ダンクルバトル・沖田和也(1)
「レディース、アーンド、ジェントルメン! 今回の組み合わせは、ネオスペインVSネオジャパンだぜ!」
リンケアナは、今日も元気に吠えた。直後に、沖田のマシンを指さす。
「まずは、ネオジャパンのファイターだ! パイロットは、カズヤ・オキタだ! 前科者を五人撃ち殺したファンキー野郎だぜ! そんなオガタが操るのは、イッキ・ダングルだ!」
その機体は人型のミドルタイプであり、右手には槍のような形の杭打ち機、左手には鎌のような武器を持つている。頭ほ丸く、頬かむりをしているようなデザインた。
おそらく、江戸時代の農民一揆をイメージしているのだろう。ウケを狙っているようにしか見えないが、こういう機体でも運に恵まれ、国内の予選トーナメントで優勝し本戦に出てしまうことがある。
「対するネオスペインのファイターは、アントニオ・フェルナンドだ! 付き合っていた彼女とその両親の三人をナイフで刺し殺し、家に火をつけ終身刑になった極悪人だ! 終身刑をくらったが、わざわざ志願してくれて感謝感謝! そんなフェルナンドが乗っているのは、マタドール・ダングルだ!」
続いてリングアナは、相手方のマシンを指さした。
こちらは、おかしなデザインの機体だ。沖田の機体と同じくミドルタイプではおるが、向こうの方がやや大きい。マタドール(闘牛士)というだけあって、サーベルとケープ(牛よけの布)のようなものを持っている。
どんな攻撃をしてくるのか、見ただけでは想像しづらいタイプである。もっとも向こうから見れば、こちらの機体も想像しづらいだろう。
「それでは、ダングルバトル! レディ、ゴー!」
声の直後、地面から壁がせり上がってくる。同時に、ゴングが鳴らされた。
と同時に、沖田の機体は凄まじいスピードで動き出す。あっという間に、その場から離れていった。
スピードは、あちらさんよりは少しばかり速いようだ。
これなら、当初通りの作戦が出来るかも知れない。
・・・
心は、既に死んでいたはずだった。
ごく普通の家庭に生まれた沖田。小学校、中学校、高校、大学……全ては順調であった。平凡ではあったが、特に問題もない。実家には父と母と妹がおり、特に仲が良かったわけではないが、大きな喧嘩もせず生活していた。
時おり、面白くない生き方してんな……などと思うこともある。だからといって、羽目を外すことはなかった。
真面目にコツコツ目の前の課題に取り組み、少しずつ成果をあげていく。かといって、真面目すぎるわけでもない。友人たちとの付き合いも忘れず、適度に遊び適度に楽しむ。
この頃の沖田は、どこにでもいる平凡な大学生だったのである。本人も、それを自覚していた。将来は平凡なサラリーマンだな、そんなことも思っていた。
しかし、彼の人生を一転させる出来事が起きる──
ある日、沖田は繁華街で意外なものを見てしまった。
平日の午後二時だが、人通りは多い。学校をサボった高校生や営業中のビジネスマン、さらには職業不詳の者たちが行き交っている。
そんな中、沖田は見覚えのある人を発見した。化粧し着飾った中年女が歩いているのだ。
どこかで見たことがある、そんな気がした。誰だろうと思った次の瞬間、その女が母であることに気づく。家庭では、見せたことのない格好である。楽しそうな表情で隣にいる者と言葉を交わしつつ、人混みの中を進んでいく。
母の隣にいるのは、若い男性であった。その風貌や服装は、繁華街をうろついているバカな若者、といえば説明がつくだろう。気の荒い喧嘩好きなチンピラではないが、軽薄で口の上手そうなタイプだ。年齢は沖田より少し上だろうか。母より、二回りほど下であるのは間違いない。
沖田は、思わず顔をしかめた。母は真面目な専業主婦である。バカの見本のごとき若者と、何の用事があるというのか。
考えられる可能性は幾つかあるが、沖田はあれしかないだろうと思っていた。
だが、そうであって欲しくなかった。沖田は、おぼつかない足取りで両者の後をついていった。
ふたりは、沖田に気づくことなく歩いていく。やがて、ラブホテルへと入って行った。
沖田の予想通りの、そして最悪の結果であった。
普通の大学生なら、こんな時どうしていたのだろう。
怒りに任せ責め立てる。父に言う。母を説得し別れさせる。誰かに相談する。様々な選択肢があるだろう。
だが沖田は、何もしなかった。見なかったことにしたのである。
沖田がこれまで生きてきて、座右の銘としていること……それは「波風を立てない」だ。
無能な働き者、という言葉がある。自分が有能でないことは、小学生の時点でわかっていた。成績はクラスでも中くらい、スポーツも中くらいのレベルだ。
そんな「中くらい人間」の自分が出しゃばった挙げ句に余計なことをすれば、ろくなことにならない……それを、小学生の時点で既に悟っていたのである。
中学そして高校と進むにつれ、その信念は確固たるものになっていった。無能な奴が無関係のトラブルに首を突っ込み、さらに余計なトラブルを増やしてしまう……沖田は、そうしたことをたくさん見てきた。
波風を立てず、ひっそりと生きる。そのセオリーを守ってきたおかげで、沖田は大きな挫折を経験せずにやってこれた。
そんな自分に、母の浮気という問題に何が出来るのか。下手に首を突っ込めば、波風が立ちまくった挙げ句にとんでもないことになるのではないだろうか。
最悪の場合、離婚の上に一家離散だ。今、それだけは避けなくてはならない。何せ、沖田にはまだ高校生の妹がいるのだ。
何より、浮気はバレなければ問題はない。母もあの男も、お互いを単なる遊び相手という認識でいるのだろう。遊びの時間は、いずれ終わりが来る。
それまでは、自分が知らぬふりをしていればいいだけ……複雑な思いを噛み殺し、沖田は何事もなかったように生活していた。
だが、事態は予想外の方向へと進んでいく。
ある日のことだった。沖田が家に帰ると、母の姿がなかった。妹に聞いてみると、高校から帰ってきた時には既にいなかったと答えた。
やがて七時に父が帰宅した。さらに九時を過ぎたが、それでも母は帰って来ない。
沖田は、微かな不安を覚えた。母は、この時間帯には確実に家にいるのだ。何をしているのだろう。スマホで連絡してみたが、応答はない。
結局、夜の一時になっても帰って来なかった。父は念のため捜索願を出し、沖田は不安を覚えながらも眠るしかなかった。
翌日も、翌々日になっても母は帰らなかった。スマホにほ何度もメッセージを送ったが、応答ほない。
母からの連絡が来たのは、それから三ヶ月後である。ある日、封書が一通ポストに入っていた。差出人の住所も名前も書かれていない。
中を開けてみると、母からの離婚届が入っていたのだ。必要事項は記入されており、後は父が名前を書き判子を押し役所に提出するだけ、という状態である。他には、何も入っていなかった。
見た瞬間、沖田は殴られたようなショックを受けた。母は今の家庭を捨てて、あの若者と新しい生活を始める気なのか。
しかも、離婚届を送れば父が判を押して出してくれると思っている……母が、そこまでバカなことをやるとは想像もしていなかった。
だが、沖田よりも父の方がショックが大きかっただろう。呆然となり、目の前の離婚届を見つめたまま何も言えずにいた。
当然、父は離婚届を出さなかった。精神的にもおかしくなり、これまでは飲まなかったはずの酒をグビグビ飲む姿を見かけるようになっていた。
もともと真面目で面白みのない男ではあった父。派手な遊びもせず、会社が終われば真っ直ぐ帰る。休日は、家でゴロゴロしている。男性的魅力など、欠片ほどもない。
それでも、母を裏切るような真似だけはしていなかったはずだった。それが、どうしてこんなことになってしまったのか。
父にはわかっていないようだったし、心当たりもなさそうだった。ひょっとしたら、父にも何か落ち度はあったのかも知れない。しかし、母のこのやり方は、あまりにもひどかった。
それから半年後、警察から連絡が来る。母の死を伝えるものだった。
同居していたチンピラと言い合いになり、殴られた弾みに頭を打って死亡したのだという。
容疑者のチンピラの顔写真を見た沖田ほ、膝から崩れ落ちていた。そこに写っていたのは、彼が繁華街で目撃した若者の顔であった。予想通りだったとはいえ、そうであって欲しくはなかった。
容疑者の名前は間中彩文、過去に窃盗や恐喝などの罪を犯し前科三犯だという。既に両親からも縁を切られており、当時は母のヒモとして生活していた。
その話を聞き、沖田はさらに切なくなった。こんなどうしようもない男に、母は狂わされてしまったのか……。