永井豊次のこと
「先生、私はやってないんですよ」
会うなり、いきなり言ってきたのは永井豊次という中年男だ。
年齢は五十歳で、髪のほとんどは白くなっている。目は三角形で人相が悪く、眉毛や髭も白いものが目立つ。そのせいだろうか、年齢の割には老けて見える顔立ちだ。背は高く、百八十センチを超えているだろう。体型はスラリとしており、余分な脂肪は付いていない。
もっとも、ここに来る前は百キロ近い体格だったそうだ。独房での生活が、彼を痩せさせたらしい。
「やっていない、といいますと?」
「私は無実なんです。本当です」
永井は、真剣な表情で言ってきた。
もっとも、これは予想できていたことだった。この男は、裁判の時からずっと無罪を主張し続けている。
五年前、永井は知り合いの女性を絞殺した。さらに、その家から現金や金目のものを奪っていった。三日後、強盗殺人の容疑で逮捕される。
被害者の顔面には、殴打された跡があった。さらに、性交の形跡もある。容疑は強盗強姦殺人へと変わった。死刑の可能性もある重い罪だ。
裁判で永井は「私はやっていない」と無罪を主張した。被害者の家を訪れたのは確かだが、借金について話し合いをしただけ……と言い張っていた。
しかし、判決は死刑であった──
そんな永井は、私に対しても、自分が無罪であることを主張し続けている。もっとも、こんなことをしても何の意味もない。私に、司法を動かせる力はないのだ。
「だいたい、あの女は私以外の人間からも多額の借金をしていたのですよ。極悪人です。あんな女は、殺されて当然ですよ」
「だから、殺したのですか?」
「違います! 私は殺していません!」
なおも訴える永井だったが、その言葉は嘘としか思えない。
この男の言うことが本当だとしたら、真犯人は殺人現場から煙のように消えてしまったことになる。
・・・
永井の犯した罪は、動画配信者殺人事件として大きく報道された。
被害者である渡辺愛菜は、当時二十七歳であり、動画配信者として活躍していた。その収入は、月に百万を超えていた……という話だ。
にもかかわらず、彼女は金に困っていた。若いホストの彼氏に貢いでいたことに加え、動画配信の際に着る衣装や設備などに多額の金を使っていた。その支出は、配信の収入を超えていたという。
やがて渡辺は、ファンに金を無心するようになった。具体的には、口の固そうなファンと個人的に連絡を取り合い、金を借りるようになっていたのである。
永井もまた、そうしたファンのひとりであった。事件当時、永井は四十五歳の独身だった。製紙工場の工員であり、収入はさほどでもないが実家暮らしである。そのため、生活にも多少の余裕はあった。
また、酒が飲めない体質のため飲み会には参加しない。キャバクラやガールズバーは無論のこと、風俗店にも行かない。
永井は、そんな地味な生活を送っていた。趣味といえば、プラモデルやフィギュアなどを集めることだった。いわゆるオタクの中年だったのである。
そんな永井は四年前(四十一歳の時)に渡辺の動画を観てファンになり、やがて課金するようになっていった。
ある日、永井のアカウントにDMが届いた。相手は、渡辺愛菜を名乗っている。
最初は本人であるかどうか半信半疑であったが、数回のやり取りを経て、渡辺本人であることが確認できた。
DMのやり取りを重ねるうちに、渡辺は永井に個人的な身の上話をするようになる。自身の姉がシングルマザーであり、旦那の遺した借金があり、おまけに障害者の子供がいる。その家庭の援助をしているため、金が必要なのだ……などという話を聞かされた。
当時の永井は、渡辺にこんなメッセージを返した。
「もし困ったことがあったら、いつでも俺にいいな。俺はいろんなところに顔が利くし、金もそれなりに持ってるから」
もちろん、永井の顔が利く場所などない。もっとも、渡辺の言ったことに比べればマシだった。そもそも彼女に、姉など存在しないのだから……。
それから四年間、渡辺は永井から金を借り続けた。その額は、トータルで一千万近い。その中には、消費者金融からの借金もあった。当然、利子がつく。
にもかかわらず、永井は返済を要求したりはしなかった。その後も、彼女とのやり取りはあったが、返済のへの字も出さなかった。
そんなSNSでのやり取りの記録は、裁判で証拠として提出されている。両者に金銭の授受があったことは、間違いない事実であった。
さらに渡辺は、将来は永井との結婚を考えていることも匂わせていた。「そのうち永井さんの両親にも会ってみたいな」「永井さんの奥さんになった人は幸せだよ」などといったものだ。
どこかで見たような言葉ばかりだが、恋愛慣れしていないオタク中年は、簡単にのぼせ上がってしまう。
その関係にも終わりがきた。
ある日、渡辺は動画で彼氏の存在を公表する。何を思って、そんなことをしたかは不明だ。ファンたちから、金を借りる必要がなくなったためか。あるいは、イケメンの若い彼氏と一緒に動画を配信した方が稼げると判断したのかも知れない。
いずれにせよ、それを知った永井は金を返せと渡辺に迫る。だが、渡辺は全てを無視した。さらに、永井のアカウントをブロックしてしまう。
渡辺は、これで諦めるだろう……と考えたようだが、甘い考えだった。可愛さ余って憎さ百倍という言葉もある通り、愛が憎しみに変わった時、人は時として自分でも思いもよらぬ行動に出てしまう。
その後、永井がどのような心境になったのか、詳しくは語られていない。裁判では「彼女への怒りは始めからなかった。彼氏と幸せになってくれるなら、それでよかった。ただ、金のことはちゃんとしなくてはと思った」などと言っていたが、それが本心でないのはバカでもわかるだろう。
ひとつ確かなことは……犯行当日、永井は電車に乗った。渡辺の自宅近くの駅で降り、真っ直ぐ渡辺の自宅へと向かう。
彼女は、マンションの一階に住んでいた。永井は、ベランダから部屋の中に侵入する。
記録によれば、渡辺は事件の前日に生配信を行なっていた。その生配信により、永井に彼女が現在どこにいるか知られてしまったのだ。しかも、渡辺の自宅まで突き止めてしまう。
そして永井は、渡辺の家に侵入した──
永井が侵入したのと同じ時間帯に、渡辺のものと思われる声が微かに聞こえていた……と、隣の部屋の住人は証言している。
もっとも、渡辺の部屋から奇妙な声や音が聞こえるのは日常茶飯事であったため、特に気にも留めていなかったという。彼女が有名な動画配信者であることは知っていたし、また妙な動画でも撮っているのだろう……くらいにしか思っていなかった。
ところが、その日の夜になって警察が訪問し、事件のことを知る。隣人は、聞いたままを話した。
最初のうち、永井は完全黙秘だった。だが、駅や道路に設置してある防犯カメラの映像を突きつけられると態度が変わった。
「借金のことで話し合いに行った。そこで、月々僅かづつでもいいから返すように言った。それだけだ。俺は殺してない」
そう言ったが、警察には通用しなかった。彼以外に容疑者はいないのだ。
さらに鑑定の結果、渡辺の体内に残されていた体液と永井のDNAが一致したのだ。しかし、永井はこう返した。
「セックスは合意の上だった。私は渡辺さんと話し合い、借金を待つ代わりにセックスをした。その後、私はすぐに帰った。その時点で、彼女は生きていた。犯人は私ではない」
あくまで無罪を主張する永井と、様々な証拠を持ち出す検察。やがて、永井の部屋から渡辺の持ち物と思われる品が見つかる。ブランド物のバッグやアクセサリー、高級腕時計といった類のものだ。
その上、永井の体には傷が残っていた。それも数か所だ。渡辺と争った時に出来た傷だと、検察は主張する。
結果、永井の容疑は殺人ではなく、強盗強姦致死へと切り替わる。こうなると、死刑の可能性まである重い罪だ。
当然ながら、永井はここでも無罪を主張した。
「私の家にあった品物は、借金を待つ代わりにもらったものだ。奪ったわけではない。体に付いた傷も、プラモデルを作った時に出来たものだ。私は、何もやっていない。これは冤罪だ」
互いの意見が食い違う中、検察は死刑を求刑した。対する永井の弁護士は、無罪を主張し続けた。
一審は、求刑通り死刑判決を言い渡す。検察の主張を、全面的に受け入れた形だ。
納得いかない永井は、最高裁まで争ったが死刑判決は覆らなかった。
永井は裁判において、あまりにも愚かな戦略を選んでしまった。
裁判において、己の罪を認め反省の情を示している……これは、減刑の材料としては小さなものではない。反省の意思の有る無しは、裁判員や判事の心証に大きく影響してくる。
もし永井が、最初から罪を認めて反省する態度を見せていれば、結果は違ったものになっていただろう。この男は初犯であり、これまでの人生を真面目に生きていた。逮捕歴はなく、近所の評判も悪くはなかった。
しかも、渡辺の方にも非はある。DМによるお互いのやり取りは、裁判で全て公開された。結婚を匂わせる数々の言葉や、シングルマザーの姉に障害者の子供がいて多額の援助をしているという文章もある。
さらには、ボランティア団体に所属し海外の孤児院に毎月寄付をしている……と書かれたものもある。言うまでもなく、それらの話は全て嘘だ。
これらの要素を考慮した上で、永井が真摯に悔い改めている態度を裁判で見せていれば、死刑は回避できていただろう。
しかし、永井はそうしなかった。状況から見て、彼が犯人であることは明らかなのだ。渡辺が死亡したと推定される時刻……その前後三時間、彼女の家に出入りしたのは永井だけだった。
にもかかわらず、俺はやっていないと言い張った。
犯罪者の中には、こうした傾向を持つ者がいる。自分は絶対に悪くない、相手が悪いと言い張る。挙げ句、暴力を振るい無理やり自分の主張を押し通そうとするのだ。
もっとも、裁判となれば話は別である。罪を軽くするため、神妙な顔で反省している……ふりはする。被告が被害者や遺族に反省文を書いたりのも、あくまで刑を軽くするためだ。
無論、これは自主的に行うわけではない。弁護士からのアドバイスである。検察や判事も、そのことはわかっている。それでも、するのとしないのとでは、量刑を決める上で大きな差が出てくる。
しかし、永井はそれすらしなかった。あくまで、自分はやっていないと言い張ったのだ。その態度は、あまりにも無様であった。
・・・
「先生、再審請求は通りますかね?」
永井という男は、この期に及んで、まだ諦めていないらしい。私はかぶりを振った。
「さあ、私に聞かれましても……弁護士に相談なさってはいかがですか?」
口ではそう言った。だが、内心では呆れていた。永井は、どこまで往生際が悪いのだろうか。
ふと、かつて担当した前島陽美のことを思い出した。彼女もまた、自分は無罪だと言い張っていた。この男も、前島と同類なのかも知れない。
いや、前島とも違うものも感じる。自分がやっていない、と本気で信じているのか。
私は、本当に嫌な気分だった。
前回の沖田とのやり取りは、未だ心に残っている。また、私は彼に対し複雑な思いがある。
沖田が死亡した今も、私は彼を好きにはなれなかった。同時に、沖田のことを心の底から嫌いになることも出来なかった。彼に対し、どんな感情を抱いているかと問われたら……正直、わからないと答えるしかない。
それでも、ひとつだけ確信を持って言えることがある。沖田は、純粋な部分を持っていた。その純粋さが、あの男を人殺しへと向かわせたのかも知れない。
最初のうち、沖田は私に向かい憎まれ口を叩いていた。しかし、面会を重ねていくうちに態度が変わっていった。
最後に会った日、彼は私の前でひざまずき礼を言った。それもまた、未だに忘れられないものだった。
永井は、沖田とは真逆だ。ここで出会った者の中では、ある意味もっとも死刑囚に相応しい男である。
あの男には、純粋さなど欠片ほどもない。ずっと嘘をつき続けるのだろう。自分は悪くないのだと信じ、それを訴え続けるはずだ。
なぜ、あんな男がパイロットに選ばれたのだろうか。日本ダングルバトル連盟の上層部がどういう基準でパイロットを選んでいるのかは、私の預かり知らぬところである。
ただ個人的には、あの男の顔はもう見たくなかった。出来ることなら、さっさと決まって欲しかった。
次に永井と会ったのは、それから二週間後のことだった。
室内で待っていると、外から喚き散らす声が聞こえてきた。次いで、バタバタという足音。おそらく、職員が走っているのだろう。
ややあって、怒鳴り声と共に入ってきたのは永井だ。その姿は情けないものだった。両手と両足を拘束具で縛られ、四人の職員により引きずられるような格好で入ってくる。
そんな状態で、永井はなおも喚いていた。
「俺はやってないぞ! ふざけるな! 日本は、無実の人間を死刑にするのか! お前らみんな呪い殺してやる──」
「いい加減にしろ!」
たまりかねたのだろう。ひとりの職員が、彼の口にタオルのようなものを噛ませた。猿ぐつわをかけられた状態だ。
そこで、私は口を開く。
「あなたは、ダングルバトルへの出場が決まりました」
その瞬間、永井の表情は変わる。猿ぐつわのまま、何やら声を出した。
ひとりの職員が、口に巻かれたタオルを外した。と、永井は噛みつかんばかりの勢いで喋り出す。
「俺は死刑になるんじゃないのか!?」
「はい、あなたは死刑囚です。しかし、ダングルバトルのパイロットに選ばれたのです。ダングルバトルは、御存知ですよね?」
「あ、ああ……ロボットが戦うアレか?」
「そうです。あなたは、今からロボットに乗り戦いまず。勝てば、あなたはしばらく生き延びることが出来ます。また、十連勝すれば恩赦が与えられ自由の身になれます」
「本当か!?」
「本当ですよ。では、頑張ってください」