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第101話 黒鳥の店

五彩バザールは夕刻を過ぎると、昼の喧騒を手放し、代わりに色と影が溶けるような静かな熱を帯び始める。


多国籍の露店がひしめく大通りの奥――翡翠色の布屋と香辛料の店の間に、ひとつだけ異質な建物があった。


〈ナイトクロウ商会〉。


深い紺の木壁。扉の上には翼だけを抽象化した黒鳥の紋。

通りのランタンが白光を揺らす中、この店だけが淡い青白さをまとっている。


(……ここか)


「何かありましたら、派手な音を立ててくださいね。直ぐに駆けつけますから!」


カイルの声に軽く頷き、レンセリオンは静かに扉を押した。


***


入った瞬間――甘い香りが押し寄せた。


「……っ」


指先で鼻を押さえる。

花蜜を溶かしたような柔らかい甘さ。女性の部屋の香りにも似ている。レンセリオンには慣れない匂いだった。


(香……かなり強い)


棚には国籍不明の布製品、風鐘、護符、色鮮やかな魔除け、獣骨や牙……合法かどうか判断のつかない品々が雑多に並んでいる。


(儀式品? ……見せたいものと隠したいものが混じっている)


「まぁ……お珍しいお客様ね」


甘い声が降りる。


濃紺のドレスを纏った女が近づいてきた。

胸元を強調した衣装が波のように揺れ、視線はレンセリオンを値踏みするように細められる。


「まぁ……随分と整った顔立ち。騎士様かしら?」


ねっとりと絡む声音。好奇と打算の入り混じった笑み。


(……視線が、いやに下へ行く)


レンセリオンは目を逸らし、すぐに呼吸を整えた。


――任務に集中しろ。


「品物を探している。少し……“意志を楽にする”ような。夜の気をほぐす品を扱っていると聞いた」


女は微笑を深めた。


「まぁ……そういうものなら、確かに。うちには“内緒の品”もありますわ」


距離が近い。香りも近い。


レンセリオンは一歩下がり、棚を眺めるふりをして店内を観察した。


そのとき――棚の奥に、小さな透明の小瓶が目に入った。

細い首、淡い光の反射。置かれ方が妙に“隠しているよう”でもあった。


「あれは、何だ?」


女は一瞬だけ視線をそらし、そして笑う。


「お試しになりますか?」


小瓶を手に取り、軽く振る。

蓋を開けると、すぐさま――


シュッ。


霧がレンセリオンの胸元へと広がった。


「……っ!」


反射的に一歩下がった彼を見て、女はくすりと笑った。


「香水ですわ。“惹きつける香り”として人気でしてね」


レンセリオンは自分の衣服に鼻を寄せた。

確かに、落ち着いた甘さが微かに残っている。


その様子に、女は愉しげに目を細めた。


「惹きつけたい女性が……いらっしゃる?」


不意の問いに、レンセリオンはわずかに表情を乱した。

それは誰の目にも分かるほど素直な反応だった。


女の笑みが深くなる。


「ふふ……可愛らしい方。では、お近づきの印に」


そう言って女はその小瓶を、レンセリオンの上着の内ポケットへ勝手に滑り込ませた。


「いえ、いただくわけには――」


返そうとした手を、女がそっと掴んで止める。


「またぜひ、いらして。探している品……あなた様に相応しいものを、用意しておきますわ」


レンセリオンは会釈し、振り返らずに店を出た。


店を出た瞬間、外の空気が思った以上に冷たく感じた。

甘い香りだけが、まだ薄く胸元に残っている。


(……必ず掴む)


レンセリオンは外套を握り直し、暗い通りを歩き出した。

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