王国歴1669年10月20日②:伯爵の愛人!?
「それでは先遣している者を紹介しよう」
私はコーモノ様に続き執務室を出て、人気のない廊下を歩いた。廊下の窓枠には埃が溜まり、天井の隅には蜘蛛の巣が張り始めている。どうやら転職を決意した先輩達が手を抜き始めているようだった。
そんな邸内を進んでいると、メイドの寝所の手前に辿り着いた。この部屋は確かメイドの中でも特別な女性が使っていたはずだ。
「カリーナ、起きているか?」
「……あぁ、ちょっとお待ちを……」
問い掛けられた室内からは気の抜けた返事が返ってきた。しばらくすると扉が開き薄着の美女が顔を出す。今は昼過ぎなのに寝起きなのか、長く綺麗な銀髪がちょこちょこ解れていた。そして口元には何故か長楊枝を咥えている。気力の欠落したような半眼さえ直せば、かなりの美貌だと思われた。
彼女の名前はカリーナ、確か28歳ぐらいだったはずだ。
私が奉公に来る前から在籍しており、先輩メイドの話によるとコーモノ様の妾なのだそうだ。なんでもこの数年は交合をしていないとの事で、伯爵家でも浮いた存在となっている。カリーナの事は邸内で見掛けた事はあるが、一度も話した事は無い。
「…おはようございます、コーモノ様…」
「お前、今まで寝ていたのか?…まぁよい…コマイ君、この者はカリーナだ」
「どうも、飽きられた愛人で~す」
「なっ!?バカ、そんな事を言うものではない!…じょ、冗談だからな?」
カリーナの言葉にコーモノ様が慌てふためく。どうやらバレてないと思っているらしい。
「ゴホン…コマイ君、彼女は今回の計画に参加しているカリーナだ。『天井知らず』との橋渡しをしてくれるだろう。カリーナ、この子はコマイ…君と同じように『天井知らず』を籠絡する任務に当たってもらう」
「宜しくコマイちゃん」
「よ、宜しくお願いします、カリーナさん!」
私はカリーナの手を握ると、熱の入った視線を投げ掛けた。
カリーナは訝し気に顔を歪ませると、長楊枝をカリカリ噛みながらコーモノ様に問い掛ける。
「なにこの子…凄いヤル気なんだけど…」
「うむ、何か玉の輿とか言っておったぞ?」
「…面白い子だねぇ…それじゃこれから支度して、さっそく会いに行きますか」
そう宣言するとカリーナは、コーモノ様にビロードの巾着を差し出した。コーモノ様が露骨に嫌な顔をする。
「…今夜は幾ら必要なんだ?」
「そうねぇ…コマイちゃんの歓迎会と宿泊費、あと私の服と化粧品を流用するから…30Gといった所かな?」
30Gですって!!!
私の月の給金より高額なんですけど!?
「…仕方ない…投資だと思えば安いものか……」
コーモノ様は懐から財布を取り出すと、巾着の中に一枚ずつ小金貨を入れていく。カリーナは30枚の小金貨を受け取ると、ニコリと笑って私の手を引いた。
「まいどありぃ!あ、この子は当分の間、通常の仕事ができないからね?休業でも休暇でもなく、別業務に当たってるんだから給金を引くんじゃないわよ?」
「わ、わかっておるわ…ったく、経費削減もままならん…それじゃ頼んだぞ?」
「夕方に出るから、馬車も呼んどいてね?」
カリーナは遠ざかるコーモノ様の背中に手を振ると、私を室内に引き込む。そして私の顔を覗き込むと半眼で問い掛けてきた。
「…で、どうする?」
「…え、何がですか?」
「決まってるでしょ?本気で『天井知らず』にハニトラ仕掛けるか、それともお金だけ貰って手を抜くかよ」
「……すみません、ハニトラって何ですか?」
私の問い掛けにカリーナが肩を落とす。そして頭を掻きながら答えてくれた。
「ハニトラとはハニートラップ、つまり色仕掛けで相手を罠に嵌める事よ。話術はもちろん、ボディタッチや抱き着き、必要ならキスや交合もするの」
「抱き着いたり…キス……こ、交ごぉぉ……」
私の頭に血が上り、自分でも耳まで赤くなっていくのが判った。メイドは同じ寝所で就寝するので、女子トークでそういった行為については聞いている。しかし地元では恋愛どころか女性扱いすらされていなかったので、そういった経験は皆無なのだ。
真っ赤になった私に、カリーナは腕組みして溜息を吐く。
「まぁ、無理にする仕事じゃないしね…口裏は合わせてあげるから、適当に果実水飲んだら一人でどっかの宿に泊まって朝帰りしなさい。コーモノの手前、数回は付き合ってもらう事になるけど我慢するのよ?」
そう言うとカリーナは大きな鏡台の前に座り、自分の髪を解かし始めた。それまで解れていた銀髪が纏まり、綺麗な輝きを放ち始める。
「会計はコーモノの金から出すから安心なさい。あと毎回5Gを渡しとくよ。メイドを続けるにしろ辞めるにしろ、色々と金は必要だからね」
次に鏡台の前の小瓶を取ると、透明な液体を手に出して顔に塗り込み始めた。それまで血色の悪かった肌に艶が出て、プルプルと指に張り付いていくのが判る。そうした行程を経る度にカリーナは綺麗になり、気が付けば絶世の美女へと変貌していた。さっきまで無気力に見えた半眼が、今では憂いを帯びた瞳に感じられるのだ。
「帰れる実家があるなら、早めに帰った方が親孝行よ…家業を継ぐにしろ嫁に行くにしろ、若い内の方が選択肢が増えるってものだし………ちょっと、何見てるのよ」
「…え?あ、ご、ごめんなさい!」
気付けば私はカリーナの側に近付き、その肌や指先を見つめていた。私はカリーナの化粧テクニックに釘付けになっていたのだ。
「いや~、カリーナさんが凄く綺麗になったから…」
「…それ、褒めてないからね?化粧が必要って事は、それだけ歳を取ったって事なんだから…」
「けど凄い憧れます!私もカリーナさんみたいな大人の女性になりたいんです!」
私の鼻息にカリーナはドン引きしたが、長楊枝を小刻みに揺らしつつ頬を赤くした。そして瞳を閉じて長考すると、元の半眼で私を見つめ返す。
「…それじゃ下地まではしてあげる。後はそこにある化粧品を好きに使ってみなさい?その代わり、覚悟しときなさいよ?」
「え、それって化粧品代とかですか?」
「そんなケチ臭い事は言わないわよ…まぁ、通過儀礼ってヤツね。化粧品の説明はするから、自分の思った濃さで、自分の思った範囲に塗ってくの。それを『天井知らず』にお披露目しましょう。それが化粧の第一歩よ」
「……判りました、やってみますッ!」
私はカリーナが何をしたいのか判らなかったが、目の前に並ぶ無数の化粧品に手を伸ばした。




