王国歴1669年10月21日⑥:カリーナの涙
私は目を回すシーナルを起こすと、運ばれていたスイーツをビビィと二人で食べ始めた。2人のスイーツと紅茶を待つという手もあったのだが、なんだか一番上のケーキの層が少しずつ沈んでいるように感じたので、私からビビィに提案したのだ。
「「いただきまーす!」」
ケーキに蜂蜜を掛けるとビビィ先輩がスプーンで、私がティースプーンでスイーツを口に放り込む。その途端、複雑な舌触りと風味が合わさり、口の中がとても幸せになった。
「う~ん、一流宿屋の食堂は美味しい物を出すわぁ!」
「本当だぁ…このケーキ、上からメレンゲケーキ、チーズケーキ、パンケーキと重ねていて、口の中で蕩けるようでありながらしっかりとした歯ごたえ、そして濃厚な風味を同時に演出している…そしてそれぞれにバニラビーンズの香り、レモンの風味、パンケーキの香ばしさ、濃厚な蜂蜜が良いアクセントになり、舌を動かす度に味が変化していく…更に赤のベリーソースの酸味と黒のカラメルソースの苦みで、いつまでも舌を飽きさせない…流石だなぁ…」
「あはは!ビビィ先輩の解説が出た!」
ビビィ先輩は普段は大人しいのだが、美味しい料理を食べると饒舌になるのだ。今回の解説の長さだと中の上ぐらいだろうか。長い時は四半刻ぐらい解説が止まらなくなる。
その内容は正確なのか、解説を聞いたシェフは嬉しそうに微笑む事が多い。しかし調理法や隠し味まで言い当てはじめると顔面蒼白になり、最後にはその場に崩れ落ちて泣き始めてしまうのだ。何度かその場に居合わせた事があるが、私は気まずくなって二度とその店に行けなくなってしまった。
その後もビビィはスイーツを口に運び、幸せそうに微笑むとまた口へ運んだ。
横を見ると、その様子を幸せそうに眺めるシーナルの姿があった。
「シーナルさん、女性の食事する姿をジロジロ見るのは、あまり感心しませんよ?」
「…あ、いえ、とても美味しそうに食べるなと思って…」
「え?エルフの女性は違うんですか?」
「そうです、エルフは食事に喜びを感じないのです。150年も生きると食事に飽き、栄養補給としての目的が優先され、必要以上の摂取を避けるようになります。私も料理を美味しいと感じますが、これまでに食べた料理と大差を感じないのです。栄養補給だけなら、塩と野菜サラダだけでも満足できます」
「そ、それは楽しくないですね…」
シーナルは小さく息を吐くと、半眼で窓の外を見た。
「えぇ…里は本当に楽しくなかった。皆は生き続ける事に固執し、新しい事に挑戦せず、ただ健康を維持するだけの生活を送る。そこに生命の輝きはありません。今の私からすれば白と黒だけで描かれた絵画の様です」
「…そうなんですか…」
「そうです、だからエルフは生命力が希薄で細身なのです。あのような豊満な胸も、重々たる臀部も、揉み心地の良さそうな腹部や太腿も、何処にも存在しえないのです!あぁぁぁ…あの肉の大地に抱きつきたい!何なら肉に埋もれて、そのまま埋葬されてもいい!」
「結局、性的嗜好じゃないかぁぁぁぁぁっ!!!」
「…二人共、食事の時は集中しましょう」
「「はい、すみません」」
ビビィの地の底から響くような忠告に、私とシーナルは素直に頭を下げた。
その後にもう一つのスイーツが届くが、それはビビィとシーナルに食べてもらう事にした。私には他に優先すべき事があるのだ。それはキースへの謝罪である。偶然とはいえシーナルと再会してその激怒を痛感し、これは相当にマズいと感じたのだ。
私はシーナルに事情を説明し、キースの部屋を教えてもらった。そしてビビィに別れを告げると宿の2階へあがり、キースの部屋を目指す。しかし私は寸前で足を止める事になり、キースの部屋へ辿り着く事ができなかった。
キースの部屋の前、廊下の窓際で泣いているカリーナを見たからだ。
階段を上がり、足音を忍ばせて廊下の角を曲がると、そこにカリーナがいた。
ローブ姿のカリーナは窓辺に手を突き、下を向いて静かに涙を零していたのだ。距離があって分からないが、時たま肩が震えるので嗚咽しているようにも見える。
私はかなり無神経な部類に入ると自覚しているが、この雰囲気で出ていくだけの無神経は持ち合わせていなかった。出来るのは角に身を潜め、ただ待つ事だけだ。
出ていくタイミングを計る為に何度か覗いていると、不意にカリーナが顔を上げた。私に気付いたのかツカツカとしっかりした足取りでこちらに近付いてくる。
私は身を隠す場所を探したが、今から階段を駆け下りても背中を見られるし、身を隠せるような調度品も見つからなかった。ここは自分の小さな身体を信じて、しゃがんで頭を手で隠してみる。
「何してるの?女の努力を覗くのは失礼よ?」
「は、ははは…」
カリーナの呆れたような声に、私は素直に頭を上げる。少しだけ瞳の赤いカリーナが私を見下ろしていた。
「いや~…何か見ちゃいけないものを見た気がしたんで…」
「…ったく、恥ずかしいわね…泣く練習よ。ハニトラには女の涙も必要だからね」
「な、なんだ~泣く練習だったんですか~私、てっきりキースさんの事で」
「んな訳ないでしょ?お金よ、お金!割り切らないと心が死ぬわよ?…そうだ、コマイにも泣き真似を教えておこうか?この後キースに怒られるんでしょ?」
「お、教えてください!可及的速やかに!」
私はキースへの謝罪を思い出し、その防御策となる泣き真似の方法を懇願した。カリーナは少し驚きながら、カリリと長楊枝を噛んで笑う。
「よし、良く聞きなさいよ?まずは口を閉じる!そしてゆっくりと鼻から息を吸う!」
「はい!はむ!んスゥ!」
「いや、ゆっくりだって!もう1回最初から!…そうそう、ゆっくりと…すると鼻の奥が染みるでしょ?まるで欠伸の直前みたいな感じがしない?」
私は言われた感覚が少し分かり、その状態のまま首を縦に振る。
「よし、それじゃその状態で口を開けずに欠伸をするの!」
身体が欠伸の状態に入り、口を開こうと顎の筋肉が震えだす。それを強引に止めると唇が震え、目尻に熱い涙が滲んできた。
「や、やった!本当に涙が出てきた!」
「泣き真似の仕方が分かったかしら?あとは練習して涙の量を増やすだけよ!」
「けど練習は個室でやるんだな…泣き真似だとバレると逆効果だぜ?」
野太い声に振り返ると、バンダナを巻いたキースが私とカリーナを見下ろしていた。




