山田清和のこと
「気分はどうですか?」
「えっ、ええと……あの、よくわかりません」
男は、真顔でそう答えた。
質問の答えにはなっていない。だが、彼からまともな答えが返ってくることは、最初から期待していなかった。
彼の名は山田清和、四十五歳。三人を殺害した容疑で逮捕され、死刑判決を受けた。
山田が知的障害者であることは、鑑定をするまでもないだろうと思われた。日本には、刑法三十九条の壁がある。心神喪失者の行為は罰しない、そして心神耗弱者の行為は刑を減軽するというものだ。山田は、このいずれかに当てはまるはずだった。
ところが、司法はそう判断しなかった。様々な鑑定の出した結論が、この男は心神喪失の状態にあらず……である。
また、知能指数が低いのは確かだが、いわゆる心神耗弱には当たらない……という言葉も追加されている。
この決定は、果たして正しかったのだろうか。
そんな山田は、おどおどした態度でこんなことを聞いてきた。
「あの、僕はいつまでここにいるんですか?」
「それは、私にはわかりません」
「そ、そうですか」
答えた山田の顔を、私はまじまじと見つめる。
この山田が、何をどうしてダングルバトルのパイロットに選ばれたのだろうか。まともに戦えるとは思えない。理解不能だ。
テストによれば、彼のIQは七十だったそうだ。これは、境界線ギリギリのラインであり知的障害とはみなされない。IQ七十未満で、初めて障害者と認定されるらしいのだ。しかし、実際に接してみると、そうは思えない。
山田は、いわゆる知的障害者のイメージとは異なる。一見すると、ごく普通のおとなしい青年だ。ところが、じっくり話していくと彼の抱える問題に気づく。しかも、その問題は想像以上だ。
正直、普通の社会生活が営むことすら困難に思える。こんな状態で、どうやってひとり暮らしをしていたのだろう。
それ以前に、IQ六十九と七十……数値にすれば、ひとつしか差がない。その差は、死刑になるかどうかを左右するほど大きなものなのだろうか。
「普段、どのように過ごしていますか?」
私の問いに、山田は頭を掻いた。
「え、ええと……普段は何をしてたかなあ」
そう言うと、眉間に皺を寄せ下を向く。どうにか思い出そうとしているのだ。私は、質問を変えることにした。
「では、昨日は何をしましたか?」
「ええと、ご飯を食べて、トイレに行っておしっこと――」
そこで、私は思わず手をあげ遮った。
「違います。それは、生きていく上で誰もがすることです。わざわざ聞くまでもありません。あなたが、それ以外の時間に何をしているのか? 私が聞きたいのはそこです」
「覚えてないです。寝てたと思います」
「そうですか」
軽い徒労感を覚えた。私は、別の質問をしてみることにした。
「あなたは、御自身のしたことについてどうお考えですか?」
「え、あの、ご、ゴジシン?」
困惑した顔で聞いてきた。ならば、言い方を変えてみよう。
「あなたは、自分の犯した罪について、今どう考えているのですか? 私は、それを聞いているのです」
「あ、あの、わかりません」
わかりません……つまりは、何も感じていないということか。あるいは、本当にわからないのか。
それとも、こちらの質問の意図が届いていないのか。
「わからないのですか。では質問を変えましょう。あなたは、なぜここにいるのですか?」
「お、俺は悪いことをいっぱいしたから、ここに入れられました」
「その悪いこととは、何ですか?」
「お菓子を勝手に食べたり、テレビを夜中に観たり、それから――」
さすがに苛立ちを覚えた。手をあげ、彼の話を途中で遮った。
「そのことではありません。あなたは、三人の人間を殺害しましたね。私が聞きたいのは、それについてです」
「わからないです」
山田は、真顔でそんなことを言ったのだ。私は、思わず聞き返していた。
「わからない?」
「みんな、俺がやったって言ってます。だから、俺がやったんだと思います」
私は天を仰いだ。もっとも、ここで見えるのは青空ではない。冷たいコンクリートの天井だ。
山田は、自分が罪を犯したと思っていない。それどころか、自分が何をしたかすらわかっていないらしい。
こんな人間を死刑にしたとして、果たして刑罰になり得るのだろうか。
いや、それ以前に……山田は、本当に犯人なのだろうか。
・・・
山田の犯行は、恐ろしいものである。家の中に侵入し、家族三人を刃物で惨殺しているのだ。
発見当時、被害者の三人は食卓を囲んでいた。犯行時刻は、午後七時といわれている。現場にあったテーブルには、クリームシチューの入った鍋と三人分の皿が置かれていたという。
犯人は、そんな一家団欒の場にいきなり乱入した。世帯主であり父親の鈴木賢治、その妻であり母親の鈴木栄子、娘の玲奈を、次々と刺殺していったのだ。
警察の調べによると、凶行が終わった直後、犯人はすぐに出て行った。家の中には、現金や宝石や高級アクセサリーなどが手つかずで残されたままであった。
そのため、犯人の目的は殺すことだけ……つまりは、一家に深い恨みを持っている者であると警察は判断した。
担当の刑事たちは、総力を結集し犯人を捜した。しかし、犯人の手がかりすら見つからないまま時が過ぎていく。事件は、このまま迷宮入りかと思われた。
ところが、発生から二十年が経った今になって、容疑者と思われる人物が発見された。
ある日、警察は山田清和という男を逮捕した。一家三人を殺害した犯人として、である。
山田は、殺害現場の近くに住んでいた。しかし、惨殺された鈴木一家とは縁もゆかりも無い。そのため、事件当時は捜査線上に上がらなかったのだ。
そんな山田だが、近所のホームレスと一緒に酒を飲み公園で騒いでいたところを、通りかかった警官により保護された。
そこから、事件は急展開する──
警察署で、山田は指紋を調べられた。無論、形式的なものである。山田の罪状は軽犯罪法違反ではあるが、もとより逮捕するつもりはない。注意だけで帰されるはずだった。
しかし、山田の指紋は……一家殺人事件の現場に残されていたものと一致してしまったのだ。それも、犯人の指紋と思われるものである。
山田の容疑は、軽犯罪法違反から殺人へと切り替わる。それに伴い取り調べが始まり、山田はあっさりと罪を認めた。裁判でも同じ態度であり、弁護士は心神喪失を理由に無罪を主張した。
だが、弁護士の主張は通らない。山田は責任能力ありとみなされ、三人を殺害した犯人として死刑を言い渡されたのである。
山田はそのまま控訴せず、死刑が確定してしまった──
・・・
「山田さん、教誨を受けてみませんか? お坊さんや牧師さんのお話は、今のあなたにとって何らかのプラスになると思います。どうでしょうね?」
聞いてみるが、山田はうつむき答えない。
まあ、いい。本人がやりたくないのなら、無理にやらせる必要はないだろう。
その時、ブザーが鳴る。同時に、職員が立ち上がった。
「先生、時間です」
そう言うと、こちらに近づいてきた。山田は立ち上がり、職員に腰縄を巻かれていく。
私は一礼し、帰ろうとした時だった。不意に、山田が口を開く。
「あの、先生……あそこに、女の人がいます」
「はい?」
思わず聞き返していた。無論、ここにいるのは私と山田と職員の三人である。女性など、いるはずもない。
だが、山田の表情は真剣そのものだ。
「そこに、女の人がいるんです」
唖然となっている私に、山田は同じ言葉を繰り返した。
そこで、職員が間に入る。
「山田、バカ言ってないで両手を出せ」
「は、はい」
山田が両手を突き出すと、職員は手錠をかけた。さらに、私をチラリと見る。何やら、意味ありげな視線を向けてきた。
いちいち、こいつの言葉を真に受け相手にするな……と、伝えているように見えた。
私は頷き、山田に微笑んだ。
「ひょっとしたら、天使が来ているのかも知れないですね」
そう言ったところ、山田の表情が曇った。
「いや、違うと思います……あの、僕が殺した人の中に、女の人はいたのですか?」
真顔で、そんなことを聞いてきた。
確かに、山田が殺したとされている被害者の中には女性もいる。その女性が、霊となって現れた……彼は、そう思っているのかも知れない。
私が答えに窮していると、職員が口を挟む。
「ほら、時間だ。帰るぞ。先生を困らせるな」
そう言って、山田を連れて行ってしまった。
それから一月後、私は山田と再会した。
彼は、何事もなかったかのように入ってきた。通常なら、ここでダングルバトル出場を宣言する。だが、今回は違う。
私の顔を見ると、山田はペコリと頭をさげた。
「あ、あの……さ、裁判をまたやるそうです」
「はい、聞きました。頑張ってください」
私は、笑みを浮かべ答えた。
そう、山田の……というより、弁護団の再審請求が通ったのだ。もう一度、裁判をやり直すことになる。さらに、再度の精神鑑定も行なう。今度は、違う病院で受けるらしい。
死刑囚の再審請求が通る、これは非常に珍しい話である。
そもそも再審請求とは、有罪の言い渡しをした確定判決に対して、主に事実認定の誤りを正すために認められた救済手段だ。
ほとんどの死刑囚は、最高裁まで争っている。つまり、最高裁で審議され死刑が確定しているのだ。司法において頂点とも言える最高裁にて確定した判決を、また裁判をして争う……これは、よほどのことがない限り認められない。
その高いハードルを、山田は乗り越えたのだ。おそらく、弁護士が新たな証拠を見つけたのだろう。あるいは、精神鑑定の不備を見つけたのか。
いずれにせよ、山田のダングルバトル出場は白紙となった。これで良かったのだ、と思っていた時だった。
「先生、あの……」
言いながら、山田がこちらに近づいてくる。だが、職員がそれを制止した。
「おい、止まれ」
そう言って、山田を引き戻そうとした。
「いいえ、構いませんよ。山田さん、どうしました?」
私が言うと、職員は手を離した。
山田は、そっと近づいてくる。私の耳元に口を寄せ、そっと囁いた。
直後に聞いた言葉は、全く想定外のものだった──
「山田のバカが、お世話になりました」
はっきりと、そう言ったのだ。
私は愕然となり、山田の顔を見つめる。その時、恐ろしいことに気づく。
山田が変わっていたのだ。そこにいたのは、気弱でおどおどした知的障害者ではなかった。してやったりという表情を浮かべ、こちらを見つめている。
当然ながら、彼の顔そのものは変わっていない。服装も同じだ。にもかかわらず、全く違う人間に見える。どんな演技派の俳優でも、ここまでの演じ分けは出来ないだろう。
当然、職員にはその変化が見えていない。
この男は、山田ではないのでは?
そんな考えが、頭を掠めた。私はぞっとなり、思わず後ずさる。
山田の方はというと、ニッコリ微笑む。と、次の瞬間に顔が変わっていた。元のどんよりとした覇気のない表情へと戻っている。
「先生、あ、ありがとうございました」
そう言って、頭を下げる。直後、職員に連れられ部屋を出て行った。
私は、その後ろ姿を見ていることしか出来なかった。
どういうことなのだろうか。
山田は、巧妙に嘘をつき障害者を演じてていたのか? いや、それは有り得ない。私は、嘘を見抜く目はあるつもりだ。
これまで、何人もの犯罪者と面会し話してきた。犯罪者という人種は、本当に嘘つきが多い。時には、その嘘で自分すら騙してしまう者がいるほどだ。
そんな連中と接しているうちに、自然と嘘に対する目が養われてきた。今では理屈ではなく、直感でわかるほどになってしまった。嘘をついている人間は、九割以上見抜けるはずだ。
ところが、この男だけは違う。嘘をついている気配が、微塵も感じられなかった。
何より、あれを視ることの出来た人間が、嘘つきなはずはない。それとも、あれを視たのも嘘だと言うのか。
いや、それも有り得ない──
ひょっとしたら、山田は多重人格者だったのだろうか。ならば、説明はつく。知的障害者の山田の中には、別の人格が存在していた。
その人格が、一家三人を殺害した?
だが、同じ人間に知的障害者とそうでない者の人格が、同時に存在するなどということがあるのだろうか。
いずれにせよ、再審請求は通った。山田の裁判は、ここからまたやり直すこととなる。
その結果がどうなるか、私にはわからない。そもそも、私は警察でも探偵でもないのだ。真実を知る必要はない。