王国歴1669年10月21日②:耳も頭も痛いです…
知らない部屋に一人残された私は、ベッドの上で苦しみ続けた。目を閉じれば世界が揺れて気持ち悪く、目を開いても鈍痛が頭に響く。上体を起こす気力も湧かず、眠れないまま白濁した意識を彷徨う事しかできなかった。
「どうじゃった、初めての夜は?」
目だけを動かすと、扉を開けてグララブが入ってくるのが見えた。手に持った盆にはコップと水差しが乗っている。
「……グララブさん……」
「そんな恨めしそうな目で睨むな…儂も反省しておるわい」
睨むつもりはなかったが、どうやら私の顔は相当に見苦しかったらしい。
グララブはサイドテーブルに盆を置くと、私が上体を起こすのを手伝ってくれた。そして水差しからコップに何かを注いで渡してくれる。
「ほれ、濃いめの果実水じゃ。これには酒精を入れとらんぞ」
「…ありがとうございます…」
受け取った果実水は微かに温かく、口に含むとスルリと喉の奥に流れ込んでいった。先程の冷たい水も美味しかったが、この果実水は身体の隅々まで染み込んでいくように感じる。
「二日酔いは身体を起こしておいた方が抜けるのが早いぞ?何なら湯浴みも良いし、汗が流れるぐらいの運動も効果的じゃ」
「…すみません、ベッドから出る事もできません…」
グララブの気遣いは嬉しかったが、きちんと笑顔を返せたか疑問だった。グララブは薄く微笑むと、私に向かって頭を下げてきた。
「ありがとうな、嬢ちゃん…」
「…え……何がですか?」
私は酒精の事を謝られる事はあっても、感謝される意味が理解できなかった。頭を上げたグララブは小さく息を漏らすと、ポツリポツリと呟く。
「ヒイロが女を部屋に連れ込むのは、実は今回が初めてなんじゃ」
「…いや、連れ込んだというか、介抱されたというか…」
「いや、本当に大した事なんじゃ…ヒイロがこのパーティに入って9年、何があってもヒイロは女を部屋に入れる事はなかったんじゃ」
「…それはゲロまみれの女を放っておけなかっただけじゃ…」
「それがの、同じような状況もあったんじゃが……店に金を渡して逃げた事が3回もある」
「そ、それはそれで下衆ですね…」
私がドン引きしていると、グララブはヒイロを擁護してきた。
「いや、その時は女が意図的に飲んでヒイロに助けてもらおうとしたんじゃ。お主と同じハニトラってやつじゃよ?」
「…うぅぅ…耳も頭も痛いです…」
「ほほ!別にお主を責めとらせん。それに昨日のお主は本当に楽しそうだった。誰かを罠に嵌めようなんて考えもしとらんかっただろ?」
「いや…もう…本当に忘れてただけなんです…」
私はグララブの嬉しそうな視線が痛くて、掛け布を引っ張ると頭から被った。グララブはそんな私の頭を優しく撫でてくれる。
「その純粋さが良いのじゃ…これからもヒイロと仲良くしてやってくれ……と、言いたいところなんじゃが…」
「……?どうしたんですか?」
「…実はの、これは仲間以外には言ってないんじゃが…」
グララブは私に近付いて呟いた。
「…10月30日にはこの街を離れる。それが今生のお別れとなるかもしれん」
「…………え?」
私が掛け布から顔を出すと、グララブの微笑む顔が見えた。
「いや……冒険というのは危険なもの、毎回その気概で挑んでおるという事じゃ」
「…なんだ、驚かさないでくださいよ…」
「まぁ、30日に街を離れるというのは本当じゃ。そのまま次の街へ行くから、もうこの街には帰ってこれんと思う」
「………」
私はグララブに何も言う事ができなかった。
寂しいと言えば寂しいのだが、それは昨日の食事会が楽しかったからで、個人的な付き合いは何もない。私には彼らを引き留める理由も無ければ、深い縁も無いのだ。
「良ければそれまで一緒に食事をせんか?もちろん酒精は入れんようにする!ヒイロも気に入っておるようだし、短い間だが儂らに付き合ってくれ。この通りじゃ」
私の困惑を感じ取ったのか、グララブは真剣な顔をして私に頭を下げてきた。
「え、そ、そんな!頭を上げてください!」
「…頼む」
「わ、分かりました!分かりましたから!」
「本当か!?」
グララブは顔を上げると私の手を握ってきた。気のせいかグララブの目尻に涙が見えたような気がする。
「良かった!次は2人の邪魔をせんから安心せい!何なら途中で馬車を呼んで、先に宿に帰ってきても良いぞ?」
「な、ちょ、ちょっと!何を考えているんですか!?」
「若い二人じゃ、何があってもおかしくあるまい?」
グララブの下卑た笑いに、私は頬を赤くして顔を背けた。そしてそのまま小声で聞いてみる。
「…私、男の人と食事をしたの…初めてだったんです…覚えてないですけど、あんな感じでいいんですか?」
「おぉ!あれでいいんじゃ!変に色気づく必要もないからの!」
「…それだったら……果実水に…酒精を少しだけ入れてください」
「ん?良いのか?」
「…その、とても話しやすかったような気がするんです…お願いします…」
私のお願いにグララブが眉を顰めて悩む。
「う~ん…少しだけじゃぞ?これ以上にキースが禿げても困るし…」
「私、そんなに毟っちゃったんですか!?」
「頑丈なキースが涙ぐむのを久しぶりに見たわい!カリーナも心配しておったわ!」
「うわぁぁぁぁぁァァァァァッ!!」
私はベッドに突っ伏すると、恥ずかしさに大きな声を上げた。キースには後で土下座しようと心に決める。
「その様子なら大丈夫じゃな?胃が受け付けなくても何か食べておけよ?少しは二日酔いも良くなるはずじゃ。宿の者に何か軽い物でも用意させよう。1階の食堂へ行くといい」
「…あ、ありがとうございます…」
「それじゃ儂は退散するかのぅ…ちなみにヒイロはほれ、そこの窓から見える中庭で剣を振っておるぞ?少し覗いてみるといい」
「あ、はい…」
グララブが部屋を出ていったので、私はローブの胸元を直してベッドを出た。そしてズルズルと椅子を引き摺ると窓際に移動し、椅子に腰掛けて中庭を覗いてみる。
この部屋は2階だったらしく、窓からは中庭全体を見通す事が出来た。ヒイロは程近い場所で、その身長に負けないぐらいの長い両手剣を振るっていた。剣が唸る度に両腕から汗がキラキラと宙に舞う。薄手のシャツは汗に濡れてピッタリと張り付き、上半身の筋肉の流れがしっかりと見て取れた。
あんなに重そうな剣を、あんなにブンブン振り回せるんだ…
凄いなぁ…凄い逞しい腕…私を簡単にお姫様抱っこしてたもんなぁ…
私が呆然とヒイロを眺めていると、中庭にグララブが入ってきてヒイロに話しかけた。そしてグララブが私を見上げて手を振る。ヒイロも私に気付いたようで、少し微笑んで手を振ってくれた。
私は覗き見がバレたような気がしてオドオドしたが、急いで笑顔を作ると手を振り返す。
テラスから 騎士に手を振る お姫様
夢見る乙女ではないが、こんな恋愛戯曲のような状況を少しだけ嬉しく感じてしまう。しかしあと9日だけの関係だと思い出すと、何故か胸の奥が重くなったような気がした。




