山木康介のこと
「あなたは、自ら控訴を取り下げたそうですね」
言いながら、彼の目を見つめる。
だが、山木康介の表情は変わらない。彼は二十五歳のはずだが、見た目は十代の少年のようである。
私がこれまで接してきた中で、もっとも若い死刑囚だ。同時に、もっとも異質な男である。
「はい、そうです。何せ、裁判は面倒ですからね。それに検事や裁判員のような連中には、今の時刻すら教えたくありませんよ。会話もしたくないです」
平静な表情で、彼は答えた。
不思議な青年であった。顔立ちは悪くないが、どこか年齢にそぐわないものを感じさせる。幼いといえば幼いが、時おり顔に不思議な表情が浮かぶ。達観とも、絶望ともとれるものだ。見る人によっては、傲慢と映るかもしれない。
実際、裁判の時も不遜な態度であった。動機について裁判長から聞かれた時「暇だったからです」と言い放ち、法廷は騒然となった。死刑を言い渡された時など、嬉しそうに微笑んで見せたのだ。
「あなたは、このままだと死刑なんですよ。もう一度、精神鑑定を受ける気はないのですか?」
「精神鑑定? あんなものには、何の意味もありませんよ」
山木は、冷静な態度を崩さない。醸し出している雰囲気は、ごく普通のものだ。
とはいえ、顔の造りは平凡なものではない。目鼻立ちは整っており、どこかの男性アイドルグループに所属していてもおかしくはないだろう。実際、拘置所にいた頃は、山木のファンと称する女性から何通もの手紙がきていたという。
実際、私の目の前にいる山木は浮世離れして見えた。間違えて、地上に降りてきてしまった天使……そんなバカな考えすら、頭に浮かぶほどだ。
だが、彼の精神状態が普通でないのは明らかだだった。
山木は小学校から大学まで、ごく普通の男であったという。いや、普通というと語弊があるだろうか。幼い頃に両親を亡くしており、施設で育っている。
そういった点はあるにせよ、記録によれば幼少期は何の問題もなく成長していったらしい。多くはないが友人もいたし、かつて付き合っていた恋人もいたという。
にもかかわらず、大学を卒業し就職した後の三年間に約二十人を殺している。
そして今から半年前、警察に自首してきた。自身の犯した二十の殺人事件を細部に至るまで完璧に記憶しており、取り調べた刑事からの質問には全て即答したという。しかも、その供述に嘘はひとつもない。
私が今まで見てきた、どの死刑囚にも当てはまらないタイプだった。
「あなたは、死ぬのが怖くないのですか?」
思い切って聞いてみた。だが、返ってきたのは想定外の答えだった。
「はい、怖くありません。逆に聞きたいのですが、先生は死ぬのが怖いのですか?」
山木は、真顔でそんなことを聞いてきたのだ。
「もちろん怖いですよ」
私は、そう答えるしかなかった。すると、山木は不思議そうな顔で首を傾げる。
「あなたもですか。実に不思議な話ですよね」
「何が不思議なんですか?」
「だって、人間は必ず死にますよね。これは、人類が誕生してから、ただのひとりも例外はなかったはずです。その避けようがない死を、なぜ恐れるのでしょうか? 僕も先生も、いつかは死ぬんです。遅いか早いか、差はそれだけです」
語る内容そのものは、それほど珍しくない。啓発本や哲学書などで見るセリフだ。ただし、書いた人間の九割以上が、いざ死を前にすれば確実に意見を撤回するだろう。
人は誰でも死を恐れる、これは当然のことだ。しかし、山木は違う。死を前にしても、言葉の通りに行動するだろう。これは断言できる。
犯罪者という人種は、どうしようもない嘘つきばかりだ。中には、息を吐くのと同じくらいの頻度で嘘を吐き続ける者もいる。
そんな連中と話していくうちに、私は相手の嘘を見抜く目が養われてきた。今では、目の前にいる者が嘘をついているかどうか、ほぼ見分けられる自信があった。
今の山木の顔からは、嘘をついている気配が感じられない。それどころか、彼の瞳は澄みきっている。これまた、大半の死刑囚とは違う。
この男には、死を恐れる気持ちが欠片ほどもない。自分が罪を犯した、という自覚もないのだ。少年のような瞳で真っすぐ私を見つめ、さらに語り続ける。
「先生、僕はつまらないのですよ。今まで生きてきて、いろんなことをしてきました。だが、何をしても心から面白いと思ったことがない。人を殺してみたのも、単純に面白いかどうか知りたかったからです」
淡々とした口調で、山木は語る。私は黙ったまま、彼の言葉に耳を傾けていた。
「以前、連続殺人鬼の自伝を読みました。そこには、こう書かれていました……殺人は私にとって、この上ない快楽であった、と。ですから、僕は人を殺してみました。初めのうちは、確かに面白かったですよ。警察に捕まらないように、知識と知恵を振り絞って計画を練り、一瞬のチャンスを逃さず仕留める。本当に、楽しい日々だった」
その時、彼の顔に違う表情が浮かぶ。楽しかった過去の出来事を、思い返しているかのように見えた。
だか、その表情は一瞬にして消え去る。
「でもね、それも長くは続かなかった。非日常の出来事は、刺激的ではあります。が、繰り返せば退屈な日常に変わります。人を殺すのにも、僕は飽き果ててしまいました。もう、何をしても面白くない。生きているのが、退屈で退屈で仕方ないんですよ。だから、死ぬことにしたんです。どうせ死ぬなら、最後に死刑というものを体験してみたい……そのため、僕は自首したんです。しかし、裁判は本当に面倒だった。終わってくれて、せいせいしています」
そう言って、山木は微笑んだ。先ほどと同じく、嘘をついているような気配は感じられない。彼は、死刑になることを本気で望んでいるのだ。
やはり、この男は狂っている。もはや、私には何も出来ない。彼に何を言おうが、その気持ちは変わらないだろう。
心の闇、という言葉がある。私は、死刑囚の心の闇を何度も見てきた。時には、覗いた闇の深さに震えたこともある。
だが、山木の心に闇はない。代わりに光もない。そう、彼の心には何もないのだ。
その時、終了を知らせるブザーが鳴った。私は立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「ては、また次回にお会いしましょう」
言った後、背中を向け立ち去ろとした時だった。
「先生、あの……」
突然、山木の声が聞こえた。私は何事かと振り返った。が、その瞬間に立ちすくむ──
山木の目は、こちらに向けられていた。だが、視線の先にあるものは私ではない。私から、少しズレた位置を見つめている。床か、それとも向こうの壁か。あるいは、何か別のものを見ているのか。
その瞳には、異様な光が宿っていた。もしや、この男にもあれが見えているのか?
「な、何でしょうか?」
私か震えながら尋ねると、山木の目線が動く。今度は、私を見つめた。
「先生は……いえ、すみません。また、今度にしましょう」
そう言って、ニッコリ微笑む。私はというと、逃げるようにして部屋を出て行った。
あんな男と、また会わなくてはならないのか……私は、たまらない気分だった。
無論、死刑囚との対話が楽しいものになるはずがない。しかし、この山木は全く別の何かを感じる。過去に、とある死刑囚から感じたものだ。
そう、あの柳田と似たものを感じるのだ。もっとも、柳田は復讐のため人間をやめ怪物と化した。彼には、まだ共感できる部分があった。
山木は違う。最初は問題のない人生を歩んでいた。にもかかわらず、怪物と化して人を殺し続けた。いや、最初から人間ではなかったのかもしれない。
私は彼に畏敬の念を抱きながらも、心の中に微かな期待が生まれていた。
この男なら、ダングルバトルを勝ち抜けるかもしれない。
山木と会ったのは、それから一月後であった。両脇を屈強な職員に抱えられ、廊下を歩いてきた。他の死刑囚と違い、山木は普通に歩いている。顔つきも普段通りだ。柳田と、ほとんど同じ状態である。
両脇にいる職員たちも、異様なものを感じているのだろう。いつもとは表情が違う。緊張した面持ちで、山木を連れてきた。
椅子に座った山木に、私は口を開く。
「あなたは、ダングルバトルに出場することとなりました」
そう言うと、山木は首を傾げた。
「はい? ダングルバトル?」
これまた、柳田と同じ反応である。私は思わず笑ってしまった。
「まさか、知らないのですか?」
「いえ、名前は知ってます。確か、死刑囚をロボットに乗せ戦わせて金を賭けるゲームでしたね……ああ、僕が選ばれたのですか」
「そうです。あなたは、これからパイロットとしてバトルに──」
「拒絶することは可能ですかね?」
またしても柳田と同じ反応である。言葉こそ違うが、要するに出たくないのだろう。ここまで突き抜けた罪を犯せる人間は、思考も似てしまうものなのだろうか。
「きょ、拒絶?」
「はい、面倒くさそうですからね。勝てるとも思えません。そもそも、知らない人間を楽しませるため戦いたくないです。さっさと死刑にしてもらった方がありがたいのですがね。駄目ですか?」
にこやかな表情で聞いてきた。店員に向かい、これのもうひとつ上のサイズがあればお願いしたいのですが……と言っているかような態度である。
この男は、私の理解の範疇を完全に超えていた。圧倒されるものを感じながらも、私は表情を崩さず答える。
「それは無理です。あなたは、出場しなくてはなりません。でなければ、力ずくでマシンに乗せることになります」
「そうですか。それでは仕方ないですね。では、行きましょうか。マシンの中で、サクッと殺されるのもいいかもしれませんね」
そう言うと、すたすたと歩いていく。職員ほ唖然となりながらも、山木の後を追った。
だが、途中で山木は立ち止まる。振り返ると、私に向かい口を開く。
「そういえば、前に聞いたことがありました。僕の記憶が確かなら、このゲームに十連勝して自由の身になった佐々木亮平という男がいましたね?」
「はい、いました」
まさか、この男からその名前が出てくるとは思わなかった。私は驚きつつも、平静を装い答えた。
すると、山木の口元に笑みが浮かぶ。
「先生は、その男を御存知ですか?」
「ええ、知っていますよ。直接、話したことはないですがね」
「じゃあ、もし僕が勝てたなら、そいつの話を聞かせてくれませんか?」
私は愕然となった。この男は、何を言い出すのだろう。
実のところ、私は佐々木亮平という人物をよく知っている。しかし、他の死刑囚には話したくはない……はずだった。
だが、考えるより先に言葉が出ていた。
「いいでしょう。あなたが、今回の試合に勝ち、なおかつ命があったなら……私は、佐々木亮平の真実を語ってあげます」
すると、山木の顔に面白い表情が浮かぶ。
「おっ、言いましたね。今の言葉、忘れないでくださいよ。後で、うっそピョーン! とか言うの無しですからね」
クラスのお調子者が、くだらないジョークを言っている時のような口調で念を押してきたのだ。これが、今から生死を賭けた戦いに向かう男の態度だろうか。
私は圧倒されながらも、どうにか答える。
「もちろん、嘘ではありません。誓います」
「わかりました。ならば、ちょっくら行って戦って来ます。負けたらごめんなさいね」
そう言って、ペロリと舌を出した。かと思うと、鼻歌を歌いながら歩き出したのだ。その顔には、妙に晴れやかな表情が浮かんでいた。
あんな人間は、初めて見た。
天才と狂人は紙一重、という言葉がある。それが本当に正しいのかどうか、今まではわからなかった。
だが、今ならわかる。山木は天才であり狂人だ。我々の常識などから、完全に逸脱した存在である。
次の試合、山木は勝つだろう……そんな気がした。