沖田和也のこと)(2)
それから三週間後、私は再び沖田と対面した。彼は、相変わらず鼻で笑うかのような態度で座っている。
「結局、あなたは何者なんです? 教誨師なのですか?」
いきなり尋ねてきた沖田に、私はかぶりを振った。
「違いますよ。ただ、似たような者であることは間違いありません」
「死刑囚には、僧侶や牧師が教誨師として付くという話を聞いたことがあります。となると、あなたも宗教家ということですか?」
「いいえ、特定の宗教や宗派には属していません。そもそも、私は初詣にすら行かない男です。特定の信仰があるわけでもありません」
「じゃあ、何なんですか? 何のために、こんなことをしているのですか?」
「強いて言うなら、あなたのためです。あなたに会うために、ここに来ています」
「はあ?」
沖田の表情が変わった。何を言っているのだ、という表情である。
一瞬の間を置き、彼はクスクス笑い出した。
「これはおかしい。やっぱり、あなたと話すのは面白い。いい暇潰しになる。何を言い出すのかと思えば、僕に会うため!? いやあ、これは笑える!」
言いながら、彼はなおも笑い続けていた。そんな彼に、私はそっと語りかける。
「あなたがどう思おうが、それはあなたの自由です。笑いたければ笑いなさい。それでも、私はここに通い続けます。それが、あなたのためになると信じているからです。さらに言うなら、これこそが私の仕事……いや、使命でもあるからです」
私がそう言った途端、沖田の笑いは止まった。ジロリと私を睨みつける。何を言っている、とでも言わんばかりの表情だ。
それに構わず、私は語っていく。自分でも、何を言っているのかよくわからなかった。だが、言わずにはいられなかったのだ。
「あなたは言いましたね。ここに来たのは、単なる暇潰しだと。ならば、私はあなたの暇潰しのために、またここに来ます。何があろうと、何を言われようと、あなたと向き合い続けます。あなたの暇潰しになることが、私の使命だと信じているからです。笑いものになるのも、それもまた私の使命です。これで、どうですか? あなたは納得しますか?」
「使命、ねえ……だとしたら、あなたは大馬鹿者だ」
吐き捨てるような口調であった。
私は思わず苦笑していた。確かに、今の私は大馬鹿者だ。
「そうかも知れません」
次に沖田と会ったのは、二週間後である。
会った瞬間、軽い違和感を覚えた。今までとは、どこか雰囲気が違う。少しソフトな印象になった気もする。
と思ったが、続けて放たれたのは今までと同じく嫌味のような言葉だった。
「また来たのですか。あなた、実は暇なんじゃないですか?」
相変わらずだった。会うのは、これで四回目だ。しかし、この嫌味な挨拶は変わっていない。
もっとも、同じ死刑囚と四回会うのは初めてだ。たいていの場合、二回か三回で試合出場となる。沖田の場合、何らかの事情があって試合出場が延びているのかも知れない。
そんなことを思いつつ、私は言葉を返す。
「たぶん、今のあなたよりは忙しいと思います」
「まあ、そうでしょうね」
そう言って笑った。
私も笑ったが、続いて彼の口から出たのは、こちらの意表を突くものだった。
「パラレルワールドって言葉をご存知ですか?」
なぜ、今パラレルワールド? などと思いつつも、私は相槌を打つ。
「ええ。平行世界のことですよね」
「仮に、この世には幾つもの平行世界があるのだとしましょう。で、その平行世界のどこかでは、僕が前科者をひとりも殺さなかった世界線があるのかも知れない。その殺されなかった前科者たちは、後にとんでもない罪を犯しているのかもしれません。無差別殺人のような、ね。ああいう連中は、人生に行き詰まり無敵の人になりやすいですから」
「あなたは、何を言っているのですか?」
語気を強め尋ねた。この男、パラレルワールド理論で自分を正当化しようというのか。だとしたら、ついに心の病にかかったのかも知れない。
「だから、ああいう奴らはまた罪を犯しやすいということです」
「前にも言いましたが、それを決めるのはあなたではない。罪を犯していない者を裁く権利は、あなたにはない」
「確かに、その通りですね。ところで、あなたが仮に過去にタイムスリップしたとしましょう。そこで、ナチスを興す前のヒトラーと出会ったとします。あなたは、どうしますか?」
あっさりと認めた……かと思いきや、またしても話が飛んだ。しかも、今度はヒトラーである。私は困惑しつつも、正直な気持ちを答える。
「わかりません」
「わからない、ですか。つまり、何もしないということですか?」
「その場になってみないと、自分が何をするかはわかりません。ただ、私のような人間が何をしようと、歴史の大きな流れは止められません。ですから、何もせず様子を見るという選択肢を選ぶ気がします」
「その結果、大勢の人間が不幸になるとしても、あなたは何もしないのですか?」
「どうでしょうね。ただ、私はちっぽけな人間です。世界を救おう、なんてだいそれた考えは持っていません。ただ、自分の周りにいる愛すべき人たちを守りたい……」
そこで、私は言葉に詰まった。様々な感情が押し寄せてきて、言うべきことが出てこない。
代わりに、目から一筋の涙が流れた──
「どうしたのです?」
沖田の声には、こちらを案ずる気持ちが感じられた。やはり、この男は変わった……そんなことを思いつつ、私は会釈する。
「すみません。いろいろ思い出してしまったことがありましてね」
そう言って涙を拭った私を、沖田は何とも言えない表情で見つめてきた。
少しの間を置き、その口から言葉が出る。
「何もしない、という選択肢を選ぶのは楽です。ただね、そのため取り返しのつかないことが起こった……この場合、何もしなかった人間にも責任はあると思うんですよ。その人間は、何らかの罰を受けるべきです」
沖田と再び会ったのは、それから一月後であった。
彼は変わっていた。唇はわなわな震えており、表情にも今までのような傲慢さがない。顔色はさらに悪くなり、足取りは重い。
それも仕方ないだろう。これから、刑が執行される……と、彼は思っているのだ。
そんな沖田に、私は告げた。
「あなたは、ダングルバトルへの出場が決まりました」
「ダングルバトル?」
「御存知ないのですか? 死刑囚がマシンに乗り、リングの上で闘うというゲームです」
「ああ、そんなのありましたね」
答えた沖田の顔に、笑みが浮かんだ。だが、嬉しそうには見えなかった。
「あなたは、これからマシンに乗ります。そして、相手のマシンと闘うのです。勝てば、次の試合まで生き延びることが出来ます」
「そうですか。なんと皮肉な話なのでしょうね。僕は、ここで死ぬ予定だったのに」
そう言って、沖田はまたしても笑った。だが、その笑みはすぐに消える。
「最後に、ひとつだけお願いがあります。聞いてくれますか?」
尋ねると、彼は両脇にいる職員の方を向いた。
「すみません、手錠を外してください」
「それは出来ない。今回は、手錠をつけたままだ」
職員たちは、冷たく告げた。
「だったら、せめて少しの間だけでいいので、離してくれませんか?」
沖田の言葉に、職員たちは私の方を向く。その目は、いいのか? と聞いていた。
私が頷くと、刑務官は離れる。と、彼は私に近づいて来た。若干、足が震えてはいるが、歩くのに問題はなさそうだ。
いったい何をするつもりだろう……と思った時だった。沖田は、その場に両膝をついたのだ──
沖田は廊下でひざまずき、頭を垂れていた。その目からは、涙が溢れている。まるで、神に許しを乞うているかのような格好であった。私は何も出来ず、ただ彼の行動を見ていることしか出来なかった。
直後、沖田の口から言葉が漏れる──
「今まで、ありがとうございました。最期にあなたと話せて、本当に良かった」
はっきりとした声で言ったのだ。やがて、彼は連れて行かれた。
沖田が、最後にあんなことをした理由は何なのだろうか。
本音を言うなら、私は今も沖田が好きにはなれない。しかし、彼には勝って欲しかった。そうすれば、もう一度会うことが出来る。
その時、沖田がどんな顔で私を迎えるのか……それが知りたかった。