小林義弘のこと
「体調はどうですか?」
私が尋ねると、彼は顔をしかめ答える。
「悪いです。ものすごく悪いです」
「そうですか、大変てすね。どこか悪いところでもあるのですか?」
「全部です。体も心も、全てが悪いです」
「なるほど」
相槌を打ちながら、私は目の前の男を見つめた。
そこに座っているのは、ごく普通の若者だ。身長は高からず低からず、体重の方も平均的なものだろう。施設から支給された灰色のトレーナーを着て、かしこまった態度で座っている。
顔立ちはパッとしないものであり、印象に残りやすいタイプではない。一般人の目には、死刑になるような罪を犯したようには見えないであろう。
そんな彼の名前は小林義弘、二十五歳。現在、ここに収容されている死刑囚の中では、もっとも若い。
小学生の時は、特に目立ったところのない少年だったらしい。少しばかりお調子者の面はあったらしいが、問題児でなかったのは確かだ。
中学生の時も、ほぼ同じ評価だ。非行歴などはない。高校生になり、一度だけ補導されたことがあったが、友人の起こしたケンカの現場にたまたま居合わせただけである。
そんな小林だが、大学に入ってから道を踏み外してしまった。ほとんどの場合、人間は徐々に悪くなっていく。しかし、彼の場合は一気に死刑になるレベルにまで落ちてしまったのだ。
そもそもの始まりは、軽い気持ちでネットのバイト募集に応募したことだった。
「先生、理不尽だと思いませんか?」
小林は、訴えるような口調で聞いてきた。
「何がですか?」
「俺は、ひとりしか殺していないんですよ。日本では、死刑の相場は三人を殺した時だと言われていると聞きました。なんで、俺が死刑にならなきゃいけないんですか?」
真顔でそんなことを聞いてきた小林に、私は出来るだけ感情を抑えつつ聞き返す。
「逆に聞きます。あなたは、自分の死刑が理不尽であると、そう思っているのですか?」
「はい、そうです」
「よく聞いてください。あなたの行為により、幼い命が奪われました。この事実を、どうお考えですか?」
そう、この男が殺したのは幼い少年だ。
小林義弘は五年前、とある家に侵入する。彼は当時大学生で、いわゆる闇バイトの実行犯でもあった。指示された家に侵入し、隠してある現金を盗みだすよう指示されていた。
しかし、そこには小学生の男の子がいた。記録によれば、十歳になったばかりだという。運悪く、熱を出して学校を休んでいたのである。
いきなり自宅に侵入してきた見知らぬ男を見た少年は、どなたですか? と尋ねた。両親の知り合いか何かだと思われたのか。
この予想外の展開に、取れる手段はふたつ。さっさと逃げるか、強盗になることを承知の上で仕事を続行するか、そのどちらかである。
小林は、後者を選んだ。まずは、少年を言葉で脅しつける。すると、少年はいったんはおとなしくなった。
だが、隙を見て逃げ出そうとしたため、小林は激怒し首根っこを捕まえ床に叩きつける。さらに、腹を蹴飛ばしたのだ。爪先が腹に入り、少年は、腹を押さえうずくまってしまう。
小林はというと、少年をガムテープで縛り家探しを始めた。しかし、現金は数万円しか見つからない。上からの指示によれば、この家には数百万の金が隠してあるはずなのだ。このまま引き上げたのでは、自分が嘘を吐き金を着服したと指示役から思われかねない。
苛立った小林は、うずくまっている少年を無理やり引き起こして、金のありかを尋ねた。
だが、少年は答えられない。後でわかったことだが、腹を蹴られた時に内臓が破裂していたのである。この時点で、異変に気づき救急車を呼んでいれば、また違った展開もあっただろう。
小林は、そうしなかった。それどころか、答えない少年に逆上して顔面を殴った。何度も何度も殴り、拳が痛くなってくると蹴りを入れた。その蹴りにより、少年は動かなくなった。
その時になって、小林は異変に気づいた。少年を揺さぶってみたが、反応はない。心臓も動いていなかった。少年を死なせてしまったことを知り、動転した彼は、僅かな金を手にその場から逃げ出した。
捕まったのは、その三日後のことだった。
「確かに、俺は人を殺しました。でも、ひとりですよ。ひとりなら、死刑にはならないはずです。現に、俺の他にも人を殺した奴は大勢います。にもかかわらず、死刑にならずシャバで生活してるんですよ。おかしいでしょう?」
「おかしくはありません。強盗殺人なら、ひとりでも死刑になりうるのです」
そう、単なる殺人事件と比べ、強盗殺人は罪が重い。
例えば、人ひとり殺してしまったとしよう。殺人事件ならば、有期刑で済むケースが多い。もちろん、様々な要素を加味した上での判決となるが、人ひとり殺して死刑が言い渡されるケースは稀である。
これが強盗殺人になると、死刑の可能性はグンと跳ね上がる。殺人よりも、強盗殺人の方が罪は重いのだ。
もっとも、この事件は微妙であった。強盗殺人は、無期懲役もしくは死刑が相場である。小林は初犯であり、金を盗んでくるよう命令されていた立場だ。無期懲役の判決が降る可能性もあった。
しかし、判決は死刑であった。まず、動機からして最悪である。小林は、遊ぶ金欲しさに闇バイトに応募し盗みに入ったのだ。ところが、家には幼い少年がいたため殺した……あまりにも短絡的かつ自己中心的である。
殺害の方法も残虐なものだ。金のありかを聞き出すため腹を蹴り、頭部を何度も何度も殴打し、また蹴飛ばしたのだ。情状酌量の余地など皆無である。
これらの事情を鑑み、小林には死刑が言い渡される。小林は最高裁まで争ったが、判決が覆ることはなかった。
さらに、指示役の男も逮捕され、死刑が言い渡された。
「いや、おかしいでしょうが! かつて、有毒廃棄物を海や河川に排出してた大企業がありましたよね!」
熱く語りかけてくる小林に、私は頷いた。
「はい、ありましたね」
「あの企業のせいで、何人の人間が死にました!? おそらくは、何十人という人間という人間の命が奪われましたよね!? でも、その毒を垂れ流した連中は死刑になっていないんですよ! 何十人も殺しているのに! こんなの、おかしいですよ!」
小林は、口から泡を飛ばして熱弁する。おそらく、この男は独房の中でいつも似たようなことを考えているのたろう。
俺より悪いことをした奴は大勢いるのに、何で俺が死刑にされるのだ……独房の中で、そう考え自身を憐れみ世の中を呪っているのだ。
「確かに、おかしいかもしれません。しかし、それとこれとは話が別なのではないですか?」
「何が別なんですか?」
「会社という組織が有毒廃棄物を垂れ流すのと、あなたが少年を自らの手で殴って死なせた事実……これを、同列に扱ってよいのでしょうか。私は、そうは思いません」
私は、死刑囚の言うことに反論しないよう努めている。相手の言うことを否定すれば、確実に気分が悪くなる。それは、私の望むところではなかった。
にもかかわらず、今回は反論してしまった。それに対し、小林は怒りもあらわに喚き出す
「だけど、俺が殺したのはひとりなんですよ! それに、殺そうと思っていたわけじゃありません! あれは事故だったんですよ!」
「事故?」
「そうです! 事故なんですよ! 俺は、殺そうと思って殴ったわけじゃない! 殴ったら、運悪く死んだんです! そう、運が悪かったんだ!」
運が悪かった──
確かに、小林の視点から見ればそうなるのだろう。
世の中、しょせん運次第なのだ。彼は、誰もいない家で窃盗をするはずだった。ところが、運悪く少年がいた。おとなしくしていろと言ったが、逃げようとした。だから、腹を蹴った。
その後、金を探したが見つからなかった。少年に金のありかを尋ねたが答えなかった。殴ったら、運悪く死んてしまった。
ほとんどの犯罪者は、このような考え方をする。自分は悪くない。悪いのは相手……でなければ、運。もっとも、それが通じれば刑務所の存在する理由がなくなる。犯罪者が裁かれることもなくなる。
その時、ブザーが鳴る。ここまでだ。
「時間です」
後ろに控えていた職員が、そう言って立ち上がった。小林に手錠をかけ、腰縄を付け連れていく。
私はホッとしていた。これ以上、あの男の話を聞いていたら……辛辣な言葉を吐いてしまい、彼を激怒させていただろう。
もっとも、今のやり取りだけで不快にさせてしまったのは間違いない。もう、私とは会ってくれない可能性もある。
小林は、これまでの人生において他人に暴力を振るったことはなかったようだ。犯罪歴もない。ただし、友人たちには「俺、昔ヤンチャしてたよ」などと吹聴していたという。
そんな男が、闇バイトに応募した理由は……楽に大金を稼ぎたかっただけではないのかもしれない。友人たちに「俺、こないだ闇バイトやったんだよ」などと自慢したかった、そんな気持ちもあったのではないか。
小林の、初の闇バイトは空き巣であった。しかも、合鍵はあらかじめ用意してもらっていた。あとは留守宅に侵入し、隠してある現金を取ってくるだけだった。
しかし、現実はそう上手くいかない。中に少年がいる……そんな想定外の事態が起き、小林は混乱した。
ここが分かれ道だった。プロの窃盗犯なら、諦めて逃げる。なぜなら、このまま続行すれば強盗になってしまうからだ。
窃盗と強盗の差は大きい。ましてや、強盗殺人ともなれば完全に別次元の犯罪だ。だからこそ、悪さ慣れしている窃盗犯は、中に人がいたなら逃げる。皮肉な話だが、犯罪者の方が刑法には詳しいのだ。
しかし、小林はそうしなかった。
ここで逃げたら、一文にもならないのだ。さらに、闇バイトの上層部から何をされるかわからない。
だからこそ、少年を脅し金のありかを聞いた。知らないと言われ、腹立ち紛れに腹を蹴った。さらに顔を殴り続けた結果、少年は死んでしまった。
結局、この男は己の生き様に裁かれたような気がする。
もっとも、小林の運はまだ残っている。その運を活かせるかどうか、それは本人次第だ。
そう、小林はダングルバトルのパイロットに選ばれている。ただし、本人はその事実をまだ知らない。知らされるのは、バトルの前日である。
それから二週間後、私は再び小林と面会した。
彼は、さらにやつれていた。手には、包帯を巻いている。夜中、泣きながら壁を殴っているところを職員に注意された。しかし聞き入れず、なおも壁を殴り続けた。そのため、拘束衣を着せられ懲罰房で過ごしたそうだ。
「俺はツイてないんですよ」
私の顔を見るなり、小林はそう言った。
さらに、私の反応などお構いなしに一方的に語り続ける。
「本当に、俺はツイてない。小学校の頃から、俺は貧乏くじばかり引かされてきました。中学校、高校、大学……みんなそう。俺ばかりが、いつも嫌な目に遭わされてきました。親ガチャ地域ガチャ、みんな外れ。世の中、不公平ですよね。俺なんかより悪い奴は、いくらでもいます。なのに、なんで俺が死刑にならなきゃならないんだ……」
そこで、ようやく私は口を開く。
「では、あなたに殺された少年はどうなのでしょうね?」
「えっ?」
「あなたは、曲がりなりにも大学生になることが出来ました。しかし、被害者の少年は小学校の段階で人生を終えてしまったのです。何も悪いことをしていないのに、地獄のような苦しみを味わった挙げ句に亡くなりました。これこそ、究極の不条理ではないのでしょうか」
「うるせえよ」
小さな声だったが、そう聞こえた。私は、思わず聞き返す。
「はい?」
「うるせえって言ったんだよ! どいつもこいつも、俺のことバカにしやがって! ざけんじゃねえぞゴラァ!」
喚きながら立ち上がった。その時、控えていた職員も叫ぶ。
「小林! やめろ!」
だが、小林は止まらなかった。何やら喚きながら、私に掴みかかろうとする。しかし、それ以上は動けなかった。職員が、後ろから彼を羽交い締めにしたからだ。
「おとなしくしろ!」
職員が吠えた。直後に扉が開き、ふたりの職員が入って来る。小林の両腕を押さえ、連れ出して行った。
私は溜息を吐いた。今度こそ、会ってもらえなくなっただろう。まあ、それも仕方ない。むしろ、ありがたかった。
小林と再会したのは、それから一月後のことだづた。
彼は、見るも無惨な姿であった。両側から、腕を職員に抱えられた状態で部屋に入ってきた。足に力が入らないのだろう。そういう状態の死刑囚を、これまでに何度か見たことがある。
なにせ本人は「今から刑を執行する」としか聞かされていない。つまりは、これから絞首刑台に上がるのだ……死刑囚は皆、そう判断する。
その時の死刑囚たちの姿は、本当に惨めなものだ。子供のように泣き叫ぶ者。ガタガタ震え、まともに歩けなくなる者。狂ったように暴れ、拘束衣を着せられふ者。排泄物を垂れ流す者もいる。
無様だが、笑う気にはなれない。誰でも、そうなるのだから。
今の小林は、涙と鼻水を垂れ流しながら、真っ青な顔で私を見た。何か言おうとしているが、言葉が出てこない。
そんな小林に向かい、私は口を開く。
「これから、あなたはダングルバトルに出場します」
言った途端、小林の表情が変わった。
「ダ、ダングルバトル!? 俺、ダングルバトルに出られるのか!?」
「そうです。あなたは、パイロットとして選ばれました。これから、バトルリングにて闘います。勝てば、しばらくは生き延びることが出来ますよ」