沖田和也のこと(1)
「こんにちは」
挨拶をした私の前には、若い男性が座っている。軽く会釈をしただけで、挨拶の言葉を返そうとはしない。
身長は、私と同じくらいだろうか。痩せていて、髪は肩まで伸びていた。肌は青白く、傲慢な態度で椅子に腰掛けている。
「気分はどうですか?」
尋ねると、彼はニヤリと笑った。
「いいわけないでしょう。クソ狭い独房に、ずーっと押し込められているんですからね。考えればわかることでしょう」
「そうでしたね。失礼しました」
相手の口調ほ失礼なものだが、当然の話でもあった。ここに来る者は、誰もが独房に閉じ込められているのだ。
一年前、彼・沖田和也は、深夜とある施設に侵入した。そこで五人を殺害し、八人に重軽傷を負わせた。裁判では死刑を宣告され、現在は刑の執行を待つ身である。
両親とは死別しており、兄弟も亡くなっていた。親戚筋とは、早くから縁を切っている。天涯孤独、と言っても間違いではないだろう。
「では、話を変えましょう。いつも、どんなことをしていますか?」
「なんにもしてません。のんべんだらりと過ごしていますよ。ありがたい話ですね。僕みたいな人殺しを、税金で食わしてくれるんですから。タダ飯に昼寝つきではありますが、暇で暇で仕方ありませんよ。あなたの面会をOKしたのも、暇潰しのためですから」
言いながら、沖田は笑った。こちらをバカにしているとしか思えない笑顔だ。
私は、彼から目を逸らした。この男、私を怒らせようとしているのかもしれない。
「本を読んだり、雑誌を見たりはしていないのですか?」
「本? 何を言っているんですか。啓発本でも読めというんですか? 読んだところで、今さらどうなると言うんです? スピリチュアルな世界に行けと言うんですか?」
聞いてきた彼の声音は、ふざけたものだった。やはり、私を挑発している。
私は、話題を変えることにした。
「あなたは、自身の犯した罪についてどう思われていますか?」
「罪? なんで罪になるんですか? あんな連中、生きていても仕方ないでしょう。さんざん悪いことをして刑務所に入っていたような奴らですよ。どうせ、ほっといたらまた悪いことしてたでしょう」
そう、この男が殺したのは全て前科者だ。
更生保護施設の寮には、刑務所を出ても行き場のない者たちが住んでいる。彼らは寮で生活しながら、就職先を探すのだ。さらに、健全な社会生活を営むよう努めていくのである。
この男は、そんな更生保護施設の寮に侵入した。非合法な手段で手に入れた銃を用いて、五人を射殺したのである。
裁判でも、ふてぶてしい態度で「僕は、自分が悪いことをしたとは思っていません。むしろ、全員殺せなかったのが悔やまれてなりません」と言い放ち、裁判所を騒然とさせた。
ネットでは、彼を支持する者も少なくない。さらには、神格化している者すらいる始末だ。「社会のゴミである犯罪者を殺してくれた」「一般市民の脅威を取り除いてくれた英雄だ」などと主張している者もいる。
「確かに、彼らは過去に過ちを犯しました。しかし、刑務所で罪を償い社会で更生しようとしていたのですよ。その更生のチャンスを、あなたは奪ったのです」
私はそう言ったが、沖田はせせら笑うだけだった。
「更生? 笑わせないでくださいよ。あいつらは犯罪者です。罪を犯して親兄弟からも見放され、保護施設に入ったんですよ。つまりは、これまでの人生で家族にもさんざん迷惑をかけていた連中なんです。そんな人間が、更生なんかするはずないでしょう。必ず、また罪を犯しますよ。これは断言できますね。つまり、僕は犯罪を未然に防いだわけです」
そう、更生保護施設の寮に入る者たちのほとんどが、家族からも絶縁されている。
本来、受刑者が刑務所を出た後の身元引受人になるのは家族だ。両親、兄弟、もしくは妻か子供。あるいは親戚筋……しかし、家族や親戚が受刑者を拒絶することもある。
ちょっと魔が差して、罪を犯してしまった……そんな人間が、いきなり刑務所に入るというケースは稀である。大抵の場合、小さな頃から万引きやカツアゲのような悪事を積み重ねていた。そして成人し、刑務所に入るような罪を犯す。
幼い頃の小さな罪なら、許すことも出来た。しかし、成人になってまで罪を繰り返すとなると、さすがに見過ごせなくなる。
最終的には、親兄弟からも愛想を尽かされ、縁を切られてしまうのだ。戸籍を外されてしまうことも珍しくない。
その場合、受刑者は更生保護施設の寮に入ることとなる。もちろん審査はあるが、審査を通れば更生保護施設が身元引受人をも兼ねるわけだ。
仮釈放により早く出所できた者も、この寮で生活することとなる。
沖田の言うことも、全くの間違いというわけではない。一面の真理はある。事実、寮を逃げ出し罪を犯す者も少なくないという。
だからといって、沖田の意見に、はいそうですねと両手をあげて賛成することも出来ない。
「それを決めるのは、あなたではありません」
私は感情的になっていた。反論しないつもりだったが、我慢できなかった。
すると、沖田は笑みを浮かべて聞き返す。
「じゃあ、誰が決めるんですか?」
「強いて言うなら、神です。神が決めるのです」
どうにか冷静な口調で答えた。
途端に、彼は笑いだした。さらに、手をパチパチ叩く。
「なんですって!? 神!? いやあ、実に愉快な人だなあ! あなたと話すのは面白いな!」
「そうです。神が決めるのです。人が決めるのではありません。ましてや、人の死を人が決めていいはずがありません」
私が言った時、彼の笑いは止まった。
「ほう。ところで、僕の死刑を決めたのは誰でしたかね?」
「それは、司法から権限を与えられた人間です」
「つまりは、人ですよね? 人が、僕の死を決めたのですよ。だったら、あなたの信条とは反していませんかね?」
「それは、問題のすり替えです。少なくとも、あなたに被害者たちを罰する権利はありません」
「あなたこそ、話題を変えないでくださいよ。僕の質問に答えてください」
「あなたの死刑を決めたのは司法です。個人ではありません。あなたが、そうやって自分を正当化したところで、死刑からは逃れられません」
その時、沖田の表情に変化が生じた。
「はい? 何を言ってるんですか?」
「あなたは、死刑からは逃れられないのですよ」
「申し訳ないですが、僕は最初から死刑になるつもりでした。ですから、死刑など怖くありませんよ」
不敵な表情で、沖田は言い放つ。もっとも、そこには微かな怯えが感じられた。
私は、そこを指摘しようかと思った……が、気がつくと違う言葉が出ていた。
「本音を言うなら、あなたには生きて欲しいです」
「はい? 正気ですか?」
「正気です。私は、あなたに生きて欲しいのです。自分の犯した罪の重さに苦しみ続けながら生きて欲しい、そう思っています」
その時、沖田はニヤリと笑った。
「やっと本音が出ましたね。つまり、あなたは僕が嫌いなんだ」
「好きか嫌いかで言うなら、嫌いです。しかし、あなたに生きて欲しいとも思っています。あなたが死んでも、私には何の得にもなりません」
「得?」
「はい。あなたが死んだところで、私の懐に金が入ってくるわけではありません。あなたが死んでも、被害者ほ生き返りません。ならば、生き続けてもらいたいですね』
「となると、あなたは死刑に反対なのですか?」
その問いに私がが答えようとした時、ブザーが鳴った。同時に、後ろに控えていた職員が立ち上がる。
「先生、時間です」