静かに降り注いだ。
開講式まで、残された時間はわずか。
だがこの日――学舎に集う“七つの魂”の歯車は、確かに音を立てずに動き始めていた。




