AIが発達する時代でも勉強しなくてはいけないの?
◇今の世の中は「相対評価社会」
筆者:
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
今回は勉強の必要性について述べていこうと思います。
特にAIが発達していく時代では勉強する必要性について懐疑的な意見もよく見られますからね。その点を深堀りしていこうと思います。
質問者:
確かにAIに問題文を入力すれば適切な回答が返ってきますし、
OpenAI社最新のGPTー5は、大学博士課程レベルとすら言われています(本当にそこまでの実力があるか不明ですが)。
そうなると、勉強していく必要性の意味というのが無くなるような気がしますよね……。
筆者:
あえて告白しますけど、地の文は完全に僕が書いていますけど、
理論体系に穴がないかどうかはAIと僕が討論して、
その結論部分をオリジナルに書きなおしていることは普通にありますね。
よくエッセイで書く分野の政治や経済や歴史についてドヤ顔で書いていそうに思われるかもしれませんが、僕も断片的な情報のみで完全に把握しているわけではないのでね。
質問者:
えっ……そうだったんですか!?
筆者:
ただ、完全に依存しているわけではありません。
要は「AIとの付き合い方」みたいなのが大事であり、
そのベースの部分に「勉強する意義」というのが存在すると考えているわけです。
質問者:
勉強する意義ってどういう感じであるんですか?
筆者:
まず、依然として「学歴社会」が存在しているということです。
給料は上がらない状況が続いており、転職したからと言って必ずしも給料が上がるとは限らないです。
その上で初めて就職した会社の給料帯から転職をしても中々上に上がることができない構造が存在しています(細かい待遇などは変わるでしょうけど)。
前職などの経歴が大きく影響してくるからです。
そうなると初任給の良い会社に入る必要があり、その選考を通過するためには「学歴フィルター」を潜り抜けなければなりません。
そうなると現状は残念ながら「大学入学時にある程度決まっている」と言っていいでしょう。
勿論高卒やそこまで偏差値が高くない大学から成功されている方もいらっしゃいますけど、有名大学以外から巻き返したのは並大抵の努力では無かったと思います。
質問者:
でも世の中、成果主義じゃないんですか?
筆者:
実をいうと、頑張ったからと言って給料が上がるわけではなく、
成果主義とは言っても企業の業績はいい商品化大量生産をしている大企業が数字を出しているにすぎません。
中には中小企業でも革新的な技術を持っている会社も存在しますがそんな会社はごく少数でしょう。
よほどの革新的な商品を開発したり、大学卒業後によほど頑張った方以外では
依然として学歴社会が成り立っているのです。
そしてこの構造は「学歴は後天的な努力で得たものだ」という発想からなかなか改善する兆しはありません。
質問者:
以前、筆者さんは高学歴ほど年収が高い世帯がなっているという話でしたが……。
筆者:
それでも勉強をすれば挽回できるのでまだマシですよ。
ただ、低年収世帯では「親の成功体験」を伝えることができないのが痛恨で、
自発的に学習する環境が整っているとは言い難いのが弱点かなと思います。
その上で世の中が「相対的評価」で給与や出世などが成り立っているということです。
30年前にWindows95が出てパソコンが爆発的に普及し、そこからワードやエクセルといったシステムが始まり、2010年ごろからスマートフォンが普及し機能的なツールを操れるようになりました。
つまり、30年前より格段にツールを操るという意味では進化していると言っていいでしょう。
しかし、30年前と比べてそれだけ給料が上がったのか? と言われるとそんなことはありません。額面給与は多少増えても可処分所得は下がったまであります。
AIが発達したらしたで「AIを使いこなす人間」というのが重宝されていき、その先には「AIが使えて当たり前」というレベルまでなっていくのだと思います(使えない人は即座に時代遅れになる)。
質問者:
そうなると「ツールを使える人の中で優秀な人」というのが出世したり高収入になったりするということですか?
筆者:
そうなります。
これはグーグルなどの検索エンジンで何でも調べられるからと言って知識の格差が縮まらなかったのと同様です。
正しい情報を見極めるリテラシーの能力差が縮まっていなかったり、
そもそも検索するワードが浮かばなかったりすることで、
「AIがあるから学ばなくていい」と思われている方とここでも大きな差がついてくると思われます。
◇各科目の意味とAIによる学習
質問者:
学歴が重要でそのためには勉強する必要性があるのは分かったんですけど、
各科目についてはどうなんでしょうか?
例えば、すぐに翻訳してくれるのに英語の文法とか英単語を学ぶ意味ってあるんですか?
こういうのってすぐに翻訳してくれるので、勉強しがいがないような……。
筆者:
僕も英語がペラペラではないので偉そうなことは言えないんですけどね(笑)。
では、逆に翻訳を話の都度目の前でしている人と、流暢にロスが無く会話ができる人、
英語を話せる方はどちらと会って話したいですか?
と聞かれたら能力が同じであれば絶対に後者だと思うんです。
質問者:
外国の方って短気の方も多いですからね……。
いちいちデバイスの翻訳を見てたら厳しい気も……。
筆者:
また単語1つでも複数の意味があったりすれば誤訳も平然と起こります。
英語は世界で一番話されている言語の一つですから学習して損はないです。
数学も計算式入れればスグジャンとか言われそうなので反論しておきますと、
数学は「世の中の構造」というのが理解できたり「筋道を立てて考えること」ができるようになります。
例えば微分積分っていう高校で習う必修レベルでありながら誰もが嫌なものがあるのですが、これは文章などを読んで一度微分して、それが積り積もって積分化し続けたときにある時に「ストンと分かる」といった現象が起きているのだと思います。
理系科目は大体同じような説明ができると思います。
まぁ僕はそこが分かったところで文系だったので最低限の事しかできなかったわけなんですが(笑)。
質問者:
それなら歴史とか年号をイチイチ覚えるのって不毛じゃないですか?
筆者:
確かに年号を正確に覚えることにそこまで意義があるとは思えませんね(笑)。
ただそれが「社会常識」だということを知った方がいいですね。
歴史については「過去から学ぶ」といった姿勢が大事だと思います。
その時代ごとのテクノロジーにこそ差がありますが、「世の中の理」みたいなものはあまり変わりません。
例えば支配者は嘘をついて住民から搾取し、そして搾取が行き過ぎれば革命のようなことが起きます。
今であればネットなどで支配者の悪事が暴かれている状況なのである種の「革命前夜」とも言え「未来予測」がある程度できるようになります。
ただ今、暴力革命が起きるとは考えにくいですし、そうであってはいけないので選挙や言論空間など穏便な方法だとは思いますけどね。
質問者:
それなら国語力についてはどうですか?
なんでも要約とかしてくれて必要無くなったりしませんか?
筆者:
むしろ、国語力こそAIが発達していく世の中で最大の差になってくるんじゃないかと思いますよ。
世間では「アレキサンドラ構文」や 「アミラーゼ構文」のような文を理解できない方が増えています。
ここに来られている方は文章を読むことにそこまで苦痛ではないので、大丈夫な方も多いと思いますけどね。
あれはある種の「悪文」だとしても、国語力が無いと「AIが何言ってるのかわからない」「質問の仕方が下手」のような悲惨なことになりAIを使いこなすことは厳しいと思います。
質問者:
勉強の意義はわかりましたが、
AIって勉強では使えないってことなんですか?
筆者:
要は「使い方」だと思います。
日本最難関、東京大学理科三類(理Ⅲ)の今年の合格者に対して行ったアンケートでは、63.1%が「生成AIを活用して勉強した」と回答しています。
例えば「この問題と似たような問題を作って」とかその手のことが質問次第ではできたりします。
英文法の誤りであれば、AIはほぼ正確に指摘することができますし、
小論文でも、「てにをは」や文法的な不自然さをかなりの精度で見抜けるために、
「先生の採点などによる時間ロス」が減っているのは非常に大きいと思います。
逆にAIに答えさせてそのままプリントを提出しただけだと学力は下がります。
しかし、「プロセスの一つに使う」事ができれば、人為的には膨大な作業をスキップすることも可能なので、とんでもない人間の強みにもなるということです。
質問者:
AIは使う人次第では「諸刃の剣」ということなんですね……。
それをスマートフォンでやっていればすぐにサボッてしまうのと紙一重ですから強い意思が必要ですね……。
◇AIを使う上で「必要な力」
筆者:
スマートフォンとか便利ツールが無くてもサボる人はいましたけどね(笑)。
よりやりやすく、何をやっているのか外から分かりにくくなった面は対策を議論していく必要があるでしょうね。
ここからは勉強をしていても漫然と学習していると将来的なAIを使う効率は下がると思うので、AIの特性を含めて解説していこうと思います。
質問者:
AIって特性みたいなことがあるんですか?
筆者:
まずAIには事実ではない情報を生成する現象――いわゆる「ハルシネーション」
と呼ばれる事象が起きることが分かっています。
最新情報を検索する際にその情報が誤っていたり、
情報量が足りない場合は「それらしい嘘」を示してくる場合があるのです。
勿論それは確率的には低いことですが、皆が皆同じようなAIを使い、それを信じると「集団で騙される」といったことが起きうるのです。
質問者:
確かに、「AIがたまに嘘をつく」ということがあると聞いたことがありますがそういうことですか……。
筆者:
人間であれば「分かりません」と言うところが、AIは「答えに近そうなこと」を示してくるのです。
それを「誤答」だと気づく力は大事になります。
ん? これっておかしくないか? と違和感を検知して調べる力というのは重要になります。
こればかりは「総合知」なので、何かをやり続けたらできるというものでもないと思うのですが、一般教養などを勉強する意義は深まるでしょう。
質問者:
何かで明確に対策できないのは何か気持ちが悪いですけど、
「AIは必ずしも正しいことを示さないかもしれない」と認識しておくだけでも大きそうですね。
筆者:
「今はまだ分からない」と答えることが実はAIと人間との差別化になりそうですね。
次に「自分の意見や価値判断を持つこと」と「それを説明できること」です。
AIに対して「質問すること」が今後重要になってきます。
何も考えずに漠然と暮らしている方ばかりだと、「普通の質問」ばかりになる可能性があります。
そうなると返答も一律の範囲内から出ることはなくAIを使う者同士では「相対的勝者」にはなりません。
そこで、独自の価値観や意見を持つことによって「質問の質」を高めることができます。
逆に勉強はどうしてしなくてはいけないの? と疑問を持ってこのエッセイを開かれている方は質問の質を高められる可能性を秘めていると思います。
漫然と物事に取り組んでいないということですからね。
質問者:
日々何かに疑問を持ったり、意見を持ったりすることが大事だということですね……。
筆者:
最後に「心理的要因のプラス」ということについて触れていこうと思います。
AIは数値の評価軸で重軽の評価・価値判断の尺度にして合理的な判断を下しています。
AIが小説などを書くという話もありますけど、
「こういう展開の後にこういう展開が続くことが多い」
という統計的判断の元で示しているに過ぎません。
人間のように感情や心理的要因がどう揺れ動くかで判断しているわけでは無いのです。
世の中には数値がプラスであることよりも感情が優先されることはいくらでもあります。
例えば値段としては無価値であったとしても想い出の物だとその人にはお金以上の価値があったり、
危険であるにも関わらず子供が川に流されていれば、我が身を顧みることなく川に飛び込む判断をすることなどです。
いわゆるお金では買えることができない「プライスレス」と言えば分かりやすいかなと思います。
質問者:
つまり、相手に寄り添う気持ちみたいなのが大事だということでしょうか?
筆者:
そういうことですね。
仮にAIが「その行動が統計的に有利そうだ」と判断するにしても、
「ブーム」などの要素を判断するにはテンポが遅れますし、
「個人にピンポイントで寄り添う」 といった人材は残るんじゃないかと思います。
いずれにせよ「AIに依存」「評価数値だけで判断」してばかりいると「不要な人材」になってしまうと思います。
質問者:
「不要な人材」にならないためにはどうしたらいいんでしょうか?
筆者:
後は僕たちのような社会人以降の世代に関しても「常に謙虚に学び続ける姿勢」というのは大事だと思いますけどね。
我以外皆師という言葉があるように、他者から謙虚に学び、糧にする必要があると思います。(反面教師的なところも含めて)
また、自分の「糧」にするには「学習」する際に「血肉にする」という気持ちが大事なのかなと思います。
単に得点や偏差値を上げるためだけの勉強というのは勉強する側も苦しいですしね。
質問者:
確かに点数を上げるためだけの勉強はなんだか将来役に立たないような気もしますね……。
筆者:
僕も得点や偏差値に囚われていた学生時代より今の方が色々と調べて学んでいるとかまでありますからね(笑)。
ということで普段は政治経済について書いていますが、このようにAIや情報化社会についても個人的な意見を述べていきますのでどうぞご覧ください。




