柳田彰のこと(1)
「体調はどうですか?」
「医師の先生からは、血圧が高めなこと以外は特に問題ないと言われました」
柳田彰は、平静な表情で答える。
目つきは鋭く、表情は険しい。真っ白に染まった髪は短めに切られている。
ちなみに、拘置所には理髪係の受刑者がいて、二週間に一度の散髪をすることになっていた。死刑囚の中には、散髪を拒否し髪を伸ばし放題にする者も少なからずいる。他人の目など、気にする必要がないからだ。しかし、柳田はきちんと散髪している。
背はさほど高くなく、細身の体格である。頬はこけており、彫りの深い顔立ちをさらに際立たせている。痩せた体ではあるが、そこらのヤクザやチンピラなど比較にならないほどの凄みを持った人物だ。
「血圧が高いのですか」
「はい、少し数値が高いそうです。不思議なものですよね。ここではタバコも吸えないし、酒も飲めない。食事も、健康的なものばかりです。毎日、規則正しい生活をしてもいます。にもかかわらず、血圧が高めだと言われました。これもまた、生まれついての体質なのでしょうか」
そう言って、柳田は笑った。
口調は温厚である。私のような明らかに年下の人間に対しても、敬語を使い接している。物腰も落ち着いたものだ。
見た目は恐ろしいが、喋ってみれば印象は百八十度変わるだろう。ましてや、こんな男が罪を犯すとは誰も思わないのではないか。
だが、柳田彰のやったことは常軌を逸していた。いや、そんなありふれた言葉で語れるものではないだろう。
彼のしたことは、まさに鬼畜の所業であった。
・・・
今から五年前、柳田はふたりの幼い子供と、ひとりの成人女性を殺害した。しかも、全員と無理やり性交した痕跡があったのだ。
殺害された子供のうち、ひとりは男の子である。にもかかわらず、柳田は無理やり犯したのだ。
その後で、容赦なく殺している。それも、首を切り落とすという残虐な殺害方法である。
さらに、裁判では己のやったことを悪びれもせずに全て語ってのけたのだ。もはや、まともな人間とは思えぬ行動である。
柳田が逮捕された当時、メディアはこの男の話題で持ち切りになった。被害者の遺族たちが、亡くなった子供や妻への思いを語る場面や、犯人への怒りを語る姿は多くの視聴者の涙を誘った。
ネットでは「死刑でも生ぬるい」「一族郎党を皆殺しにしろ」という物騒な意見が飛び交った。どうやって調べたのか、柳田の自宅の塀は落書きだらけになり、窓ガラスは全て割られてしまった。
一部のマニアの間では、彼の自宅は柳田ハウスと呼ばれており、聖地のような扱いすら受けていた始末だ。
もっとも今、彼の自宅には誰も住んでいない。以前には妻と娘が住んでいたが、ふたりとも既に他界している。しかも、柳田の自宅は田舎の一軒家である。近所には誰も住んでいないような所だ。
そのため何をしようが、さしたる意味も効果もなかった。
・・・
「そうですか。私もそろそろ、血圧などの数値には気を付けなくてはなりませんね。もう、若くはありませんから」
そう言って笑った私に、柳田は神妙な顔つきで聞いてきた。
「すみません。先生は今、おいくつなのですか?」
「僕ですか? 今年、三十一歳になりました」
答えた途端、柳田はクスリと笑った。
「三十一歳ですか。若いですね」
「はい? 若い、のですか?」
思わず聞き返してしまった。三十一といえば、もうオッサンと呼ばれる年齢だ。若い、などと言われたのは初めてである。
「ええ、若いですよ。三十一歳は、まだまだこれからの年代です。私も、その頃はまだ人間でいられました。本当に、幸せな時でした」
にこやかな表情で語った柳田の表情は、昔を懐かしんでいるかのようだった。これは、彼の偽らざる本音なのだろう。
実際、柳田の見た目は恐ろしいものだ。
目つきが鋭いとか、体格がいかついとか、そうしたものとは違う。普通に座っているだけなのに、醸し出している空気が異質なのだ。ひょっとしたら、これが妖気や殺気などと呼ばれるものなのかも知れない。
・・・・
裁判では、当然のごとく死刑判決が降った。柳田は控訴せず、一審で死刑が確定する。
ところが、死刑が確定した後、誰もが耳を疑うニュースが日本中を駆け巡った。
とあるサイトに、恐ろしい動画が投稿された。逮捕前に撮影したのだろう、柳田の独白が映し出されていたのだ。彼は、そこで驚くべき事実を公表する。
殺害された子供の父親ふたり、そして殺害された女性の夫を入れた三人は……かつて、同じ大学のアメリカン・フットボール部に所属していた。そして大学生の時、柳田の娘を三人でレイプしたというのだ。
柳田の娘・雅美は三人に犯されただけでなく、さんざんな辱めも受けた。それが原因で、精神を病んで入院してしまったのである。
もっとも当時の父と母には、娘の身に何があったかはわからなかった。発見された時、雅美は体液と血と涙と排泄物にまみれた姿だったと聞かされたのだ。しかも酷く怯えており、精神的にも話せる状態ではなかった。警察は彼女からは何も聞き出せず、したがって事情聴取も出来なかった。
詳細はわからないが、ひどい目にあったことだけはわかる。父と母は何も聞かず、ひたすら娘の回復のため優しく接し、彼女の心を癒やすことに徹した。
その甲斐あってか、雅美の体調は良くなっていった。顔つきも、少しずつ変わっていく。
やがて、体の傷は完治した。だが、心の傷が完治するには、まだまだ時間が必要だった。父や母が話しかけても答えず、ぼんやりしていることがほとんどだった。
そんなある日、雅美は何も言わず、いきなり病室を出ていった。そして、病院の屋上から飛び降りたのだ。直ちに緊急治療が行われたが、間に合わなかった
雅美は、何も語ることなく死んでしまったのである。
納得いかない父は、何があったのか探偵を雇い調べさせた。さらに、自分でも調査した。
やがて、三人の大学生の存在が浮かび上がる。彼らは雅美と同じ大学のアメフト部であり、周囲の評判は最悪であった。
そんな三人が、雅美を車に連れ込むのを見た者が何人もいた。さらに同じ部の者から「俺ら、あの娘をマワしたんだよ。あいつ、ヒイヒイ言って喜んでたぜ」というようなことを自慢げに話していたことも聞き出す。
柳田は探偵とともに、三人の犯行の証拠を集めた。証人からの証言も得た。
あとは、それらを警察に提出し告訴するだけだったが……ここでひとつの問題が浮上する。
柳田は、犯人たちを強姦致死罪で訴えるつもりだった。娘は、強姦されたことがきっかけとなって精神を病み、挙げ句に自殺したのだ。ならば、出来る限り重い刑罰を……というのが、柳田の主張だ。
しかし、弁護士は言った。
「強姦致死罪は成立しない可能性が高いですね」
被害者が精神を病んでおり、自殺の原因が何であるかもわかっていない。そのため、自殺の原因が強姦によるものかどうかの判断は難しいのだ。
それ以前に……強姦罪で訴えることも難しい、とも言われた。直接の被害者である雅美が亡くなっている以上、焦点となるのは被告が自供するか否かだ。三人が口裏を合わせれば、無罪になる可能性は低くない。
トドメとなったのが、仮に有罪となっても、刑は十年いくかいかないかだろう……という言葉だった。強姦罪は重くなったとはいえ、限度があるのだ。
しかも、被害者は亡くなっている。そのため、三人が具体的に何をしたか……その立証は、非常に難しい。三人が口裏を合わせ「僕たち、何もしてません。一緒に車に乗っていましたが、途中で降りて歩いて帰りました」と言われれば、それを覆すのは困難である。
つまり、強姦罪すら成立しない可能性もあるということなのだ。