ダングルバトル・沖田和也(2)
その後の父は、さらにおかしくなっていった。
酒の量がさらに増え、休日などは朝から一日中飲み続けているようになってしまった。仕事も休みがちになる。このままだと、クビは時間の問題であった。
ある日、たまりかねた沖田が強い言葉で注意すると、父は激怒し殴りかかって来た。とはいえ、暴力慣れしておらず腕力も弱いため、大した脅威はない。
逆に、沖田にさんざん殴り返され、その場に倒れてしまった。沖田とて暴力慣れしているわけではないが、父より若く体力はある。酒浸りのなまった体でもない。
父を倒した沖田は、怒りのまま追い打ちをかけようとする。だが、妹が止めに入った。泣きながら背中にしがみついて来られては、さすがにこれ以上続けられない。
その時、倒れていた父が叫んだ。
「お前なんか、家族じゃねえ! さっさと出ていけ!」
沖田は無表情で頷くと、そそくさと荷物をまとめ始めた。
その日の夜、彼は家を出ていた。
沖田は、繁華街で見たもののことを誰にも話していなかった。話せば、自分が責められるのは確実である。当初の予定通り、何も見なかったことにしたのだ。
しかし、罪悪感は消えてくれない。それどころか、ますます強くなっていく。壊れていく父を見ていると、お前のせいだ……と責められているような気さえした。
だから、家を出ることにした。これ以上、実家に留まっていては、自分までおかしくなってしまう気がした。
沖田は大学を中退し、働き始める。
これまでは、どうにか普通に生きてこれた。しかし、突然の出来事により普通でなくなってしまった。とはいえ、今から頑張れば人生を建て直せる……はずだった。
しかし、一度転がり出したものは、底につくまで止まらない。
沖田が実家を出てしばらくすると、妹からたびたび連絡が来るようになった。
内容はというと、父が会社をクビになり、生活保護を申請していること。家には食費すらロクに残っていないこと。父は一日中家にいるようになり、さらにおかしくなっていること。要は、家にいたくないのであろう。
そうした事情を知ったところで、今の沖田には何も出来なかった。沖田が今住んでいるのは、風呂なしのアパートである。部屋も狭く、兄妹で生活は難しい。
仕方ないので「もう少し待つんだ。それまでは我慢してくれ。ヤバくなったら、友達の家に泊めてもらえ」と返した。また、密かに会って金を渡したりもしていた。
妹を助けてあげたい気持ちはあったが、今はまだ自分の生活だけで手一杯であった。
それから一月と経たぬうち、警察から連絡が入る。
父と妹が死んだ、と伝えてきた。
まず、父の死体が発見された。死因は、実家近くのマンションから飛び降りたことによるものだった。
警察が自宅を捜索したところ、妹の死体が見つかる。死因は、打撲による脳挫傷だった。
このふたつの状況から、警察は父と妹が口論になり、かっとなった父が妹を殴った。そのパンチで倒れた際に頭を打ち、脳挫傷を引き起こし、妹は死亡した。
自身のしでかしたことの重大さに気づいた父は、半ば反射的にマンションの屋上から飛び降り自殺をしたと思われる……と、沖田に説明した。
担当刑事は、ふたりの死を事務的に語っていく。
その話を、沖田は他人事のような表情で聞いていた。哀しみも怒りもない。絶望で押し潰されそうな気がしていた。
むしろ、他人事のような表情を作っていないと、おかしくなってしまいそうな気がしたのだ。
話を聞きながら、沖田はあることを考えていた。これでは、どう頑張っても普通の人生は歩めない。そもそも、生きる気力すらない。
なら、さっさと終わらせよう。
もう、全てがどうでもいい。
だからこそ、最後に残された時間を悪人を殺すために使いたかった。そう、母の浮気相手と同じような人種である。
あれがきっかけだった。あれさえなければ、自分の人生はここまでおかしくならなかった──
最初は、拘置所や刑務所に乗り込もうと思っていがた。しかし、そういった施設は警戒が厳重だ。忍び込むのは不可能である。正面から行くのは論外だ。
次に考えたのは、ヤクザの事務所への襲撃だった。しかし、ヤクザの事務所という場所は、実のところ人がいない。下手すると、事務所当番の下っ端がひとりいるだけ……というケースもある。
それでは面白くない。ヤクザをひとり殺しただけでは、有期刑で終わる可能性もある。
では、どうすればいいのだろうか。
それを知ったのは、とあるネット記事であった。
囚人たちは、いつか刑務所を出る。しかし、家族から縁を切られているような者は、刑務所を出ても行く場所がない。
そんな者たちのために、更生保護施設の寮があるのだという。刑務所を出た者たちは、そこで生活し更生のため努力していく……となっていた。
見た途端、沖田は怒りを覚えた。家族に見放されるような人間とは……家族を見捨てて若きチンピラとの暮らしを選らんだ母や、酒浸りになって仕事をクビになり家族を目茶苦茶にした父のような連中だろう。
そんな連中を収容している寮があるなら、乗り込んで行って皆殺しにしてやる。
更生保護施設について詳しく調べていくにつれ、刑務所に入る人間のことがより深くわかってきた。運が悪く、トラブルに巻き込まれ刑務所に入ってしまった……こういうケースは稀である。しかも、その場合は家族が身元引受人になる。
たいていは、小さな頃より小さな悪事を重ね、罪を犯すことに躊躇いがなくなっていく。挙げ句、刑務所に行くことになるのだ。
罪を犯すことに躊躇いがない……つまり、何かあった時に取る行動の中に「犯罪」という選択肢が常に入っている人間だ。普通の人間なら、入っていない。
家族からも見放されるほどの罪を重ねており、心に犯罪という選択肢を持つ者……殺してしまっても、何の問題もない。
沖田は慎重に計画を立て、標的となる施設を何度も下見した。
決行の日、沖田は計画通りに動き十人以上を拳銃で撃った。自分でも、よくやれたとは思っていた。
ところが、後で刑事から聞いた話によれば、五人しか死ななかったのだという。少し残念ではあった。
後は、死刑執行を待つだけだ──
そんな自分に、あの男は言ってくれた。
(それでも、私はここに通い続けます。それが、あなたのためになると信じているからです)
(私はあなたの暇潰しのために、何があろうと、何を言われようと、あなたに向き合い続けます。あなたの暇潰しになることが、私の使命だと信じているからです)
暇潰しが、使命だと──
なんとくだらない使命なのか。自分のような人間の暇潰しのために、何を言われようと面会してくれるらしい。
では、自分の使命は何だったのだろう。
ひょっとしたら、あの家族を崩壊から救えたのは自分だけだったのではないか……。
にもかかわらず、自分は家族から逃げてしまった。酒浸りになってしまった父と殴り合い、妹に止められた。その時父から放たれた言葉──
(お前なんか家族じゃねえ!)
あの時、父と暮らしていくのが嫌になった。家族じゃねえと言われ、だったら家族なんかやめてやると思った。
父が言った通りにしただけだ──
違う。
俺は逃げたんだ。
自分が家にいれば、妹が殺されることもなかったかも知れない。アルコール依存症となってしまった父を、自殺する前に然るべき施設に収容することも出来た。
なのに、自分は逃げてしまった。結果、父と妹が死んだ。
父はともかく、妹には何の罪もなかった。守ってやれなかったことが、今も悔やまれる。
(何があろうと、何を言われようと、あなたに向き合い続けます)
あの男のような強さがあれば、ふたりともまだ生きていたのかも知れない。
そういえば、あの男の名前は何というのだろうか。聞いておけばよかった。
・・・
勝てば、生き残れる。
だが、沖田は最初から戦わないと決めていた。
アラームが響き渡る。同時に、声が聞こえてきた。
「今、五分が経過しました。本戦終了です。これより、延長戦へと突入します。もし、延長戦の五分で決着がつかない場合、双方のマシンを破壊します。一刻も早く、決着をつけてください」
「そんなの知るか。勝手にやれ」
沖田は、モニターに向かい毒づく。
そう、戦う気などない。最初から、ここで死ぬつもりだった。
かといって、相手を勝たせるのも胸糞悪い。聞けば、向こうのパイロットは三人を刺殺し終身刑を受けているという。
しかも、被害者は当時つきあっていた彼女と、その両親だという──
ならば、お前も道連れだ。
突然、機体の動きが停止した。続いて、AIにより作られた音声が、コックピット内に響き渡る。
「ただいま、延長戦が終了しました。これより、処刑人を投入します」
直後、障害壁が次々に降りていく。床の中に収納され、リング上は再び更地となった。
同時に、設置されている扉が開いた。現れたのは、ひときわ大きなロボットである。全身を真っ赤に塗装された人型の機体で、ガトリングガンを構えている。
処刑人の登場だ──
処刑人は、両者めがけ発砲した。巨大な弾丸が、双方のマシンを貫いていく。どちらも、瞬時にスクラップと化した。
当然ながら、中のパイロットは両方とも死んだ。人の形は留めておらず、肉片しか残っていない。もっとも、柳田のケースよりはマシだった。
ガトリングガンの弾丸が機体に炸裂した瞬間、沖田はニヤリと笑った。
ざまぁみろ、と思っていた。最後まで、権力に屈しなかった。生き延びるために戦わず、最高につまらないゲームを見せてやった。これが、世の中を呪い生きてきた沖田の最後の意地だった。
弾丸が当たる零コンマ何秒かの間に、沖田の口が開く。最期の言葉は、呪いでも恨み言でもなかった。
「先生、ありがとう」