柳田彰のこと(2)
絶望のどん底に突き落とされた柳田に追い打ちをかけたのが、妻の自殺である。
娘の事件以来、妻の様子がおかしくなっていたことには気づいていた。だが、娘の事件の調査のため、そちらにまでは目が届かなかった。
ある日、弁護士との話し合いを終え家に帰ると、妻がいなかった。もっとも、どこかに買い物に行ったのだろうくらいに考え、特に気にも留めなかった。というより、留める余裕がなかった。彼の頭は、事件のことに占められていたのだ。
その翌日、近くの川で水死体が発見された。
死体の身元は、すぐに判明する。柳田の妻・明美であった。彼女の精神もまた、限界に達していたのである。だが、柳田は妻の変化に気づいてやれなかった。
妻の死体と対面した時、柳田は涙ひとつ流すことはなかった。当時の彼は、既に一生分の涙を流し尽くしていたのである。
柳田は、心を決めた。
もう、自分には何もない。今さら、普通の社会人として生きることに、何の意味があるというのだ。既に、普通の人生ではなくなってしまった。守るべき者もいない。
法律など、もう信じない。法は、奴らに納得のいく罰を与えてくれないのだ。ならば、自分の手で罰を与えるまでである。
その後、彼は待った。彼ら三人に、家族が出来る日日を──
柳田雅美が亡くなってから、十二年が経った。
犯人である三人のうち、西山と上田は結婚しており子供が生まれていた。
錦野は子供こそいなかったものの、結婚し妻がいた。新婚生活の只中で、幸せそうに見えた。
そこで、柳田は行動を開始する。まず、西山と上田の子供を誘拐し、犯して殺した。
次に錦野の妻を誘拐し、犯した後に嬲り殺しにした。それらの一部始終をきっちり撮影し、録画したスマホを手に自首する。
そして死刑が宣告され、世間の注目を集めた時点で動画にて全てを告白したのだ。彼は、動画の最後をこの言葉で締めている。
「私は、自分と同じ苦しみを奴らに与えたかったのです。そのため、あんなことをしました。自分を正当化するつもりはありません。自分の犯した罪から逃れたいとも思いません。さっさと死刑にしてください」
最初のうち、三人は己の罪を否定する。記者会見を開き、そんなことはしていないと訴えた。実際、物的証拠は何もない。
だが、マスコミは彼らの態度に疑念を抱いた。当時の関係者たちへ、取材を開始する。
結果は、すぐに現れた。まずは、三人が柳田雅美を車に連れ込むのを見た……という者の証言が取れ、記事として載せる。また、当時の三人が自らの悪事を自慢げに吹聴していたことなども報道された。
さらに、想定外の追い風が吹く。「私も昔、彼ら三人に乱暴されました」とマスコミに訴える女性が出てきたのだ。
女性はテレビカメラの前で素顔を晒し、涙ながらに語った。
「当時、あの三人が怖くて抵抗すら出来なかった。さんざん暴力を振るわれ、今もPTSDに悩まされている。警察に訴えることも出来なかった。だが柳田さんの動画を観て、泣き寝入りしてはいけないと思った」
これまでは、哀れな被害者遺族だった三人。しかし、今となっては真逆である。ネットでは「あいつらも人殺しだ」「死刑にしろ」などと、物騒な意見が飛び交っている。
・・・・
私は、柳田の気持ちを痛いほど理解できる。
柳田が自首した直後、ネットに「柳田は人間じゃない。鬼畜だ」というコメントが載っていた。
確かに、柳田は人間をやめていたのだろう。鬼と化し、十二年という年月の間、ひたすら復讐の刃を研ぎ続けていた。
彼の異様な風貌は、そのせいではないのか。
私が柳田と会ったのは、それから二週間後だった。
柳田は両脇を屈強な職員に支えられ、部屋に入ってきた。両手首には、手錠がかけられている。先ほど「刑の言い渡し」を受けたのだ。
その足取りはしっかりしており、職員の手を借りる必要などなさそうに見えた。死刑囚としては、非常に珍しいパターンである。
私の顔を見ると、柳田はそっと頭を下げる。
「先生、お世話になりました」
そう言った柳田の表情は、晴れ晴れとしていた。最初に会った頃とは、受ける印象がまるで違う。怪物じみた雰囲気が、綺麗さっぱり消えていた。両脇にいる職員も、この変化に少し戸惑っているように見えた。
柳田は今、ようやく人間に戻ったのかも知れない。
そんな柳田に、私はいつものセリフを吐いた。
「あなたは、ダングルバトルへの出場が決まりました」
「はい? ダングルバトル?」
何を言っているのだ、という表情だ。もしかしたら、本当に知らないのかも知れない。
「御存知ありませんか? 死刑囚が、ロボットに乗り闘うバトルゲームです」
「ああ、そんなのがありましたね。ずいぶんと悪趣味なものがあるのだなあ、と思っていましたよ」
言いながら、顔をしかめる柳田。私は苦笑しつつ、お馴染みのセリフをアレンジし繰り返した。
「あなたは今から、その悪趣味なゲームに参加しまます。勝ち残れば、生き延びることが──」
「嫌ですね」
「はい?」
今度は、私が聞き返す番だった。これまで、タングルバトルを断った死刑囚はいないはずだ。両脇にいる職員も、表情が変わっている。
柳田はというと、落ち着いた表情で語り出す。
「聞こえませんでしたか? では、もう一度言います。嫌だと言ったのてす。私は、そんなゲームに参加したくありません。他の人を出場させてあげてください。私は、さっさと死刑になりたいのです」
真顔である。彼は、あんなものに参加するくらいなら死んだ方がマシだ……と思っているのだ。
しかし、それは無理な話だった。
「申し訳ないですが、拒否権はありません。これもまた、刑罰なのです。あなたは、三人の人間を殺しました。その罪に対する罰を受けなくてはなりません。嫌だと言うのなら、力ずくでマシンに乗せます」
正直、こんなことは言いたくなかった。私個人としては、彼の願いを叶えてあげたかった。だが、私が言わねばならぬことであった。
ここは法治国家である。罪を犯した以上、罰がある。ダングルバトルへの出場もまた、罰のひとつなのだ。
途端に、柳田は大きな溜息を吐いた。直後、くすりと笑う。楽しくて笑ったわけではないことは明白であった。
「神は、本当に残酷なのですね。どこまで私を苦しめれば気が済むのか……娘と妻を失い、挙げ句に見世物にされるのですか。なんと素晴らしい人生なのでしょうねえ。素晴らしすぎて、笑うことしか出来ませんよ」
その乾いた言葉を聞いた瞬間、私は堪えきれなくなった。直後、目から涙がこぼれる。
柳田の言う通りなのだ。この世の中は本当に残酷である。私もまた、その事実を骨身に染みて知っている。
死刑囚と接する時は、感情の変化を悟られてはならない……と言われていた。甘く見られるような要素はなくせ、ということなのだろう。
だが、今回ばかりは止められなかった。溢れる涙を手で拭ったが、それでも溢れてくる。死刑囚の前で泣いたのは始めてだった。だが、泣かずにはいられなかった。
その時、柳田が口を開く。
「私のために、泣いてくれているのですか?」
優しい声だった。私は、どうにか笑顔を作り答える。
「お見苦しいところを見せました。すみません。私は、この世界に神などいないと思っています。いたとしても、我々のことなど気にも留めていないでしょう」
「そうでしょうね。この世の中は、どこまでも汚くて残酷だ……」
虚ろな表情で呟いた柳田を、ふたりの職員が無言で連れて行った。普段、どんな人間であろうが問答無用で引っ立てていく職員たち。だが、今日の彼らは違っていた。どこか、やりきれない雰囲気を漂わせていた。
柳田は、おそらく死ぬだろう。あの男は、今さら生に対する執着などない。
それでも、私は彼に勝ち残って欲しかった。私と柳田は、ある意味では同類なのだから──