山木康介との再会
今日、私は普段とは違う場所に来ている。
扉を開けて建物に入ると、プンと薬品の匂いが漂ってきた。壁は白く、照明は明るい。時おりすれ違う職員の中には、白衣を着た者もいる。いや、そちらの方が多いだろう。
実のところ、ここは病舎と呼ばれる所である。裁判のため勾留中の被告人が病気になったり怪我を負ったりした場合、この病舎に入れられるのだ。今後は、当分の間ここに通うことになる。
先日、ダングルバトルにて勝利を収めた山木康介も、この病舎に収容されていた。日本人の勝利は久しぶりである。一応、尾形高志も勝ってはいるが、彼は試合後に廃人となってしまった。そのため、記録上はドローの扱いである。
したがって、山木康介は五年ぶりの純粋なダングルバトル日本人勝者なのである。日本のファンは、気も狂わんばかりに騒いでいた。それに伴い、山木の事件も再びクローズアップされている。稀代の連続殺人犯である山木を、英雄視する者まで出てきている始末だ。
ただし、山木の被害者遺族は別の反応をしている。また、山木の存在を許せない者も相当数いる。彼らは協力し、日本のダングルバトル参加反対の署名を集めているという。
当の山木は、病室のベッドに寝ていた。現在の彼は、両手両足がない。したがって、看護師の介助が無ければ生活できない状態である。
看護師もまた、山木が何者であるかは知っていた。にもかかわらず、他の患者と変わらぬ態度である。
「気分はどうですか?」
私が尋ねると、山木は顔だけをこちらに向け口を開く。
「あまり、いい気分ではないです。ただ、新鮮てすね。こんな体験は初めてですから」
その声は、普段と同じであった。表情もまた、普段と変わっていない。
ダングルバトルでは、勝利したにもかかわらず精神を病んでしまうケースも少なくない。両手両足を失った精神的ダメージは、決して小さなものではない。
それに加え、複雑な操縦システムを脳と神経に直接つなぎ、マシンを動かす……これは、肉体はもちろんのこと脳にも多大なる負担をかけることになる。現に、格闘ゲームチャンピオンの尾形は試合にほ勝ったが、完全に狂ってしまった。
しかし、山木は違う。前に面会室で会った時と同じく、物憂げな表情を浮かべて私を見ている。あの戦闘を経験したにもかかわらず、彼は何も変わっていないように見えた。
「あなたは、大した人ですね。初めてのダングルバトルで、見事に勝利した。のみならず、どこにも異常が見られない。私が見てきた中で、初めてです」
これは偽らざる本音だった。
「何を言っているんですか。異常なら、あるじゃないですか。僕は、両手両足をなくしてしまったのですよ」
「そうでしたね」
「こうなってみると、不便で仕方ありません。鼻の頭が痒くても、自分では掻けないですからね」
山木は、すました顔で語っている。
不便で仕方ありません、などと言っているが……実のところ、その状態を苦にしているようには見えない。両手両足が無くなったというのに、気にも留めていないのだろうか。
あるいは、強がっているだけなのか。いや、彼に強がる必要などない。
私は苦笑し、かぶりを振った。この男は、本物の天才なのかもしれない。あらゆる点で、他の死刑囚を……いや、他の人間を凌駕している。
「こうなった以上、十連勝を目指してみてはどうですか? 達成した暁には、精巧な義手と義足を付けてもらえますよ。さらに、死刑を免除され自由の身になれます」
「義手と義足? 本当ですか?」
「ええ、本当ですよ。かつて、ダングルバトルで十連勝を達成した死刑囚がいました。彼は、恩赦と共に精巧な義手と義足を与えられました」
「ああ、佐々木亮平のことですね。先生、佐々木のことを話してください。先生と、何を話したかを──」
「その男は、手術により顔も変えられました。そして今、あなたの目の前にいます」
「はい?」
聞き返す山木の表情には、驚きと当惑の色があった。
この男にも、人間らしい反応を見せることがあるのだな……そんなことを思いつつ、私は胸ポケットに入れたボールペンを手にした。
次の瞬間、ボールペンを自らの手のひらに思い切り振り降ろす──
普通なら、ボールペンは手のひらに刺さっていたはずだった。ところが、ボールペンは砕け散ってしまったのだ。
「なるほど、あなたが佐々木だったのですか。それにしても、こんな精巧な義肢があるとは知りませんでした。世の中、まだまだ知らないことが多いですね。ついでに、先生の過去話でも聞かせていただけませんか?」
山木の言葉に、私は答えず下を向いた。あの話は、なるべくならしたくはない。
その時、山木の声が聞こえてきた。
「言いたくないようですね。なら、僕の話でもしますか──」
「私は昔、佐々木亮平という名前でした。ふたりの人間を殺し、死刑判決を受けたのです。しかし、何の因果かダングルバトルのパイロットに選ばれてしまいました」
本当に、何の因果だろうか。
あの日、私はダングルバトルのパイロットに選ばれたと聞かされた。個室に連れて行かれて、椅子に座らせられる。と同時に、ガスが噴射された。
個室は、ガスで充満していく。私は強い眠気を感じ、抵抗すら出来ぬまま意識は消えていた。
目を覚ますと、私はマシンに乗せられていた。両手両足はなく、そこにはコードらしきものが繋がれている。
そんな状態で、私はゲームに挑んだ──
「私は、夢中で戦いました。結果、十連勝を達成してしまいました。そして今、ここにいます。私の手足は、精巧に作られた機械なんですよ。これもまた、ダングルバトルにより発達したロボット工学の産物ですね」
「不思議ですね。先生のような方が、なぜそのようなことをしたのですか?」
当然の質問だった。私は、どう答えようか迷った。
すると、山木が慌てた様子で言葉をかけてきた。
「言いたくないようですね。すみません」
おかしな男だ。人を二十人も殺しておきながら、私に対しては気遣いらしきものをする。
だが、考えてみれば当然なのかもしれない。彼にとって、殺した被害者は無関係の人間だ。一方、私は違う。山木にとって、私はもはや他人ではなくなってしまった。
この私にしても同様だ。見ず知らずの外国人が、事故で何百人死んだと聞かされても、心は大して動かない……そんなことを思いつつ、私は口を開く。
「確かに、あまり言いたい話ではありません。なので、あなたが次のバトルで勝利した時に教えてあげましょう。そうすれば、あなたもやる気になるでしょう」
山木は、クスリと笑った。今までとは、明らかに違う態度だ。
「そうきましたか。あなたは、本当に面白い人だ。僕のことを嫌っているかと思ったのですが、違ったようですね」
「正直いうと、今もあなたが好きではありません。しかし、他の思いも生まれました」
「ほう、どんな思いです?」
「あなたに、十連勝して欲しい……今は、そう願っています。これは社交辞令でも何でもありません。私の本音です。十連勝し、自由の身になった後のあなたが見たいのです」
そう、これは私の偽らざる本音だった。
私は、この全てがデタラメな連続殺人鬼に奇妙な感情を抱いている。友情、などという使い古された言葉とも、また違う。
あえて言うなら、戦友に近いものだ。この天才が、ダングルバトル十連勝を達成し自由の身になった時……いったい何をするのか。
「あっ、そういえば……先生の今の名前を教えてくださいよ」
突然、思い出したかのような表情で聞いてきた。
「今の名前ですか?」
「言いたくないですか? なら、言わなくても──」
「いえいえ、そんなものはいつでも教えてあげますよ。ただ、聞かれなかったから言わなかっただけです。住末詩音ですよ」
そう、聞かれなかったから名乗らなかった、それだけのことだ。別に、秘密でも何でもない。
不思議な話だ。考えてみれば、ここで何人もの死刑囚と会ってきた。だが、私の名前を聞いたのは山木と前嶋だけだった。
「そりゃまた、キラキラネームみたいですね。そういえば、ジョン・スミスってアメリカでは偽名の代名詞みたいなスラングだって聞きましたが……何か、先生の名前と似てますね」
言いながら、山木は楽しそうに笑った。
「おそらく、そのスラングが基になっているのではないかと思います」
そう答え、私も笑った。